第5話(抑え:上坂涼)
「……なるほどですねぇ」
私と奥野君の話を聞いて、高柳さんはうーんと唸った。
緊急事態なので、この際全て話してしまおうと思い、これまでの経緯を洗いざらい話した。カミトチデシンという新種の成分のこと。メカニズムは不明だが、美容と保湿に効果があること。自分の務める会社が、検証不十分のままカミトチデシンを使用した商品を販売しようとしていること。脳筋系パワハラ上司が嫌がらせをかねて反対派の私に化粧水サンプルのテストを命令してきたこと。家に持ち帰った化粧水をうっかりハエトリソウにぶっかけてしまったところ、それが怪物化したこと。なにもかも洗いざらいだ。
こうなってしまった以上、カミトチデシンの早期商品化は不可能。食虫植物を怪物化する成分なんて言語道断でしょ。それでも美容成分として売り出したいのなら、実用可能になるまでじっくりと時間をかけて研究するべき。
目先の利益にこだわって、怪物化する問題を抱えたまま商品化してもあっという間に社会問題へ発展して会社は終わりよ。端からうちのような零細が扱っていい代物じゃなかった。
怪物化したこの事実を見せつければ、最悪間森部長はともかく、経営に関わるお偉いさんはマズイ事態だと理解して納得するはず。たぶん。
なにはともあれ商品化が無理な以上、隠す必要もないというわけ。会社への私の忠誠心もほぼゼロに近かったし。こんなヤバイ成分を大して調べもせずに利益優先で世に送りだそうとするなんて、人として終わってる。自分もそんな会社の一員なんだと思うと悲しくって仕方がない。
「……で、そのキュワちゃんをどうにかできないかと」
高柳さんの問いに私は片手を天井に突き立てた。
「はい! このまま飼う方法を見つけたく!」
もはや会社のいざこざなんて二の次。つかもう知るか! このキュートでプリティーなキュワちゃんが安心安全に生きられる環境を用意することこそ今の私が命を賭すべきことだ!
「やぁ子先輩……キュワちゃんって名前やめません?」
「なんで?」
「あはは……怖いなあ」
私に睨まれた奥野君は、すぐにたじたじになった。私がこうなったら耳を貸さなくなるのを知っているからだ。大学時代、何度彼を根負けさせたか分からない。
どうせヘタに名前を付けて、いざキュワちゃんを処理しなくてはならないとなった時に辛いぞとでも言いたいんだろうが、そんなものは関係ない。なぜなら処理する未来など、私が蹴っ飛ばしてやるからだ。
「はぁ……もう好きにしてください」
「わかればよろしい」
私はふんと鼻を鳴らした。すると奥野君は首を軽く振った。まるで先輩は仕方ない人だと言わんばかりに。なんて生意気な後輩だろうか。熱くなっている自覚はあるが、昔と違って今は熱くなってもそれなりに頭で冷静に物事を考えられるようになったんだ。ムカつくから一発引っぱたいてやろうか。
「先輩は超がつくほどの頑固ですからね。折れるところを見たことがない。感極まると手を出してくるし。だから言い聞かせようとする方が間違ってるんだ。……まあ、かくいう俺もキュワちゃんを取り扱う方法――つまり必然的にカミトチデシンについて調べることになりますし、それは面白そうだから賛成派なんですけどね」
「なによ。賛成なら最初からそんなくどくど言わなくて良かったんじゃない?」
「あはは……そうですね。そういうことにしておきます」
奥野君の賛成票を獲得したところで、再度高柳さんに詰め寄る。正直言うと私は焦っていた。もしかしたら事態は急を要するかもしれないからだ。このまま放っておいて、キュワちゃんがどんどん成長していっても困る。どうかこのままキュートな姿を維持してほしい。
「……で、高柳さん。もう一度お聞きしますが、キュワちゃんをこのままの姿で飼い続ける方法はありませんか?」
すると高柳さんは、両腕を組んで椅子の背もたれに身体を預けた。ふうと息を吐いて、目を瞑る。何かを考え込んでいるようだ。やはり少なからず事情を知っていると見える。それはキュワちゃんのような食虫植物を他にも知っているというようなところだろうか、あるいはカミトチデシンの詳細について知っている……?
「良いでしょう。社外秘であろう情報を私に漏らしたんですから、それなりの覚悟はお持ちのようだ」
ふいに立ち上がった高柳さんが、店の奥に続いているであろう暖簾に手をかけながらこちらを振り返った。
「……どうぞこちらへ」
「これって……!」
「へえ。これは素晴らしいですね」
私と奥野君が目の前に広がる光景に対する感想を述べた。あまりの衝撃に目を見開く私とは打って変わって、奥野君はひどく冷静だった。
……そういえば。あの時は気持ちがてんやわんやして見落としていたが、キュワちゃんが生まれた時も、奥野君はそこまで驚いていなかったような気がする。生物が急激な速度で突然変異を起こしたのだから、生命科学部随一の秀才である彼の反応が薄い理由が分からない。いつもの彼であれば、狂喜乱舞しながらレポートをまとめて学会に発表すべきだとか言い出していたはずだ。
「お、これまた挟まれても痛くない」
「ちょ、ちょっと! ヘタに刺激しないでください」
バックヤードの壁三面には机が階段状に置かれていた。その机の上にびっしりと並べられた植木鉢の一つに近づいて指を差しだした奥野君。その彼の指をかぷりと食む変異したハエトリソウ。キュワちゃんと同種だが、キュワちゃんの方が数段かわいい。明らかに性格差があるようで、キュワちゃんは身振りに品とお茶目さがあり、私とコミュニケーションを取る時の態度には愛嬌がある。
「ギギャー」
鳴き声の時点で終わってる。やっぱり私のキュワちゃんこそ最強。
バックヤードには様々な食虫植物が並べられていて、そのいずれもが変異していた。うねうねとしきりに動き続けているその姿はまさに文字通り動物のようで、植物としての特徴はその姿のみと言えるかもしれない。
「高柳さん……これはいったい」
「ええ。ご説明しましょう」
高柳さんはそう言いながら、ギギャーくんの頭をくすぐるように撫でる。その手付きはとても愛情に満ちていて、ギギャーくんも心地よさそうに頭を垂れていた。
「三本野……僕もやぁ子さんとお呼びしても?」
「ええ、どうぞ」
私はすぐに承諾する。言いづらいもんね三本野。こちらとしてもその方がありがたいし。名字で呼ばれることが浸透すると、三本とか三ちゃんとかおさんちゃんとか略称で呼ばれ始めるから正直嫌だった。悪気があろうとなかろうと、なかなかその呼び方はやめてと言いづらいし。なので今では頃合いを見て、名前で呼ぶようにお願いするようにしている。
ちなみに名前で呼んでもらうことをお願いすることになった決め手は、大学時代の野球部連中にサード(三塁)とかスリーベース(三塁打)とか呼ばれたからだ。野球用語の語感に近しかったからだろうが、さすがにカタカナで呼ばれるのは恥ずかしすぎる。スパイのコードネームでももっとマシなものをチョイスするだろう。
「ありがとうございます。それでは」
そこで一言区切り、高柳さんは真面目な顔を作った。本題に入るということだろう。
「やぁ子さんからご説明いただいたカミトチデシンという成分ですが……。この有様をご覧いただければ分かるとおり、私も同じ成分を保有しています」
「そうみたいですね……」
私は高柳さんの言葉を聞いても驚かなかった。私の話を聞いても動じなかった高柳さんの態度。そしてバックヤードに広がるこの光景。高柳さんがカミトチデシンを知っていることの何よりの証拠だ。
「カミトチデシンという名前は、『神の地へ誘う者』という意味を込めて付けられたものです」
「神の地へ誘う者?」
なんだかきな臭くなってきた。奥野君はさっきから黙りこくって微笑するのみだ。
「ええ。神の地復興を目指すアポストリーズという団体が開発しようとしている薬品――ゴッドパウダーの副産物の一つがコレです」
神の地復興……アポストリーズ……ゴッドパウダー……。厨二的展開に頭が痛くなってきた。早く家に帰って焼き鳥とビールに洒落込みたくなってくる。
「やぁ子さん、大丈夫ですか? 額に手なんか当てて、具合悪くなりましたか?」
「いえ、大丈夫です。続けてください」
ところがどっこい現実なんだよなぁ……。これがキュワちゃんという二次元的存在を受け入れるための代償か。
「ひょんなことからアポストリーズの一員になった私は、カミトチデシンの研究を担当することになりました。……ここにいる子たちはほんの一部です。私の足下にある扉は地下研究所へ繋がっていましてね。膨大な数の被検体が置いてあります」
いよいよこれはあの世界的有名ゲームの内容に近づいてきたわね……。この後、必ず墜落するヘリコプターを目撃して、ラスボスをロケットランチャーで木っ端微塵にする展開が待ってたらどうしよう。
「アポストリーズは世界的な秘密結社ですが、団員には質の悪い者も多く、副産物の数々がダークウェブを通じて横流しされ続けているのが現状です。やぁ子さんの会社も社員の誰かがカミトチデシンをダークウェブで見つけて目を付けたのでしょうね」
「じゃ、じゃあ私の会社はやっぱりヤバイものに手を……?」
「はい。アポストリーズの上層部に知られたが最後、要注意人物としてマークされ……もし秘密を世間に漏らすようなマネをしたら」
バン。高柳さんは拳銃に見立てた片手をこめかみの横で上下に動かした。
「てことは、秘密を知ってしまった私と奥野君も危ないんじゃ」
「いやあ、必ずしもそうとは限らないんですよ。これが」
「……え?」
奥野君は何故か高柳さんの隣に並び立ち、ニィッと笑った。高柳さんも意外そうな顔をしている。
「アポストリーズは研究に貢献してくれる者には寛大。裏切り者に容赦ない点は俺も認めますが、規則正しく振る舞っていれば非常に温和な組織なんですよ。むしろ親身になって話しを聞いてくれたり、経営資金のサポートをしてくれたり。そこらの優良企業より優良だって話です。アポストリーズに助けてもらっている人も多くいるんですよねえ」
それから奥野君は高柳さんの肩に腕を回して、やんちゃな少年のように笑って言った。
「高柳さんと……俺みたいに、ね」
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