第24話 この宇宙を救えるのは、貴方たちしかいません

「わーい、くるみなのだ」


 くるみそっくりのラブドールに抱きつくエヴェリーナ。


「うーん、どうみても、くるみちゃんだよな?」


 眉間にシワを寄せて、くるみそっくりのラブドールを睨む毒島。


「そもそも、お前はくるみと一緒に出かけていたんだろ。どう考えても、俺の部屋にくるみがいるのはおかしいだろ」


「そりゃそうだよな。オレ、くるみちゃんのことになると、アタマより先にカラダが動いちまうんだ。ありゃあ、どう見たって、オッサンが、くるみちゃんを襲ってたようにしか見えなかったもんな」


「だから、あれはくるみじゃない。ただの人形だ!」


「どうみても本物にしか見えないな」


 そう言いながら、くるみそっくりのラブドールに抱きつく毒島。他人に恐ろしいほど厳しく、自分に恐ろしいほど甘い元殺し屋だ。


「そんなに似てるのかなぁ、自分じゃあまり分かんないなぁ」


 くるみが自分そっくりのラブドールをまじまじと見つめながら言った。


「間違いなく、この人形を作ったのは、お前の知り合いだ」


「そう考えると気持ち悪いね」


「そうだな。ここまでお前に似せる執念は、おぞましさすら感じるな」


「ところで、おじ兄さんは、あたしそっくりの人形で、何をしようとしてたの?」


 くるみが顔を近づけた。俺の中で背徳感と罪悪感が一気に引き戻された。


「これは、お前たちを驚かせようと思って借りたんだ。部屋に戻ったら、くるみが二人になっている的な感じだ。お前たちが帰って来る前に、部屋に仕込もうと思ったんだが、お前たちが思いのほか帰って来るのが早かったんで、仕込むことができなかったんだ」


 取って付けた様な言い訳だが、それほど不自然さはないはずだ。


「おじ兄さんがあたしたちにドッキリ? そんなことするキャラだっけ? おじ兄さんってぐうたらキャラでしょ。面倒くさいことは、ぜったいにやらない、ぐうたらキャラだよね?」


 図星である。ドッキリやサプライズといった面倒くさいことは、考えるだけでげんなりする。


「それに、ドクちゃんが言うには、その人形に何かしようとしてたんでしょ?」


「いや、それは……」


「なにしようとしてたの?」


 優しく唇を重ねようとしていただけさ、などと言えるわけがない。


 ラブドールとじゃれている毒島とエヴェリーナに背を向け、くるみは俺の正面に立ち、こちらを睨みつけてきた。そして、俺の鼻先を力強く摘まんだ。痛みに思わず悲鳴を上げた。吸血鬼の膂力だ。鼻がもげそうになるほどの痛みだ。くるみは口許を綻ばせながら耳元で囁いた。


「キスしようとしてたんでしょ? あたしじゃなく、人形に」


 小声にも関わらずドスの利いた声。


 怒っているのですか。一体、何に。


「そういう卑怯なマネは止めてよね。あたしとキスしたいのなら、あたしに頼むのが筋でしょ?」


 いやいや、筋を通すと色々と厄介なことになるから、世のモテない男性諸君は、代替品で我慢しているのだよ、と反駁したかったが、鼻を摘ままれているため、上手く言語化できない。


「次は、ちゃんとあたしに言ってよね」


 くるみは勢いよく鼻を引っ張り、パチンと手を離した。俺は悲鳴を上げてしゃがみ込み、鼻が引き千切れていないか、必死で顔をさすった。そんな俺の姿を嬉々とした様子で見下ろすくるみ。やはりこの女、真性のサディストだ。しかも日増しに猟奇性が増してきている。恐ろしい。いずれ嬲り殺されるのではないかと戦慄してしまう。


「ふん、じゃあ、言ったら、ちゃんとオッケーしてくれるのかよ」


 俺は鼻をさすりながら、くるみを見上げた。これでも一応は中年男性だ。このラッキーチャンスを見逃すほど純朴で硬派ではない。


「もちろん。キスはサービスに含まれていますから」


「確かに」


 彼女からの諸々のサービスはまだ何も実行されていない。彼女を指名してからもう二週間。本来であれば、とんでもない延長料金を請求されているはずだが。


 兎に角、ここまで言われて黙っていられるほど中年男性はお人好しではない。俺は立ち上がり、くるみの顔を見つめた。彼女は大きな鳶色の瞳でこちらをじっと見つめながら、悪戯に微笑んだ。ほのかに膨らんだ形の良いピンクの唇に心臓が高鳴った。彼女は黙ったまま、視線を外そうとしない。俺に言わせる気が満々なのが分かる。くっ、その余裕が妙に鼻につく。俺も男だ。言ってやる。言ってやるよ。


 四十代のオッサンが二十代の女の子に言うのだ。「キスさせて下さい」と。


 言ってやる。言ってやるよ。恥も外聞も捨て、その屈辱に満ちた言葉を。自尊心も虚栄心も遥か昔に失った俺ならば言えるはずだ。自信を持て。俺なら言える。


 俺なら言えるっ!


「オイ、なにブツブツ言ってんだ?」


 はっ、と我に返ると、右横で毒島がメンチを切っていた。


「気持ちの悪い奴じゃのう」


 はっ、と振り向くと、左横でエヴェリーナが呆れた眼差しを送っていた。


「あーあ、おじ兄さん。時間切れ」


 からかうようにそう言い放つと、くるみは踵を返し、自分そっくりのラブドールの横に腰を下ろした。


 俺は安堵を吐き出すと同時に、後悔の念が込み上げてきた。人生大負け組の俺でも、まだ自尊心と虚栄心があったのか、と呆れてしまった。


 俺は高鳴っていた心臓を抑えながら、くるみを一瞥した。


 くるみとラブドールが並んで座っている。


 黙っていたら、どちらが本物なのか分からなくなる。両方ともに心臓が高鳴っている。


「そ、そういえば、お前ら、ずいぶんと戻って来るのが早かったな」


 とりあえず当たり障りのない会話で、この熱を帯びた肉体を冷却することにしよう。


「街の様子がおかしかったからな、早めに戻って来たんだ」


 毒島が答える。


「街の様子がおかしい?」


「ああ、今日はエベの飯のために、ヤクザの事務所に行ったんだ」


 ファミレス感覚で言っているが、行為は立派なカチコミである。


「いつものようにくるみちゃんの魔法で、事務所にいたヤクザの手足を砕いてもらって、エベの飯を用意したんだ」


 あたかも調理したような良い草だが、行為は立派なカチコミである。


「ちなみにオレは、エベがヤクザどもの血を啜っている間、奴らから拳銃を頂いてきた。オレは月が出ないとオオカミになれないからな。となると、やっぱ武器は必要だろ」


 毒島は両太腿のホルスターから、二丁の拳銃を取り出した。


「しっかし、ロシア製のポンコツ拳銃は、軽すぎて使いづらいぜ」


 二丁拳銃スタイルで、こちらに銃口を向ける毒島。やめろ、脳天撃たれても死ぬことはないが痛みは人間の時と変わらない。これは不死人あるあるだ。


「で、何があったんだ。話しを続けろ」


「ああ、エベが血を吸っている最中に、ヤクザが呻き声を上げて苦しみ出したんだ」


「エヴェリーナの毒で吸血鬼化したのか?」


「いや、それはないな。エベはコウモリになって血を吸ってたし、それに血を吸われていないヤクザも同じように苦しみ出したんだ」


「なんだそりゃ。連中はヤバイ薬でもやってたのか?」


「分かんねえ。しかも苦しんでいたヤクザどもが、急に襲い掛かってきたんだ」


「手足が砕かれている状態で襲い掛ってきたのか? 一体どうやって」


「砕かれている手足を地面に叩き付けて飛び掛かってきた」


「おいおい、凄まじい仁義だな」


「いや、仁義とは違う。オレたちがその場から離れると、ヤクザどもは互いに噛みつき合って殺し合いを始めたんだ」


「敵味方関係なく殺し合いを始めたってことか」


 どう考えてもヤバイ薬だろう。見境なく殺し合う薬。まさか、狂戦士バーサーカーになる薬か。


「さすがに気味が悪くなったんで、すぐに事務所を出たんだ。そしたら、そこら中で苦しんでいる連中がいて、なんか街中、かなりヤバい空気になってたんだ。で、巻き込まれそうだったんで、くるみちゃんの魔法で空を飛んで戻って来たってわけだ」


 くるみにそんな便利な魔法があったとは初耳だ。


「話の流れからすると、苦しみ出した人間は、互いに殺し合いを始めるってことか」


 意味が分からない。どこぞの世界征服を企む秘密結社が、人間の攻撃的な神経に作用するウイルスでもばら撒いたのだろうか。


 突如、窓の外で怒号と悲鳴がこだました。


 ※ ※  ※


 窓の外は、阿鼻叫喚の坩堝と化していた。


 歓楽街を行きかう人々が突如として狂気に駆られ、互いに殺し合いをしている。それも、殴る、蹴る、噛みつく、といった極めて原始的な殺し合いだ。狂人と化した人間は、周囲の人間に無差別に襲い掛かり、容赦なく拳を叩き込み、蹴りを突き刺し、顔面に齧り付いている。路上には盛大に鮮血が迸り、金切り声が響いている。狂人化は男女に関係なく、両性が入り混じり、当然のように殺し合いを続けている。


「おいおい、どうなってんだこりゃ」


 眼下に広がる地獄絵図に唖然となった。


「みんな頭おかしくなっちまったのか?」


 毒島が窓から身を乗り出して眺めている。


「見てらんないよ」


 くるみが目をつぶって両手で耳を塞いだ。


「どうやらこれは、何らかの浸蝕を受けておるな」


 眉間にシワを寄せ、エヴェリーナが呟く。


「お前、この状況が何なのか分かるのか?」


「分からん。だが一つだけ分かっておるのが、この浸蝕は人間に対してのみ行われていると言うことだ。現に吾輩たちは浸蝕を受けておらん」


「確かに。俺たちは何ともないな。よく分からんが、吸血鬼はその浸蝕を受けないのか?」


《はい、その通りです》


 ふいに電子的な声が聞こえた。


 声音の方へ視線を向けると、くるみがラブドールと隣り合って座っていた。


「何か言ったか?」


 俺が訊くと、くるみは目を丸くしてかぶりを振った。


 空耳だろうか。確かに電子的な女性の声が聞こえた気がしたが、この狂った状況に直面して、己の脳まで狂ってしまったのだろうか。


「この浸蝕は、人間の精神に直接浸透しておるようじゃな。どこか厳命と似ておる。ただ、厳命は、主が下僕の血中内にある毒を通して精神に浸透するのじゃが、どうもこれは、虚空から直接浸透しておるように見えるな」


《はい、その通りです》


 また電子的な声が聞こえた。


 咄嗟にくるみの方へ視線を向けるが、彼女は必死で首を横に振った。


 また空耳か。本当に空耳か? 誰も聞こえなかったのか。険しい表情を浮かべながら思考を巡らせているエヴェリーナ。窓の外に広がる地獄絵図を興味津々に見下ろしている毒島。それぞれの理由で集中しているため、聞こえなかったのだろうか。


「やっぱ、何か言っただろ?」


 俺がくるみに訊くと、彼女は顔をこわばらせて、ある方向へ指を差した。


 その刹那、部屋の扉が乱暴に破壊され、全裸の男女が四つん這いでまろび出た。眼窩から目玉が飛び出し、だらしなく開け放たれた口腔からは、血液の混じった唾液が垂れ、赤黒い粘液が床にぬめり落ちた。女は髪の毛を逆立たせ、男は体毛を逆立たせている。その姿に人間の面影は一切なかった。


 そのあまりの異形さに、俺は立ち竦んでしまった。その瞬間を狙ったかのように全裸の男女がこちらへ飛び掛かってきた。


 次の瞬間、銃声がこだました。


 男女の頭部が同時に弾け、裸体を弓なりに曲げ、鮮血を撒き散らしながら、床を豪快に転がっていった。


「なんだ、コイツら、本当に人間かっ?」


 頭部を撃たれたにも関わらず、男女は唸り声を上げている。


「やっぱり、コイツら見境なく襲ってくるな」


 刹那、部屋の外で、獣どもの咆哮が聞こえた。


「急げ、獣どもがここに押し掛けたら厄介なことになるぞっ!」


 エヴェリーナに先導され、俺たちは呻吟する二匹の獣を跳び越えて部屋を出た。


 ※ ※  ※


 ホテルの屋上から、歓楽街を一望することが出来た。


 どこまでも地獄絵図が広がっていた。怒号と悲鳴は遥か彼方からも聞こえてくる。騒動は都市全体にまで及んでいるのだろうか。しかも、白昼堂々殺し合いが起こっているにも関わらず、警察が駆け付ける様子はない。もしや警察も獣と化してしまったのだろうか。


 ふいに足元から奇声が響いた。


 ホテル内では、獣と化した客同士が壮絶な殺し合いを繰り広げているのだろう。先刻まで愛し合っていたはずのカップルが、容赦なく屠り合う光景が目に浮かぶ。ちなみに屋上の出入口は、くるみの魔法で破壊しているため、獣どもがここまで登って来ることはない。


「こりゃあ、地上に下りるのは難しそうだな」


 歓楽街を駆け回っている獣どもを見て、毒島は頭を抱えた。


「吾輩たちが人間如きに後れを取ることは万に一つとしてないが、あの数の人間を退けながらこの地を逃れるのは、さすがに骨が折れるな」


 いくら吸血鬼の膂力と異能があっても制限がある。くるみの魔力は強力だが、すぐにMPが足りなくなってしまう。毒島の狼化も強力だが、月が出ていないと変身することすらできない。俺のマンドレークに至っては、無差別大量虐殺を行ってしまうため、簡単に使うことはできない。まったく、縛りプレイ上等の異能ばかりだ。


「そういえば、お前らくるみの空飛ぶ魔法で戻って来たんだろ? それ使ってここから逃げ出すことはできないのか?」


「悪いが、今のくるみの魔力では、吾輩たちを連れて長時間飛ぶのは難しい。途中で落下してしまうじゃろう」


「獣の群れの只中に落ちるのは、勘弁してもらいたいな」


「そもそも、この地から逃れることができたとして、その先に安住の地が待っておる保障なぞなかろう」


 人間の獣化が、どれほどの規模で蔓延しているのか定かでない。最悪、世界中で蔓延しているかもしれない。


「まるで戦争が始まったみたいだね」


 ぼんやりと遠くを眺めながら、くるみが呟いた。


 人間の歴史は欲に塗れた歴史だ。己の欲を満たすために、同族を容赦なく殺す猿。それが人間だ。これほど特異な猿が自然界にいただろうか。家族や食料や縄張りを護るために殺し合う動物は数多いるが、己の欲を満たすために殺し合う動物は人間だけだ。そんな欲に憑かれた醜い猿が、こうやって互いに殺し合うのは必然なのかもしれない。今が、そのなれの果てなのかもしれない。


「戦争か。世界は、また混沌へと向かっているのか……」


《はい、その通りです》


 またも電子的な声が聞こえた。


 思わずくるみへと視線を向ける。そこに二人のくるみが立っていた。一方は無表情を貼りつけ、もう一方は怯えた表情を浮かべている。


《このままでは、この世界は混沌と坩堝へと堕ちていきます》


 無表情のくるみがゆっくりと口を開いた。


 奇妙な静寂が落ちた。


 その場の全員が目を丸くしている。


《もう、この世界、いや、この宇宙を救えるのは貴方たちしかいません。どうか私たちに力を貸して下さい》


 無表情のくるみが、ぎこちない動きで手を広げた。


「これはどういうことだ?」


 俺は、くるみ、毒島、エヴェリーナの順番で視線を向ける。三人ともが黙ったまま小首を傾げた。


 俺は、無表情のくるみを指さして言った。


「なぜ、ラブドールがここにいる!」


 俺は続ける。


「なぜ、ラブドールが話している!」


 その問いは、虚しくも屋上の空へと消えた。

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