第13話 我慢大会1

「こうやって並んで歩いてると同棲カップルみたいだね。きゃはは」


「やめて。近所の人に見られたら誤解されるから」


「誤解されても大丈夫。真実にすればいいんだから」


 持参したエコバッグには入りきらないほどの食材が詰まったレジ袋を持って、ジャージ姿の丹生うにゅうさんと自宅への道を歩いている。

 

 土地勘のない夜道を一人で歩かせるのは危険だろうからと丹生うにゅうさんの買い出しに付き合ったのが運の尽きだった。

 コンビニで下着を購入したところまでは良い。ついでに夕飯のお弁当に手を伸ばしのが良くなかった。


「いつもコンビニ弁当なの?」


 丹生うにゅうさんの素朴な疑問に即答で肯定したのが彼女の心に火を点けたらしい。いつもママの代わりに料理している腕前を披露するからとスーパーにまで寄ることになってしまった。


 半ば強引に我が家に泊まる人をお客様と呼ぶのかわからないけど、長年ほぼ使っていないキッチンでお客様に料理をさせることにも不安がある。


「レジのおばさん、私達を見てニヤニヤしてたね。マスクしててもわかるくらい」


「ジャージ姿で買い物に来た丹生うにゅうさんを笑ってたんだろ」


「ふ~ん。小亀こがめくんはそう思うんだ。なら、そう思ってれば~?」


 悪態を付いて抵抗したものの頭の中では自分の推測が間違っていると理解している。絶対、初々しい高校生カップルを見てニヤニヤしてたんだ。

 僕はカップルを見るとイライラするタイプなのに対し、人生の酸いも甘いも経験したおばさんにとっては格好の話の種。


 休憩時間とかに面白可笑しく想像を膨らませて盛り上がるんだろうな……。元からスーパーにはあまり行かないけど、しばらくあの店で買い物しないと心に決めた。


「まさか彼女の母親とエッチして、それがAVとして発売されてるなんて知ったら超盛り上がりそうだよね。きゃはは」


「そもそも丹生うにゅうさんは彼女じゃないし、あのおばさんはAVなんて見ないよ。……たぶん」


「でもでも、もし私とエッチしたら彼女って認めてくれるでしょ?」


「だからしないって。一応一軒家だから部屋は余ってるから」


「ふふふ。これを見てもまだ我慢できるかな?」


 丹生うにゅうさんはコンビニのレジ袋から小さな箱を取り出した。

 テカテカと輝く箱に大きく印刷された0.02という数字を見て瞬時にそれが何かを理解する。


 高校のジャージを着てるのによく買ったな……お酒やたばこと違って年齢制限があるものじゃないし、店員さんだっていちいち突っ込んでいられないから堂々と買えばいいんだけどさ。

 下着とそれの組み合わせってもうそういうことじゃないか。


「準備はできてるからいつでも言ってね。ママみたいにはできないと思うけど、そこは経験済みの小亀こがめくんがリードするってことで」


「ぼ、僕だってもなさんにリードされるばかりで自分ではなにも」


「そんなこと言って、ベッドの上では激しく動くんでしょ? すっごい腰振りだったよ」


「……っ!」


 もなさんとのエッチがフラッシュバックして全身が熱を帯びる。丹生うにゅうさんは妖しい笑みを浮かべながらコンドームをレジ袋に戻した。


「そういえばサイズは大丈夫かな。小亀こがめくんの大きいから。使う前に一回試してみていい?」


「つ、使わないからいいよ!」


「やっぱり男子って生がいいんだ。でも、今日は生だとちょっと……ママに心配掛けたくないし」


「使わないってそういう意味じゃないから! 使う状況にならないってこと」


「そんなに大きな声を出すと近所の人が窓から顔を出しちゃうかもよ? 一人暮らししてる小亀こがめさんの息子が可愛い彼女を連れてるって」


「自分で自分を可愛いとか言うなし」


「可愛いことは否定しないんだね。ママも鼻が高いと思うよ。きゃはは」


 家に泊めれば彼女になる計画は諦めてくれると思ったらむしろその逆。既成事実を作って彼女になろうとしてくる。

 丹生うにゅうさんみたいな可愛い子の初カレになれるなんて光栄な話だけど、何度考えてもそれは不誠実な気がするし、丹生うにゅうさんはあくまでも母親のために僕の彼氏になろうとしている。


 なんだか丹生うにゅうさんが自分を売っているみたいで、あまり良い気がしない。

 それを言ったらもなさんだって生活のために自分の体を他人に預けて、僕はそれを買っている人間の一人だ。

 だからどんなに美辞麗句を並べたとしても僕は丹生うにゅう家の女性を買っていることに他ならない。


丹生うにゅうさん、脅されてる僕が言うのも変だけどさ、普通に恋愛して結婚する方がもなさん……お母さんも喜ぶと思うよ。あ、そうだ。誰か好きな男子いないの? 力になれるかわからないけど協力するよ。これでどう?」


「好きな男子は小亀こがめくんだよ? 彼女になれるように協力してくれるなら、帰ったらチューして」


「…………」


 どこまで本気かわからない告白に体の火照りが少しずつ引いていく。自分の母親とエッチしたクラスメートを好きになる理由なんて皆目見当も付かない。むしろ嫌われる方が納得できるくらいだ。


小亀こがめくん、なんでもするって言ったよね? 口と口とは、さすがに私も恥ずかしいからさ。マスクの上からじゃ……ダメ?」


 マスクで顔の半分が隠れている分、目元が強調される。その大きく潤んだ瞳で見つめられると庇護欲をそそれた。

 もし断ったらAV出演の件をバラされてしまう。マスク越し、しかもお互いに装着しているから布2枚分を隔てている。


 僕のファーストキスはすでにもなさんに捧げているから失うものは何もない。だけど丹生うにゅうさんは……。


丹生うにゅうさんは本当にいいの? マスク越しでも、初めてじゃないの?」


「きゃはは。マスクとマスクが触れ合うだけだよ? さすがにノーカンでしょ。でも、ありがと。気にしてくれて」


「そりゃ、まあ……この先、本当に好きな人ができた時に丹生うにゅうさんが後悔の涙を流したら、もなさんが悲しむし」


「こんな時でもママが一番なんだね。素敵な旦那さんになってくれそうなのに」


「それが成人した者の責任ってやつだよ。高校生だけど、子供じゃないんだ」


 レジ袋を持つ左手がちょっとしびれる。楽器を持って鍛えられていると思っていたけど買い物は別の筋肉を使うらしい。


小亀こがめくん、こっち向いて」


「ん?」


 ゼロ距離で改めて実感する丹生うにゅうさんの可愛さは、その肌の綺麗さも要員の一つだと知った。同じ人間とは思えないほどにきめ細かで白く、見るだけで柔らかいのだとわかる。

 彼女の半分はもなさんから遺伝している。改めてその事実を実感すると鼓動が早くなった。


 マスクとマスクが触れただけ。現象としてはそれだけのことなのに、距離感はキスと同じ。公共の場所でこんなことをしているのを見られたら変な噂が立ってしまう。でも、もしかしたら自宅じゃなくて良かったかもしれない。


 僕の心に変な火が点いてしまったら、成人としての責任を忘れてしまったかもしれない。

 丹生うにゅうさんと過ごす夜はまだまだ長い。この我慢大会を制する難しさに心が押し潰されそうになった。

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