第21話 マンドレーク
かつて中世ドイツで、処刑によって死んだ罪人の血液と精液を養分として咲く花があると言い伝えられていた。
それが、マンドレークである。
マンドレークは人間の形をした植物で、人間の血液と精液を養分として育つ。しかし普通の人間の血液や精液で発芽することはない。憎悪や怨嗟を叫びながら死んだ人間の血液と精液でしか発芽しない。よって各地の民間伝承では、迫害を受けて殺された魔女や妖術師の墓場に咲くと言い伝えられていた。これは、血液を養分として育つ植物として、吸血鬼との共通点があり、悪霊の花とも呼ばれている。ここまでが、俺が図書館で得た知識なのだが、まさか自分の頭から生えるとは、想像すらしていなかった。
「貴様の汚泥の如き糞不味い血は、罪人の死屍と変わらぬということだ。更に貴様の心魂は薄汚い情念に染まっておる。だからマンドレークなどが咲くのだっ!」
酷い言われようだ。こちらとしては、咲かせたくて咲かせたのではない。勝手に咲いたのだ。
「へえ、でもキレイな花だけどなぁ」
くるみが俺の頭に触れようとした時、エヴェリーナが彼女の手を叩いた。
「触るなっ、毒に侵されるぞっ!」
「おっ、おい、ちょっと、待て、俺はさっき葉っぱみたいのに触ったぞ!」
「貴様はもうすでにマンドレークじゃ。己の毒に侵される間抜けがどこにおるっ!」
ごもっともである。しかし、どうにも汚物扱いがすぎる。人権侵害、否、植物侵害だ。
「マンドレークは花弁、茎、葉まで猛毒がある。触れれば吸血鬼とはいえどもただでは済まぬ。しかも根には……」
「だよな、根っこが一番ヤバイんだよな」
引っこ抜くと、大変なことになるのは有名な話だ。
「ああ、だから吾輩の命令なくマンドレークを抜くことを禁じる」
「抜くって、抜いたらどうなるんだ。もしかして死ぬのか?」
「そう簡単に吸血鬼が死ぬかっ、半日もすれば、また生えてくる」
「ん、てことは、俺は一生アタマのてっぺんに花を咲かせてるってことか?」
「そうだ」
「ふざけんなっ、こんなおめでたい頭で、これからの人生、生きていけるかっ!」
「知るかっ、貴様の血と心根を呪えっ!」
畜生、どうせなるなら、俺もくるみにみたいな、魔法使いになりたかった。糞ったれ、もし童貞だったら結果は変わっていたのか。もう分からん。
「二人とも、今は言い争って場合じゃないよ。敵さんの準備ができたみたい」
努めて冷静なくるみ。確かに、今はこの糞餓鬼と反駁し合っている場合ではない。この島からの脱出が優先だ。
吸血鬼ハンターたちは、続々と集まり、着実に隊列を組み、こちらへの戦闘態勢を整えている。
「こりゃあ、ガチで狩りに来るパターンだな」
「ふん、好都合だ。連中が隊列を組み、こちらへ突撃してきた瞬間を狙う」
「狙う? どういう意味だ?」
「貴様のマンドレークを引き抜く!」
島中に散らばっていた兵士が、次々に集結していく。連中の目的がエヴェリーナの捕縛であることを実感する。そして、敵の必死さが伝わる。もしかすると、彼女の存在が、永きに渡る吸血鬼との戦争に一石を投じることになるのかもしれない。彼女から生まれた吸血鬼ハンターが、幾星霜にも渡る戦火に終止符を打つかもしれない。
が。
吸血鬼と吸血鬼ハンターによる千年戦争など知ったこっちゃないない。どっちが勝ってもどうでもいいことだ。俺には関係ない。それでも巻き込まれているのは事実だ。もはや己が生き残るための選択肢に縋るしかない。糞ったれ。親父の遺産で細々と生きていくはずの余生が、狂いそうなほど騒々しいものになってしまった。誰のせいだ。分かっている。お前のせいだ。と、くるみを睨むと、彼女は俺に向けて、拳をぎゅっと握りしめた。どうやら俺が心中で並べていた呪詛が、彼女には決意に見えたようだ。
そんなことを考えている間に、全軍が眼前に集結したようだ。一糸乱れぬ動きで隊列を組み、中隊長代理的存在のオッサンが怒号を上げて指揮を執っている。
「来るか……」
次の瞬間、吸血鬼ハンター軍が銃を構え、こちらへ一斉に突撃して来た。その動きに呼応するように、エヴェリーナがくるみから離れ、息を大きく吸い、大声を張り上げた。
《全員、耳を塞げっ!》
その声は強烈な強制力を帯びて、脳内に共鳴した。肉体が勝手に反応して、両手で両耳を強く硬く塞いだ。見るとくるみも毒島も耳を塞いでいる。不思議そうに目を丸くしたまま。
「今だっ、マンドレークを引き抜けぇっ!」
エヴェリーナの強制力を宿した怒鳴りに、俺の右手は勝手に頭の頂点へと向かい、見た目もよく分からない植物を鷲掴みにして、力任せに引っこ抜いた。
俺は、右手に握られている花に目を落とした。
小さな朱色の花だ。道端に生えていても気にならない普通の花だ。だが根っこは歪な形をしていた。頭、手、足と完全に人間の形をしている。手足は五本の指が生えそろい、顔には目鼻口がくっきりと刻まれていた。その顔は髭の生えた痩せた老人ように見えた。老人は険しい表情で瞼を閉じて、口許をへの字に結んでいた。
「お、おい、なんだ、この小汚いジジイは?」
俺の質問は空を切った。
ふと、足元に視線を落とすと、エヴェリーナは、地面にしゃがみ込んで、硬く耳を塞いでいる。
嫌な緊張感が走った。
刹那、俺の手元で呻き声が響いた。慌てて視線を向けると、小汚いジジイが小刻みに震えている。そして、ゆっくりと瞼が開かれた。黒曜石のような光沢のある不気味な黒い目。意識のない無機質な目。背筋に猛烈な寒気が走った。
コイツに躊躇などは存在しない。
あるのは容赦のない虐殺だけだ。
そう本能的に感じた、次の瞬間、黒曜石の瞳から、じんわりと血が滲み、口が千切れるほど裂け上がった。
凄絶な悲鳴が迸った。
※ ※ ※
白の世界。
静寂。
その白は、視覚によるものではない。
意識下で、その白を感じ取っているに過ぎない。
俺の五感は完全に停止している。何も感じない。ただ、意識下で広漠な白が広がっていた。
その白の至る所に僅かな歪があり、絶えず万華鏡の内部ように細かく動いていた。それは白く平面な世界に僅かばかりの立体感を生み出していた。
俺は、どうしてこんな世界にいるのだろう。
確か、マンドレークを引き抜いて、とんでもない悲鳴を聞いたところまでは覚えている。
ここは、あの世なのか。
そう問いかけた時、俺の意識は急激に白の世界から引き摺り起こされた。
黒の世界。
静寂。
鼻の下に水気を感じ、手の甲で鼻を拭うと、べったりと血液が付着していた。俺は自分の鼻血で我に返った。
世界は一変していた。
眼前まで迫っていた吸血鬼ハンターたちが一人もいない。恐る恐る視線を下に向けると、幾重にも重なり、倒れ込む兵士たちの姿があった。誰もが目、耳、鼻、口から大量の血液を流しており、微動しない。俺は慌ててくるみたちに視線を向けた。三人とも耳を抑えたまま蹲っている。
「おっ、おい、どうなってんだ、こりゃ」
エヴェリーナが、ゆっくりと耳から手を放し、蹌踉しながら立ち上がり、こちらを見上げた。
「こ、これがマンドレークの悲鳴じゃ……」
と、言った瞬間、ぶはぁっ、と盛大に吐血した。
「お、おいっ、大丈夫かっ!」
エヴェリーナは口許を拭い「問題ない」と呟いた。
「マンドレークの悲鳴は耳から入って内臓を破壊する。吸血鬼の再生能力を有しておれば、耳を塞ぐことで悲鳴の衝撃を軽減することはできる。まあ完全に防ぎ切ることは不可能だがな」
と、言って再び、ぶはぁっ、と吐血した。
くるみも毒島も耳を塞いだまま倒れ込んでいる。どうやら気絶しているようだ。
「だが、ダムピール軍には、壊滅的な打撃を与えることに成功した」
「全滅できたのか?」
「いや、連中も半分は吸血鬼だ。時が経てば必ず復活する。しかし連中の内臓と骨は木っ端微塵になっておる。復活には相当な時間を有するはずじゃ!」
マンドレークを引き抜くと、悲鳴が上がり、その悲鳴を聞いた者は死んでしまうと言われている。しかしながら、マンドレークの根には、悪霊除けの魔力が付与されているとされており、悪魔祓いなどで利用されることがある。そのため、採取の際は、犬に縄を結び、マンドレークに括りつけて引かせるらしい。これも図書館で得た知識だが、悪いがそんなレベルではない。悲鳴の広がる範囲がえげつない。犬に引っこ抜かせても即死レベルだ。
これが、高潔かつ純血なる吸血鬼の血によって咲いたマンドレークの力なのか。
「ヤバすぎだろ」
俺は、握りしめているマンドレークに視線に落とした。花は枯れ、根はぼろぼろと砕け散っていった。小汚いジジイは、どこか安らかな表情を浮かべている。大量虐殺の後とは思えないほど幸せそうだ。
「何を呆けておる。今が島を脱出するチャンスであろう!」
と、言って三度、ぶはぁっ、と吐血し、その場にへたり込んだ。
「そ、そうだったな」
「連中ほどではないが、吾輩も相応の衝撃を受けておる。内臓と骨がある程度回復するまで、暫しの時が必要じゃ」
頭を切り替え、俺は思考を巡らせた。
くるみと毒島の状況を鑑みても、今すぐの脱出は不可能だ。一瞬、俺一人で逃げればいいのではないか、と思ったが、今の俺はエヴェリーナの眷属だ。主から放たれる厳命による強制力は、マンドレークを引き抜く時に実感した。逆らうことは不可能だ。糞ったれ、この糞餓鬼に永遠に仕える羽目になるとは、最悪を越えて絶望である。己の命と引き換えに奴隷になった気分だ。だったらもうやけくそだ。島中の吸血鬼も脱出させてやる。吸血鬼の集団の中にいれば、吸血鬼ハンターに狙われる確率が下がる算段だ。
俺は、船着き場へと走った。
船着き場には多くの漁船が停泊していた。中を覗いてみると、拳銃で武装した血塗れの漁師とヤクザがごろごろ転がっていた。どれほど暴力を盾に威圧しても、所詮は人間。マンドレークの悲鳴の前には成す術もなかったようだ。俺は漁船に飛び乗り、吐き気を催しながらも、転がっている死体を次々に海へ投げ込んだ。此処ら一帯の魚はさぞ肥え太ることだろう。俺は船から船へと飛び移り、死体をポンポン海に投げ捨てていった。吸血鬼の膂力があれば、筋肉質の男でも大した重さを感じない。簡単に海へ放り投げることができる。俺は与えられた業務を淡々とこなす作業員のように、死体を海へと捨てていった。
そして、ふと、あることに気が付いた。
この死体を生み出したのが、自分だということに。
無論、船上に転がる漁師とヤクザに慈悲など生まれない。この連中が世間に散々振り撒いてきた悪行のことを考えると、お亡くなりになってくれたほうが、世のため人のためである。
が、俺は、一体、何人の人間を殺したのだろうか。
マンドレークの悲鳴はどこまで響いたのだろうか。もしも海を越えて陸にまで届いたのならば、多くの罪なき人間まで殺したことになる。俺は込み上げて来るであろう罪悪感を恐れた。しかし、不思議と罪悪感は生まれなかった。これは種族の違いによるものなのか。それとも人間の醜悪さに呆れ果てていたからなのか。よく分からない。ただ人間の死に対して、抵抗感がなくなったことは確かだ。そもそも今回は、正当防衛による事故に過ぎない。マンドレークの悲鳴がなければ、確実に殺されていた。見知らぬ人間の命よりも、己の命のほうが大事に決まっている。罪悪感など生まれるはずがない。とにかく今は、船上に転がる邪魔な肉塊を捨てて、一人でも多くの吸血鬼が船に乗れるようにしなければならない。
その一心で、俺は死体を海へと捨て続けた。
すべての死体を捨てた俺は、エヴェリーナの元に戻った。すると、エヴェリーナもくるみもついでに毒島も復活を果たしていた。
「おじ兄さん、おかえり、やったね」
くるみが笑顔で駆け寄って来た。唇が赤く濡れている。吐血の後だろう。途端、俺は罪悪感に襲われた。彼女の内臓や骨に衝撃を与えたことに胸が痛くなった。今まで込み上げることなかった罪悪感が、くるみを傷つけたことに対して容赦なく込み上げてきた。近しい間柄だから当然かもしれないが、この異常ともいえる罪悪感の差異に、我ながらうすら寒さを感じた。
「オッサン、やるじゃねえかっ!」
毒島が鼻血を拭いながら近づいて来た。コイツに関しては、微塵も罪悪感は生まれてこない。
「貴様のような汚穢を眷属にしたことは、我ら貴族の歴史において慙死ともいえる汚点ではあるが、やもえまい、今回に限っては称揚してやろう」
エヴェリーナが口の端に血の泡を立てながら偉そうに言った。コイツに対しても、微塵も罪悪感は生まれてこない。
「とにかく、生き残った奴らを連れて、さっさとこの島から逃げるぞ!」
俺の言葉に、一瞬、目を丸くするくるみと毒島だったが、すぐに真剣な表情に変わり小さく頷いた。
「わかった。みんなで手分けして探そう!」
「やっぱ、同じ吸血鬼として放っておけねえからな!」
この短時間で仲間意識が芽生えるとは、つくづく純粋で単純な奴らである。生き残った連中を集めるのは、吸血鬼ハンターに狙われる確率を低くして、俺の生存率を上げるためだ。救済など毛頭ない。が、そんなことを言うと、色々と面倒なことになりそうなので伏せておくことにした。
「その必要はない」
エヴェリーナが言い放った。
「どういうことだ?」
「吾輩が呼び寄せる」
「そんな妖術が使えるのか?」
「貴様からマンドレークを引き抜く直前、厳命をしたであろう」
「あのテレパシーみたいなやつか」
――全員、耳を塞げ。
この声は脳内に響き渡り、強制的に耳を塞がせた。これが厳命というやつなのか。
エヴェリーナは大きく息を吸い込むと、大声で叫んだ。
《全員、吾輩の元へ集まれぇっ!》
エヴェリーナの叫びは、鼓膜へ振動すると共に、脳内に共鳴した。絶対的な命令が脳から電気信号として神経に送られ、筋肉へと反応する。抗うことは決して許されない。配下の吸血鬼を絶対服従させるための異能。それが厳命だ。この厳命がある限り、俺たちは鎖に繋がれた獣に過ぎない。そう思うとウンザリした。この糞餓鬼に半永久的に付き従うとなると、もう自由は存在しない。単なる飼い犬だ。最悪である。余生をのんべんだらりと過ごす計画がおじゃんになった。心底、糞ったれだ。
次の瞬間、瓦礫の下からゾンビのように這い出して来る吸血鬼が見えた。血塗れでふらついているが、驚異的な回復力でこちらに向かって来ている。辺りを見渡すと、四方八方からぼろ雑巾と化した吸血鬼の姿が見えた。しかし、島の娼婦の数から鑑みても、生還できているのは全体の一割にも満たないようだ。あの硝煙弾雨の中から生還していることが奇跡と言える。
「みんなっ、こっち、こっち!」
「さっさと来いっ、奴らが復活しちまうぞっ!」
くるみと毒島が大きく手を振りながら、大声を上げている。
続々とエヴェリーナの元に集まって来る吸血鬼たち。手足を失っている者もいるが、凄まじい再生能力により、血は止まり、もう新たな手足が生えかけている。ナメック星人を彷彿とさせる再生能力だ。
「ふと気付いたんだが、これだけの人数がいれば、手分けして、吸血鬼ハンターどもを海に捨てれば、勝手に憔悴して死ぬんじゃないのか?」
「ああ、瀕死の状態で海に落ちれば、ダムピールといえど復活はできまい」
「だったら、全員、海に捨てれば、俺たちの完全勝利だろ」
「お前は、この島にいるダムピール軍が、すべてだと思っているのか?」
エヴェリーナの言葉に、俺は背筋が寒くなった。
「この島に上陸したダムピール軍は、先遣隊だ」
次の瞬間、上空で地鳴りがするほどの轟音が鳴り響いた。
俺は恐る恐るかぶりを上へ向けると、濃紺の空を数えきれないほどの戦闘ヘリが埋め尽くしていた。
「本隊の上陸じゃ」
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