第6話 丹生さんの正体1

 まだまだ空は明るい。同じ時刻に校舎を出たとしてもその明るさで一日の残り時間が違うように感じるから不思議だ。そして今日はまだ終わらない。夕飯を食べて宿題をして眠りについて……そんな日常がありがたいと思えるレベルの問題が残されている。


 LINEで指定されたのはうちの最寄り駅。学校で待ち合わせすると関係を疑われてしまうからとのこと。

 適当なウソをついて関係のない駅で放置してやろうなんて考えもチラリと脳裏をよぎったけど後々のことを想像したら正直に答えていた。

 

 丹生うにゅうさんは一体僕に何を要求するつもりなんだろう。父さんが仕送りしてくれているので節約すれば多少カツアゲされても大丈夫。あるいは積極的にAV出演してそのギャラを丹生うにゅうさんに全部渡すとか。

 

「だけど、もしもう一度もなさんに会えたら……」


 首を振って邪な妄想を振り払った。

 もなさんはあくまでも仕事でうちに来てくれた。あくまでも業務的な人に見せるためのエッチ。場合によっては愛情を持ってしまうこともあるかもしだけど、撮影現場で再会してもビジネスの関係しか築けない。

 それならいっそママになってくれた思い出で生きていく方が幸せだ。


「逃げなかったんだね。きゃはは」


「は?」


 学校の最寄り駅に到着すると小悪魔みたいな笑い声に呼び止められた。

 入学時からあまり成長しなかったのかぶかぶかのジャージがナチュラルに萌え袖になっている。

 紺色の地味なジャージとハーフパンツも美少女がまとうとサマになる。

 バレー部の練習で引き締められた太ももはとても肉感的でもなさんの体を思い出してしまった。


「サプラーイズ」


「うん。驚いたよ」


「リアクション薄くない? 私がお出迎えしてあげたのに。あ! それとも玄関の前で待ってる方が良かった?」


「さすがにそれは恐すぎる。住所知らないのに」


「きゃはは。どうだろうね」


 萌え袖で口元を押さえながら意味深な笑みを浮かべる丹生うにゅうさんは小柄なくせに妙な艶やかさが醸し出されている。

 僕が童貞を卒業して少し余裕を持てるようになったのと同じ雰囲気を彼女から感じていた。


 男子とLINE交換するのが初めてというのもたぶんウソだ。これだけ可愛い子なら引く手あまた。男子の方から勝手に寄ってくる。処女性をアピールしてるつもりなんだろうけど僕には無意味だ。


 だって僕が好きなもなさんはその存在を知った時からヤリまくりのAV女優。僕は処女かどうかなんて気にしないタイプなんだ。


「逃げないように手繋いでいい?」


「逃げないよ。ちゃんと話し合いの場が設けられてるのならそれに出席するのが大人ってもんだろ」


「さすが~」


 丹生うにゅうさんがどこまで本気なのかさっぱりわからない。女の子の方から手を繋ぐ提案をしてくれたら奥手な男子ならころっと恋に落ちてしまう。男を平気で勘違いさせるタイプだ。

 もなさんと初体験を済ませていなかったら危なかったかもしれない。


小亀こがめくんを待たせないように着替えずに出てきたんだよ?」


「そりゃどうも。ゆっくり着替えてくれて良かったのに。うちの最寄は本屋も入ってるからさ」


小亀こがめくんは制服の方が好み?」


「そういう話じゃないよ。丹生うにゅうさんこそジャージで電車乗るの恥ずかしくないの?」


「別に恥ずかしいとかないかな。あっ! 小亀こがめくんはJKよりもママだもんね」


「ちょっ! 公共の場所では」


「きゃはは。焦ってる焦ってる。やっぱり先回りして良かった。おもしろい小亀こがめくんと一緒に電車乗れるもん」


「くっ……!」


 今すぐにでも口を塞いでやりたけど、そんなことをすれば通報されて警察のお世話になってしまう。

 成人したということは実名報道もされるということ。インターネットには名探偵が大勢いるからAVに出演したこともあっという間にバレるだろう。

 僕の命運は丹生うにゅうに握られている。それを改めて実感した。


「こんな風に男子と下校するって初めて。私達の高校生活って制限ばっかりだったよね」


「うん。今年はだいぶ緩和されたけどマスクはそのままだし。暑くて仕方ない」


「私も走ってきたらすごく暑いんだ。ねえ、ちょっとだけマスク外したいから壁になって隠してよ」


「は?」


「マスク警察に見つかったら怒られちゃうじゃん。ちょっとだけ、ほんの一瞬だから。ほら、あそこの隅で」


 丹生うにゅうさんは子供みたいにホームの隅に駆けて行った。部活が終わるということは多くの会社も就業時間が終わることを意味する。一時はリモートワークでガラガラだったホームも今はすっかり以前のような活気を取り戻している。


 そんな人混みをちょこまかと動きながらするする通り抜けるのは実に運動部らしい。あんな子供みたいな動きをするのにもう大人として扱われるギャップを自分も抱えていることがとても不思議だった。


「走ったら暑いんじゃないの?」


「だね。蒸し暑さ増し増し。だから、ほら」


「こんな感じでいい?」


 足を肩幅に開き、気持ち肩を張るように丹生うにゅうさんの前に立った。

 マスク警察らしき人に見つからないと警戒するために丹生うにゅうさんとは向き合わないようにする。


小亀こがめくん、子供だね」


「なにが?」


「マスクを外した私の顔を見ないようにしてるもん」


「それくらいで子供扱いする方が子供だと思うよ。それに僕はちゃんと見張ってるだけだ」


「ふーん。お礼にキスする権利をプレゼントしようよ思ったのに」


「な゛!?」


 欲望に負けたわけではなく、付き合っているわけでもないのに突拍子もない発言をするからつい反射的に振り返ってしまった。

 そこにはマスクの下で不敵な笑みを浮かべる丹生うにゅうさんがいた。


「ありがと。おかげで顔が涼しくなったよ」


 やっぱり僕はもなさんみたいな大人の女性が好きだ。

 その想いをより強くしてくれたことだけは丹生うにゅうさんに感謝しよう。なぜなら僕はもう大人なんだから。

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