第33話 怠惰の獣

 店内に、蛍の光が流れ始めた。


 店員らが気怠そうに、閉店の準備を始める。


 店内に掲げられた時計の針は、もう少しで24時を指す。


 俺は読んでいた文庫本を棚に戻すと、首を捩じるように回した。肩を掴むと、驚くほど固まっている。腰と膝には鈍痛が走り、両脚は鉛のように重い。


 やはり長時間の立ち読みは、肉体への負担が大きい。


 俺は、閑散とした店内を見渡した。


 閉店間際にも関わらず、数人の客が、厚かましくも立ち読みを続けている。どいつもこいつも見覚えのある連中だ。


 恐らく俺と似た境遇の連中だろう。


 あと15分で一月三日が終わる。


 正月が終わる。


 正月はニートにとって最も厄介な期間だ。自宅には両親がいて、親戚や知人がひっきりなしに訪れる。益体のない世間話を延々と繰り返し、話題に困ると、決まって俺の話になる。中高年ニートは話題に事欠かない。部屋にいても俺のことをひそひそ話している声が下から聞こえてくる。さらに三日にもなれば、妹家族が押し掛け、餓鬼どもが金をせびってくる。金がなくても容赦なくせびってくる。餓鬼に哀れみなど存在しない。連中は動物と変わらない。己の欲を満たすためだけに生きている獣と変わらない。親が獣ならば、子も獣なのだ。


 そんなこんなで、正月の三日間は、ひたすら古本屋を梯子していた。


 正直、図書館を利用したいのだが、普段ニートに優しい図書館であっても、さすがに正月は閉館している。よって元旦から営業している古本屋へ足を向ける羽目となる。しかし一店舗で立ち読みを続けるのは、店員の目が難しいため、時間を区切って、店舗から店舗を梯子していた。凍える寒さの中、ひたすら歩いて店に向かい、そこから長時間の立ち読みを行う。それを閉店時間まで続けるため、さすがに肉体の負担は大きい。それでも古本屋に縋りつくしかなかった。


 カネのないニートが行ける場所は限られている。


 特に中高年ニートの風当たりは厳しい。


 中高年ニートが外へ出ると、世間は不審者として扱う。


 公園のベンチに座っていても、ショッピングモールの椅子に座っていても、どこにいても不審者の扱いを受ける。二年前、正月の古本屋巡りに疲れ果て、休む場所を探してショッピングモールを訪れたことがあった。ショッピングモールには、至る箇所に椅子が設置されており、ソファータイプの椅子まであった。俺は座り心地の良いソファータイプの椅子に座り、疲れた身体を預け、しばしの休憩を取っていた。ここはトイレ付近の小さなスペースで、ソファータイプの椅子がいくつも置かれていた。自動販売機やマッサージチェアなども置かれ、快適なスペースが用意されていた。また専門店から少し離れているところにあるため、人も少なく中高年ニートにとってオアシスのような場所だった。


 俺は冷え切った身体を温めるべく、なけなしの金を叩いてホットコーヒーを購入した。


 一口啜っただけで、熱い液体が肉体の隅々まで浸透していくのがわかった。微糖にも関わらず、舌には猛烈な甘さが伝わった。缶コーヒーの一口で肉体がここまで喜ぶとは思ってもいなかった。俺の肉体はどこまで栄養不足なのか恐ろしくなった。


 缶コーヒーのあまりの美味さに喜びと怖さを感じながら、ちびちびと啜っていると、隣のソファーに一人の男が座った。


 随分と痩せた男だった。年齢は俺とさほど変わらない。虚ろな目で周囲を伺いながら、鞄からおもむろに携帯電話を取り出した。スマホ全盛の時代にガラケーだ。しかも相当古い機種だ。俺が二十代の頃に使っていた機種と似ている。男は少しだけ携帯をいじると、鞄から充電器を引っ張り出し、マッサージチェアの方へと向かった。俺が不振がっていると、何やらマッサージチェアの裏側をごそごそと探り出し、携帯の充電を始めた。どうやらマッサージチェアの裏側にあるコンセントを使って充電しているようだ。男は携帯をマッサージチェアの上に立てかけると、ソファーに戻り、くつろぎ始めた。


 迷惑な奴である。


 確かに、便所横のマッサージチェアを利用する客など稀だろう。しかしゼロではないだろう。しかも座面の上に、使い古された携帯電話が充電されていたら、誰だって不気味に思うはずだ。


 俺は、横目で男の方を見た。男は特に何もすることなくぼうっと遠く見ている。伸び放題の髪に、ずれ落ちそうな眼鏡、まばらに生えた髭。着ている紺のジャンバーは肩の部分が色褪せており、穿いているチノパンは染みだらけだ。


 何年もニート生活を続けていれば、おのずと同類は判別できるようになる。


 この男は紛れもなくニートだ。


 ただ、俺とは違い、携帯電話を持っている。


 俺は、基本料金が払えなくなり、携帯電話を手放すことになった。この男は誰かが基本料金を払ってくれているのだろう。甘えた奴だ。


 携帯電話を手放した時、真っ先に感じたのが、現実社会からの断絶だ。現実社会の外側に追いやられた気分だった。そして、現実社会から拒絶されたかのような絶望感にも襲われた。自分はもう戻れない場所にいるのだと痛感した。


 が、


 それと同時に、現実社会と決別した開放感にも包まれた。


 だが、この男は、未だ、現実社会に未練があるのだろう。


 この男にとってあの大昔ガラケーだけが、現実社会と繋がっている唯一の証なのだろう。


 通話をしなくても、メールもしなくても、その繋がりだけは、確固として存在している。


 この男は、今にも切れそうな細い繋がりを、最後の希望として縋っているのかもしれない。あの使い古された携帯を失えば、男は現実社会との繋がりを失うことになる。だが、古い携帯の充電はすぐに尽きる。充電が尽きれば、おのずと現実社会との繋がりも途絶える。その恐怖から逃れるため、必死で充電を行っているのかもしれない。


 まあ、俺の勝手な妄想なのだが。


 そんなことを考えていると、どこからともなくマッサージチェアに子供が集まって来た。


 子供らはマッサージチェアに興味津々といった様子で、椅子の周りで遊び始めた。ふと、男の方を見ると、落ち着かない様子で子供たちを見ている。さっさと携帯を回収すればいいのだが、男にはその勇気がないようだ。


 そこに、若い夫婦がやってきた。恐らく子供らの親だろう。


 マッサージチェアで遊ぶ子供たちに声を掛けると、何かの違和感に気付いた。


「あん、なんだこのケータイ」


 父親がマッサージチェアの上に置かれていた携帯電話を手に取った。


「もしかしてウチの子、盗撮されない?」


 母親が騒ぎ始めた。


 馬鹿馬鹿しい。どう見ても、そのガラパゴス携帯に録画機能など付いるわけがない。何を訳の分からないこと言っているのか。若い奴らはすべての携帯に録画機能が付いていると思っているのか。無知も甚だしい。


「誰のケータイだぁっ!」


 突如、父親の怒号が響いた。周囲にいた人間も何事かと集まって来る。


 厄介なことになった。このままでは隣の馬鹿のせいでトラブルに巻き込まれてしまう。


「誰だコラぁッ!」


 父親はそう怒鳴りながら、明らかに俺と隣の男を睨んでいる。恐らく身なりと雰囲気で完全に疑われている。正月の最中に小汚い恰好の中年男が二人、人気のないスペースで目的もなく座っているのだ。不審者と思われても仕方ない。


「とにかくさ、このケータイ、警察に持って行こうよ」


 母親が言うと、父親が俺たちを睨みながら頷いた。その時、落ち着きなく座っていた男が急に立ち上がった。


 周囲が不気味に静まり返ったのを覚えている。


「ぼ、ボクの、携帯です」


 男は、夫婦に向かって言った。その口許は尋常でないほど震えていた。


 馬鹿な奴だ。警察が見れば盗撮などしていないことなど一目瞭然だ。身元がバレても、電気泥棒として厳重注意で済むはずだ。そこまでして現実社会との繋がりが必要なのか。変質者として晒されてまで、現実社会に縋りつきたいのか。本当に馬鹿な奴だ。


「テメエっ!」


 父親が勢いよく男に掴みかかった。男の悲鳴が上がった。


「警備員を呼べっ!」


 周囲の熱量が上昇する。断罪される変質者に対し、興奮が頂点に達する。軽蔑と冷罵の中、悪が踏み躙られることに愉悦が混じっている。これが人間の本性なのだろう。


 俺は、この混乱に乗じて、静かにその場を去った。


 そんな事件を目の当たりにしてから、俺はショッピングモールに近づくのをやめた。


 寂しげに鳴り響く蛍の光。


 長く辛い古本屋巡りの一日が終わった。立ち読みと移動で、肉体はとうに限界を越えている。


 この古本屋は深夜24時まで営業している。この地域では最も営業時間が長い古本屋だ。しかも置いてある商品がニッチなものばかりであるため、家族連れが来店することはほとんどない。もはやマニアックな連中の溜まり場と化している。変な奴が多いこともあってか、立ち読みに対しても寛大で、最も長い時間立ち読みをしている店だ。


 立ち読みだけの来店なので、いささか心苦しいのだが、この古本屋にいる連中はいつも決まっているため、変な居心地の良さはある。


 そんな中、必ず閉店時間まで滞在している二人がいる。


 この二人は、いつ来ても必ずいる。


 二人ともライトノベルコーナーで、食い入るように立ち読みしている。


 間違いなくニートである。年齢は俺とさほど変わらない。


 一人は巨漢の男で、凄まじい異臭を放っている。てらてらと光るざんばら頭に、長く伸びきった髭。黒ずんだスエットの上下に、便所サンダル。恐らく数日、否、数ヶ月は風呂に入っていないのだろう。蓄積した垢と脂が、激臭となって店内に広がっている。初めてこの古本屋に訪れた時は、この激臭に耐えかねて、数分で店を出た記憶がある。しかし行く場がなかったため、我慢して立ち読みを続けようとしたが、あまりの激臭により、頭痛と吐き気に襲われて退散する羽目となった。よく見ると店員は皆マスクをしており、この男の対策をしているようだった。以降、この古本屋を訪れる際は、自宅からくすねてきたマスクを着用している。安物のマスクでは付け焼刃に過ぎないが、しないよりはマシだった。あとは男から離れた場所で立ち読みするしかない。


 巨漢の男は、腐った魚のような目で、ライトノベルに没入している。蛍の光が鳴っても立ち読みを止める気配はない。延々、同じ体制で立ち読みを続けているにも関わらず、疲れた様子は微塵もない。ただひたすらに眼下の活字を追っている。嫌悪を露わにした店員が近づき、男を注意すると、男は濁った眼でじろりと店員を一瞥し、特に表情を変えることなく、店を出て行った。男が去ると、急激に空気が透き通ったような気がした。


 男は、すべてを諦めて生きているような気がした。


 年齢は俺とさほど変わらない。過去に何があったのか分からない。ただ感じるのは、何もかも諦めて生きているように思えた。ニートのなれの果てかもしれない。俺も人生を諦めているが、あそこまでは諦め切れない。あの男は現実で生きることを諦めて、異世界で生きているように思えた。肉体を現実に放置して、精神だけを異世界に乖離させて生きている。


 男は、ここにはいない。


 目に見えている肉体はただの抜け殻で、精神は異世界をさまよっているのだろう。


 まあ、俺の勝手な妄想なのだが。


 そんな男がいた場所から、少し離れた場所で、静かに立ち読みしている男がいる。


 精悍な顔立ちで、髪もきちんと整えられ、髭も綺麗に剃られている。服装もカジュアルなものでまとめられており、駐車場には男が乗る大型のSUV車が停まっている。


 一見するとニートとは思えない。しかしこの男には違和感があった。


 ファッションもマイカーも、すべて二十年前に流行したものだ。


 この男を見るたび、大学時代を思い出す。特に華やかなキャンバスライフを送っていたリア充たちは、この男のようなファッションを着こなし、大型のSUV車に彼女を乗せ、デートに繰り出していた。当時のモテ男の定番スタイルだ。


 それが今の時代になると、急激に違和感に変わる。


 この男の周囲だけ、時が止まっているように見えた。


 服装の柄やデザインも古臭い。大型SUV車は気の毒なほど年季が入っており、今では到底見かけることのない車種だ。


 この男は現実で生きることを諦めて、過去に生きているように思えた。肉体を現実に放置して、精神だけ過去に乖離させて生きている。


 少なくとも二十年前は順調に人生を歩めていたのだろう。しかし、何かが、この男の人生を狂わせ、現実を諦めさせ、精神を過去に定着させてしまったのだろう。この男にとって過去は、輝かしく華々しい世界だったのかもしれない。自慢のファッションに身を包み、自慢のSUVに、自慢の彼女を乗せ、楽しくデートしていたのかもしれない。しかし、今となっては、ただの記憶であり、決して戻ることのできない過去である。それでも男は過去に縋り続け、過去に生きている。


 男は、ここにはいない。


 目に見えている男の肉体はただの抜け殻で、精神は過去をさまよっているだろう。


 まあ、俺の勝手な妄想なのだが。


 そんな男も、俯きがちにそそくさと店を出て行った。


 店員の冷たい視線が俺に集中する。店員から見れば、俺も迷惑なニートの一人だ。俺は、店員と目を合わせることなく、足早に店を出た。


 凍えるような寒さが肌を突いた。


 外は異様なほど冷え切っていた。


 アスファルトの底から立ち上がる冷気が、薄っぺらいスニーカーの底を貫通し、足の指先が痺れた。吹きすさぶ寒風が耳を刺し、ひりつくような痛みが走った。


 寒い。


 とても寒い。


 とてもとても寒い。


 俺は寒風に逆らうように歩き出した。徐々に足の感覚がなくなっていく。頬や耳はじんじんと痺れていき、両目は乾ききっている。


 古本屋から自宅まで、およそ一時間の道のり。


 この極寒の世界を一時間かけて歩かなければならない。


 俺は気が遠くなった。


 少しでも身体を温めるため走ろうとしたが、古本屋を何軒も梯子した上、長時間の立ち読みにより、足は完全に疲れ切っていた。もう走る余力など残っていない。


 俺は寒さに崩れ落ちそうになる身体を支えながら、必死で前へと歩いた。


 一月四日の深夜。街は静まり返っている。人の姿はなく、街灯の灯りだけがアスファルトを照らしている。


 ふと、さっきまで古本屋にいた二人のことを思い出した。


 異世界に生きる男。


 過去に生きる男。


 では、俺は、どこに生きているのだろうか。


 異世界でも過去でもなく、どこに生きているのだろうか。


 俺は、どこに存在しているのだろうか。


 毎日、毎日、生きるだけの日々。


 ただ、それだけの日々。


 社会の歯車から完全に外れてしまった存在。


 何の生産性もないただのガラクタ。


 でも、そのガラクタは現実に存在している。


 異世界にも過去にも存在せず、現実に存在している。


 ここまで堕ちて、まだ現実への復帰を渇望しているのだろうか。


 使い道のないガラクタが、部品として戻ろうとしているのか。


 そう考えると、なぜか怒りが込み上げてきた。


 人生を諦めきれていない自分に対し、怒りが込み上げてきた。


 俺は、あの二人とは違う。


 その残りカスのような自尊心と虚栄心に怒りが込み上げた。


 認めようとしない自分に怒りが込み上げた。


 ふいに風が止まった。


 しんと静まり返った世界に、俺は取り残された。


 嫌な予感がした。


 すると、濃紺の空から、白い塊が下りて来た。


 何気なく開いた掌に、白い塊がふわりと着地して、じわりと溶けていった。


 雪だった。


 しんと静まり返った世界に、音もなく降り始めた雪。その勢いは次第に増していき、アスファルトは瞬く間に白く染まっていった。


 歩くたびに薄っぺらいスニーカーに雪が浸透していき、足先が凍り付いていった。俺は恐怖を感じ、必死で走ろうとしたが、雪に足を取られて、上手く走ることができなかった。


 大粒の雪は、容赦なく降り注ぎ、世界を白へと飲み込んでいく。


 全身を雪に襲われ、急激な体温の低下を感じた。


 自宅までの道のりは果てしない。


 このまま無事に自宅まで辿り着くことができるのだろうか。


 途端、凄まじい恐怖が込み上げてきた。


 これは死の恐怖なのだろうか。


 死。


 俺は死んでしまうのだろうか。


 こんな道端で最期を迎えてしまうのだろうか。


 早朝には雪に埋もれた死屍を晒しているのだろうか。


 恐怖に怯えながら必死で歩みを進める。


 しかし、雪が滑って上手く歩けない。


 死にたくない。


 死にたくない。


 死にたくない。


 刹那、嘲笑うかのように、靴底が雪に掴まれた。


 ああっ。


 俺は、その場に崩れ落ちた。


 憎々しい雪が舞い散った。そして追い打ちをかけるように、背中に雪が降り積もっていった。


 寒い。


 とても寒い。


 とてもとても寒い。


 とてもとてもとても寒い。


 とてもとてもとてもとても寒い。


 とてもとてもとてもとてもとても寒い。


 どうしてこんなにも寒いのか。


 ああ寒い。寒い。寒い。寒い。寒い。寒い。


 どうしてこうなってしまったのか。


 何がどうなってこうなってしまったのか。


 分からない。


 今、ここで、自分が死にかけている理由が分からない。


 どこからだ。


 どこから道を間違えたのだ。


 どこまで遡れば、今とは違う世界に行き着くのか。


 分からない。


 もう考えられない。


 何も考えらない。


 ただ、消えつつある命の奥底で、じりじりと燃えている黒い塊があった。


 黒い塊はこちらを睨んでいる。


 怠惰の獣。


 心臓の鼓動が激しく波打つ。


 いやな高鳴りだ。


 もし、この身体が動くのであれば、今の俺ならば、己の牙で、己の爪で、己の全身を徹底的に嚙み千切り、切り裂くだろう。


 この嫌な心臓の高鳴りは、怒りだ。


 怠惰の獣への怒りだ。


 己への怒りだ。


 だが、悲しいことに身体を動かすことはできなかった。


 この醜い獣へ鉄槌を下すことはできなかった。


 暴発しそうな怒りを抱えたまま、俺は雪に覆われたアスファルトに沈み込んだ。


「ああぁあああぁああぁあああぁァァァァァァッ!」


 俺は咆哮していた。


 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。


 寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い。


 もう何も分からない。


 何もかもが憎く、何もかもが寒い。


 この憎しみのまま、屠りたい。


 自分を屠りたい。


 本能のままに屠りたい。


 醜い獣を屠りたい。


 俺は吼え続けた。


 獣となって吼え続けた。


 と、その時。


 俺の身体に、ふわりと何かが掛けられた。


 それはとても柔らかく、温かった。


 激しく波打っていた心臓の鼓動が、徐々に穏やかになっていった。


 俺の背には、見覚えのある毛布が掛けられていた。


 淡いベージュの毛布。


 毛布は俺の身体を優しく包み始めた。


 ああ。


 温かい。


 凍り付いていた身体が、心が、少しずつ溶かされていく。


 俺は、穏やかな微睡の中へと引き込まれていった。

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