第6話(抑え:上坂涼)
私はガタついているデスクに肘をついて頭を抱えた。
「はぁぁぁぁー」
ながーいため息だって出るというものだ。事実は小説よりも奇なり、か。さすがに奇妙すぎだろう。自身が務めている会社で、謎の成分カミトチデシンを取り扱った商品を売り出すという話に巻き込まれたと思えば、カミトチデシンはゴッドパウダーという薬品を開発する過程で生まれた副産物だとか、そのゴッドパウダーの開発を主導しているのがアポストリーズという秘密組織だとか、高柳さんも奥野君もアポストリーズの一員だとか……。
「はぁぁぁぁー」
ながーいため息だってそりゃあ二度も出る。
奥野君曰く、裏の世界は騒乱の時代に突入しているらしい。ゴッドパウダーを開発する過程で生まれた副産物たちの横流しが頻発している影響で、各地の生態系が壊れ始めているのだという。アポストリーズはそのせいで神経過敏となっていて、躍起になって裏切り者を排除しつつ、隠蔽工作に奔走しているらしい。普段は温和なアポストリーズも、今はちょっとでも悪さをしたらさくっと命を奪うほど過激とのこと。
……つまり、このままこの会社がカミトチデシンを商品化して世間にばらまくことになれば、関わった者は皆殺しにされるということだ。それならばいっそ、ダークウェブからカミトチデシンを入手した主犯格を見つけ出して組織に密告することで被害を最小限に抑えることこそ最善。というのが奥野君と高柳さんの解答だった。
「はぁぁぁぁー」
はい。三回目。出ちゃうよねー。
もちろん善良な市民である私は、最小限だろうと人が殺される、もしくは殺されるよりもっとひどい目に合わされることを認めるわけにはいかないと断った。……断ったが。
組織に協力することでキュワちゃんと一緒に暮らせるようになると言われてしまったら、どうしようもない。今の私はキュワちゃんこそ正義。キュートでプリティーなキュワちゃんの前では倫理観などたやすく崩壊してしまうのだ。
だから私は譲歩することにした。さすがに初めから命を簡単に売ることを認めるわけにはいかない。会社が保有しているカミトチデシンを一切合切奪取し、今後の入手を断ち切る。そうすることで無血開城を目指す作戦を提案した。もし失敗してしまえばそれまで。奥野君たちの案を呑んで、組織に主犯格を密告するしかない。
私なりの罪の意識から逃れる手段といえばそれまでだが、やらないよりはマシだ。
「はぁぁぁぁー」
問題はそれを達成するのが非常に難しいということだ。カミトチデシンの全てを会社から奪取する方法がぜんっぜん思いつかない。あ、これで四回目。
「さっきから何をはぁはぁ言ってるんだね。あえいでいる暇があったら、化粧品のテスト結果を資料にまとめたらどうだ? 減給するぞ?」
このセクハラ値とパワハラ値がカンストしたセリフ。そして赤ワイン片手に猫をなで回していそうな野太くて嫌らしい声。間違いない……間森部長だ。
「おはようございます。間森部長。そういえば私、ふと気になったんですが、カミトチデシンってどこから仕入れているんですかね? 間森部長が社長と商品開発部に紹介したとお聞きしましたが」
ギクゥ! と、漫画だったら背景に描かれてしまいそうなくらい、間森部長は分かりやすく動揺した。
「な、なにを言っているんだね! そんなことお前には関係ないだろう! クビにするぞ! とっとと資料を作れボケナス!」
間森部長はゲリラ豪雨の如く、わあああと怒鳴り散らしたかと思いきや、さっさと部長室に閉じこもってしまった。
「あの部長がボケナスときましたか……」
私は両腕を組んで部長室の扉を見つめた。あの反応を見るに、ビンゴだろう。カミトチデシンをこの会社に持ち込んだのは間森部長だ。アイツを地獄に葬れるとなると、すぐに密告してしまいたい欲に駆られてしまうが、ここは我慢だ。私は善良な市民……善良な市民。
と、そこで私は時計を確認する。うん。きっかり十二時半。お昼休みだ。
「とりあえず作戦会議と行きますか」
やぁ子がカミトチデシンを奪取するための作戦会議をしに、ローウィーへ向かった頃。
彼女の会社でとんでもないことが起ころうとしていた。
「おい三本野! 反抗的な態度を取ったお前にお礼を持ってきてやったぞ! ……ん? いないのか?」
どやどやと席までやってきた間森部長だったが、お探しの相手がいないと気付いて怒りを露わにする。
「ふん。逃げ足の早いヤツめ。戻ってきたらせいぜい腰を抜かすが良いわ。この数と臭いにな!」
どぉん! と、やぁ子のデスクに置かれたのは化粧水サンプルがぎっしり詰められたプラスチックの平皿。その数――五ダース。総勢六十個の小瓶たちが凜々しく整列している。しかも全て蓋が取り外されており、ほんのりとした生臭さが辺りに漂い始める。
「やぁ子! 最近元気ないみたいだから、良いもの買ってきたよー。この中から好きなものを一つ……って、いないのかあ。つかなんか臭くない?」
次にやぁ子と同期入社をした高瀬がやってきた。彼女は両手で引いてきた台車をやぁ子のデスクに沿うようにして置いた。
「戻ってきたら選んでもらうかー。持って帰るのめんどいし、ここに置かせてもらおっと」
高瀬が台車で運んできたのは、観葉植物の数々。パッと見ただけでも十種類はある。
「三本野さん」
高瀬とすれ違うようにやってきたのは、やぁ子の上司である植木。
「最近元気がないみたいだし、良ければこれから一緒に昼飯でも……っていないのか。しかしなにか臭うな。んん?」
デスクに置かれた大量の化粧水サンプル。デスクにびったりと横付けされた台車。その上に乗せられた色とりどりの観葉植物。植木が興味を抱いて、やぁ子のデスクに近寄るのには充分だった。
「なんだろうあれ」
植木がやぁ子のデスクに近づいていく。
「なんかすごいことになってるぞ」
どんどん近づいていく。そしてついに――
「あぁ!? 三本野さんからもらったサンダルが!?」
デスクのすぐ側までやってきたタイミングで、やぁ子が植木にプレゼントをしたサンダルの留め具が破損。バランスを崩した植木はやぁ子のデスクに手を付くことで難を逃れる。
「ふぅ……って、おわぁ!?」
と思いきや、なぜか日に日に脚が劣化していきグラつくようになっていたやぁ子のデスクが植木の重みで崩壊。
デスクの上に置かれていた六十個もの小瓶があれよあれよと観葉植物の上に降り注ぐ。
「あわわ……あわわわわ! み、みんな! に、にげろぉー!」
カミトチデシンをたっぷりと吸収していく植物たちが動物に変貌を遂げるまで、十秒とかからなかった。
あまりにも出来すぎた展開。それもこれもやぁ子の不幸体質が成せる御業であった。
地鳴りが聞こえた。
「え、地震?」
「少し揺れましたね」
「わ、まただ」
今度ははっきりと揺れを感じた。しかし地震にしては極めて短い。身体を力強く一度だけ揺らされたような感覚。嫌な予感がした。
「高柳さん、ちょっと見てきますね」
私と奥野君は立ち上がって、店内へと繋がっている暖簾をくぐった。植物としての姿を保ったままの子達の間を抜けて、そのまま外へ。
その瞬間のことだった。
「おわぁ!?」
「な、なんだこの揺れは!?」
重みのある爆発音のようなものが聞こえたのと同時に、神様が地球をわしづかみにしてガッ! っと揺らしたかのような衝撃が私たちを襲った!
「や、やぁ子先輩! あ、あれ!」
「……え?」
我が目を疑った。奥野君が指を向ける方角には私の会社があった。――いや。正確には会社だったもの。
「ギュワァァァァ!!!」
強大なエネルギーを内包した空気が衝撃となって私たちへ襲いかかってくる。
「いやあぁぁ!?」
「やぁ子先輩!」
あまりにも強すぎる衝撃。あっという間に私は吹き飛ばされたが、奥野君が咄嗟に後ろへと回ってくれたようで、私の身体をしっかりと受け止めてくれた。
「大丈夫ですか?」
「う、うん。ありがとう」
異常だと感じるほどの青臭さが鼻をついて、思わず鼻を覆った。私たち以外の人達も鼻を押さえている状況を見るに、どうやら辺りに臭いが蔓延しているようだった。
その出所はもちろん。叫び声を上げた当事者以外にはありえない。私は仇敵を睨み付ける。あの様子では既に手遅れになっている者もいるだろう。
「……どうしますか。やぁ子さん」
「私、先に行く! もしかしたらまだ生きてる人もいるかもしれないから! 奥野君は警察に連絡したりとかお願い!」
「あ、ちょっと! やぁ子さん!」
やぁ子が走り去ってすぐの事。
「……おやおや。あのビルは間森のところのじゃないか。……くくく。これは愉快だ。あーあ。ほんとぉーうに愉快だなぁ」
高柳が仰々しく手のひらで庇を作った上で、やぁ子が向かったビルの頂上を見上げていた。
「高柳さん……あんた……まさか」
暗く淀んだ瞳を投げかける高柳と、焦燥と怒りを混ぜこぜにした奥野の瞳は極めて対照的で、両者の間にくっきりとした影が落ちる音を奥野は確かに耳にした。
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