第19話 新世代の眷属 NEET
「これこそが
俺の真横で飛行するコウモリが、鷹揚な口調で言った。この生意気なコウモリはエヴェリーナだ。吸血鬼がコウモリに変化するのはテンプレ通りなので、今さら驚くことでもない。それよりも驚く現象が目の前で繰り広げられていた。
「うわっ、ちょっと、これ、すごいんだけど!」
四方八方から迫り来る吸血鬼ハンターどもを次々に捩じ曲げるくるみ。瓦礫の散乱した地面に、巨大なチョココロネが幾つも転がる。
「敵を見ただけで捻じ曲げることができるのか。チート級の能力だな」
「だが、ダムピールも我らと同じ不死人。すぐに銃の引き金を引ける程度までは回復するだろう。捩じ切ってしまえば、戦闘不能に陥るだろうが、くるみの理性が邪魔をしているのだろう」
「そうだな。人間を捩じ切る想像なんて簡単にできないし、したくもないな」
「ダムピールは人間ではない。吸血鬼と人間の混血児だ」
「でも半分は人間なんだろ」
「まあ、そうだが」
「見た目は人間と何ら変わらない。仮に人間じゃないと強く意識しても、俺たちの心根にある倫理観がそれを拒絶するだろ。それが健全な人間って奴だ」
「吸血鬼の分際でよく言うのう」
「いや、お前のせいだろ!」
俺は傍らでばたついているコウモリを睨みながらも、首から下は全力疾走していた。自分でも驚くようなスピードだ。しかも全く疲れない。息すら切れない。汗さえ滲まない。脚の回転数は上昇していき、更に加速している。俺は目の前の瓦礫を華麗に跳び越えた。重力を無視した凄まじい跳躍だ。しかも夜目が異常に利くため、真昼と変わらないほど周囲が見えており、瓦礫に躓くなどあり得ない。恐るべき吸血鬼の身体能力と特殊能力。くるみに至っては俺と同等、否、それ以上のスピードで疾駆しながら、敵を次々とチョココロネにしている。やはり眷属ともなると格が違う。
とにかく俺たちは、エヴェリーナの案内の元、一心不乱で、島の東北にある船着き場を目指した。周囲では吸血鬼たちの断末魔がこだましている。吸血鬼とは言え、元はこの島に連れて来られた人間の女たちだ。娼婦にされ、やがて奴隷になる運命を背負った女たちだ。そして残酷な運命に抗うため、吸血鬼になった女たちだ。結局、末路は悲惨なものに変わりなかった。この島の女に同情するつもりはないが、腹の底が煮えたぎるような感覚に歯噛みした。この島にいる女の事情は分からないが、全員が普通の人生から外れた連中だ。俺やくるみと同じだ。ぺらぺらの社会から滑り落ちて、流されて、この地に辿り着いた。自業自得の奴もいるかもしれないが、それでもこんな非人道的な世界が成り立つ社会に義憤を覚えた。そして人間社会に対して、昏い疑問を感じ始めていた。
果たして、人間の世界の必要性って何なのだろうか。
などと今は哲学に耽っている場合ではない。とにかく今は、船着き場のヤクザをぶっ飛ばして、船を奪って逃げる。それだけだ。それだけに集中しなければならない。
走れ。
とにかく今は走れ。
死ぬより前に走れ。
硝煙弾雨を掻き分け、阿鼻叫喚を払い除け、俺たちは、ようやく船着き場に辿り着いた。
が。
そこに、船は一艘も停泊していなかった。
「さすがにこの騒ぎだ。慄いて島へは来まい」
エヴェリーナは冷然と言うと、コウモリから人型へと姿を戻した。
いっそ泳いで逃げるか、と思い、海を見たが、瞬時に十字架を見た時と同じ症状が現れた。酷い船酔いに似た感覚。到底泳ぐことなどできない。
遥か前方から、チョココロネから復活した吸血鬼ハンターどもが、足を引きずりながらこちらへ向かって来ている。
「ああっ、あたしもうダメ」
くるみがへたり込んだ。俺は慌てて駆け寄った。
「おいっ、どうした!」
「もしかして、MPがなくなったのかなぁ」
「おいおい、
「MPが何なのかは知らんが、妖術は脳を介して発現する。故に莫大な集中力が必要となるため、脳が疲労すれば、おのずと妖術も使えなくなる。
万事休すである。
俺は藁にも縋る思いで、暗い海の向こうへ目を凝らした。
吸血鬼の夜目を駆使して全力で見た。
すると、海上の遥か先に小さな灯りが点々と見えた。
漁船である。
やはりヤクザどもは、この島を諦めていない。しかし、エヴェリーナの言うように、この状況に警戒しており、中々近づいて来ない。
「くそっ、さっさと来い、クズ共が」
すると、どこからともなく、漁船の灯りが一つ、また一つと増えていった。
もしや戦力を増やしているのだろうか。つまりヤクザは、やる気満々ということだ。この島のシノギを失えば、周辺海域一帯を支配している巨大ヤクザ連合は間違いなく瓦解する。そこを警察に突かれたならば、壊滅だってありえる。この島は美味しいシノギを得られる反面、失えば組織が崩壊する諸刃の剣だ。まあ、ヤクザの事情など、どうでもいいが、連中が上陸するまで、何としても時間稼ぎをしなければならない。俺は必死で思案した。
俺は、記憶の糸を辿った。
何か、術はないか。
ふと、吸血鬼ハンターどもの言葉が蘇った。
――エヴェリーナ・チェイテを発見っ、捕獲するっ!
捕獲?
「おい、なぜ吸血鬼ハンターどもは、お前を捕獲しようとしているんだ?」
吸血鬼を滅ぼすことが、吸血鬼ハンターの使命ではないのか。
「吾輩を苗床にするためだ」
「苗床? 何だそりゃ?」
「ダムピールを生み続けるための苗床だ」
「生み続けるって、マジか……」
「この世界には、ダムピール軍であっても、滅ぼすことのできない吸血鬼が数人おる。それら吸血鬼に対抗するため、吾輩のような高潔かつ純血の吸血鬼の血を受け継ぐダムピールが必要となるのだ。くるみを見ても分かるであろう。吾輩の血の恩恵を受けただけで、ダムピール軍を圧倒するだけの力を得ておる。ならば吾輩と人間の混血児となると、他の混血児よりも、遥かに優れた異能に恵まれ、濃厚な吸血鬼の加護も得られる。よって連中に捕まれば、吾輩のような若い吸血鬼は、永遠に慰み者にされ、子供を産まされ続けるのだ」
「ヒドイ……」
嫌悪を露わにするくるみ。圧倒的火力を有するダムピール軍でも滅ぼすことのできない吸血鬼がいることにも驚きだが、それ以上に吸血鬼を性奴隷にする人間どもの醜悪さに驚きだ。いい加減、人間どもの稚拙な考えには、心底、呆れ果ててしまう。否、呆れを通り越して、悲しみすら覚える。いつだってそうだ。人間は大きな目標を達成しようとするときは、組織化して手段を択ばない。利益のため、面子のため、プライドのため、弱者を踏み躙る。太古の歴史から、そんな連中ばかりが子孫を増やしてきたから、今の社会が歪んだ状態で成り立っているのだ。
薄っぺらく、歪みきった世界。
もういい加減、滅びたほうが良いのではないですか。
人間でなくなった俺だから言える言葉だ。
「そりゃあ、何がなんでも、連中から逃げないとな」
俺は、エヴェリーナの髪を鷲掴みして、高く持ち上げた。
あまりの痛みに、エヴェリーナが悲鳴を上げた。
「いい悲鳴だ。もっと吸血鬼ハンターどもに聞こえるように悲鳴を上げろ!」
「ちょっ、ちょっとおじ兄さん、何してんのよ!」
俺は、くるみを一瞥して言った。
「こうすんだっ!」
俺は、髪ごと掴み上げたエヴェリーナを勢いよく海の方へと晒した。岸壁に叩き付けられた波が、飛沫を上げてエヴェリーナの爪先を跳ねた。
エヴェリーナが断末魔を上げた。真下に広がる暗い海面によって、急激に弱体化しているのだろう。抵抗する気配はない。
「おーい、吸血鬼ハンターども、それ以上近づけば、大事な、大事な、高潔かつ純血なる吸血鬼、エヴェリーナ・チェイテを海に落とすぞ!」
俺が叫ぶと、銃を構えてこちらに向かって来ていた吸血鬼ハンターたちが、瞬時に足を止めた。
「銃も捨てろ、さもないと、この餓鬼を海に突き落とすぞっ!」
すると、吸血鬼ハンターたちの中心にいた筋骨隆々の偉丈夫がこちらを睨んだ。見たことのある顔だ。どうやらスプリングマンから解放されたようだ。
「き、貴様、気でも狂ったかっ、眷属である身でありながら、なぜ主人を危険に晒すっ!」
「俺は眷属じゃなねぇっ、ただのニートだっ!」
「NEET?」
ざわつく吸血鬼ハンターたち。どうやらニートの意味が分からないらしい。
「ど、どういうことなの?」
突然の状況に動揺するくるみ。
「エヴェリーナを海に落としたところで、弱体化はするが死ぬことはない。それはお前で立証済だ。連中側からすれば、俺らを殺して、海に落ちたエヴェリーナを捕獲すればミッション完了のはずだ。だがそれは簡単なことではない。なぜなら連中も吸血鬼だからだ。海に入って死ぬことはないと分かっていても、海に入ることはできない。なぜなら弱体化するからだ。弱体化した状態で泳いでエヴェリーナを捕獲することなど無理だ。その証拠に、エヴェリーナを海に近づけただけでこのザマだ」
エヴェリーナは白目を剥いて、手足を痙攣させている。
「人間の血が半分あるだけコイツよりマシだろうが、拒絶の具合は、連中もさほど変わらないみたいだな」
「つまりエベちゃんを人質にしたってこと?」
「そうだ。こうやって時間を稼ぐしかない」
「時間稼ぐってどういうこと?」
「船を待つ。もうそれしか方法はない」
ここからは命を賭けた睨み合いだ。絶対に負けるわけにはいかない。
※ ※ ※
ダムピール軍との睨み合いは、20分が経過した。
海上に浮かぶ漁船の灯りは、一向に近づいて来ない。
「エベちゃん。本当に大丈夫なの?」
海面に放り出されたエヴェリーナは、ぐったりとうなだれている。
「おいっ、生きてるか?」
俺が、小声で問いかける。
「わ、わ……わがはいのあさは、い、いつも……けっ、けろっぐ……こーんふれーくじゃ……」
返答の内容はともかく、まだ意識はあるようだ。
「コイツは船で大陸からこの島に辿り着いたんだ。この程度でくたばるわけがない」
俺は続けた。
「それよりも連中が大人しすぎる。何か企んでいる可能性がある」
ダムピール軍は、銃を地面に置き、微動することなくこちらを睨んでいる。特にリーダー的存在の筋骨隆々の偉丈夫は、渋面したまま、仁王像のように屹立している。
俺は、敵に気取られないように、一瞬だけ背後に視線を向けた。
この僅かな間に、海上の灯りは増えていた。この異常事態に戦力を増強させているのだろう。やはりヤクザどもは、この島を諦めていない。売春と人身売買の両方でシノギが取れる夢の島だ。そう簡単に諦めるわけがない。戦力を増強させて、一気に島に攻め込むつもりなのだろう。その混乱に乗じて船を奪って、この島から逃げる。そのためには、まだ時間稼ぎが必要だ。
と、その時、突如として上空に戦闘ヘリが飛来した。
「な、なんだ?」
ヘリのハッチが開くと、一人の吸血鬼ハンターが勢いよく飛び下りて来た。
その手には銃ではなく、巨大なタモ網が握られていた。
俺は一気に血の気が引くのが分かった。
「中隊長っ、近くの港から拝借して来ました!」
「よくやった、小隊長!」
元々この売春島は、漁業協同組合が所有する無人島だ。すなわち漁港から目と鼻の先にある。タモ網など漁港にいけばいくらでも手に入る。
刹那、硬直していたダムピール軍が一斉に銃を拾い、こちらへと銃口を向けた。
「小賢しいマネをしてくれたな、小僧」
小僧? 俺のことを言っているのか。西洋人から見れば、アラフォーのオッサンでもボーイに見えるのか。
「本来であれば、貴様らを瞬時に蜂の巣して、エヴェリーナ・チェイテを捕縛するのだが、貴様らが眷属であるのは承知の上、ここは慎重にいかせてもらう」
筋骨隆々の偉丈夫、改め、吸血鬼ハンター軍の中隊長が、腰に掛けた鞘から白銀の剣を抜いた。
十字架の形状をしたロングソードだ。見ているだけで頭痛と眩暈と吐き気がする。
「純銀製で神の祝福を受け、さらに聖水で清められた究極のロングソードだ。貴様らは、この剣を見ただけで弱体化するはずだ」
「くっ、お前らも半分は吸血鬼だろ。どうして十字架は平気なんだ……」
「平気ではない。だが訓練よってある程度の耐性は取得している。海のように大規模な水の流れともなれば別だが、銃や剣のような小規模な物体であれば、訓練によって弱体化を最小限に留めることができるのだ。そもそも我々の半分は人間だ。十字架による弱体化は貴様らの半分程度にすぎん」
ペラペラとよく喋る中隊長だ。よっぽど自信があるのだろう。確かにコイツの言っていることは正しい。月光に反射するロングソードの刀身を見るだけで、ありとあらゆる体調不良に襲われる。もう立っていられない。俺はエヴェリーナをくるみに預けると、そのまま力なく蹲ってしまった。
「おじ兄さんっ、しっかりしてっ!」
くるみがふらつきながらも俺に向かって叫んだ。あの十字架を見て立っていられるとは、さすがは純血かつ高潔なる吸血鬼の眷属だ。ちなみにエヴェリーナは、くるみの胸の中で虫の息だ。
ゆっくりとこちらへと近づいて来る中隊長。くるみが必死で中隊長をチョココロネに変えようとしているが、しかしMPが足りない。
中隊長は迷うことなく俺の方へと向かって来る。ロングソードの煌めきに、心臓が握り潰されるような痛みに襲われた。
中隊長は、蹲る俺を見下ろすと、足を止めた。
「小僧、名を何と言ったか、確か、NEETとか言ったな」
ニートは名前じゃねえ、と叫びたかったが、もう喋る気力も残っていない。
「貴様の狡猾さは危険だ。我々の足止めするため、まさか主を人質にするとはな。吸血鬼の眷属は、絶対の忠義心が取柄とも言える。主を危険から護る。そのためならば死すら恐れない忠義心。それが吸血鬼の眷属の誇りであると同時に、信念だ。眷属にとって主とは絶対的な存在なのだ。よって主が命の危機に瀕したとしても、主をわざと危険に晒すような真似など出来るわけがない。だが貴様は、眷属である誇りを捨て、信念を捻じ曲げて、更には厳命に逆らい、主の命を救うべく、わざと主を危険に晒した。貴様のその手段を択ばぬ狡猾さに、我々は吃驚した。貴様は吸血鬼の眷属における信仰心を根底から覆した。貴様は我々の思考の及ばぬ行動に出る可能性がある。故にまずは貴様から始末する!」
中隊長がロングソードを振り上げる。刀身の先端が月光で煌めいた。
「新世代の眷属、NEETよ。神に誓い貴様を滅するっ!」
いやそもそも眷属じゃねえし、名前もニートじゃねえ。ふざけんな。
などとくだらない辞世の句を述べていた矢先、けたたましい銃声が轟いた。
猛烈な銃撃によって、中隊長の巨躯が転がりながら吹っ飛んだ。
「おいコラ、なにくるみちゃん襲おうとしてんだ。殺すぞっ!」
聞き覚えのあるドスの利いた品のない声。
右手と左手にアサルトライフルを握った金髪碧眼のガングロギャル。刺々しい薔薇が刺繍された漆黒の着物ドレスを海風にはためかせながら、俺たちの前に颯爽と姿を現した。
できることならば死んでくれていたらありがたいと思っていたバカだが。この絶体絶命の状況においては、まるで菩薩ように見える。
「ドクちゃんっ!」
毒島獣香がそこに傲然と立っていた。
「ぐっ、ぐはあっ!」
毒島に蜂の巣にされたはずの中隊長が血を吐きながら立ち上がった。戦闘服が防弾使用になっているのか、それほど出血はしていない。
「でかくて狙いやすい胴体に銃弾ぶち込んだんだが、あんま効いてねえみてーだな。次はド頭ぶち抜いて、脳味噌ぶち撒いてやる」
毒島がアサルトライフルの銃口を中隊長の額に向けた。銃口からはまだ新鮮な硝煙が立ち昇っている。
「き、貴様……何者だ……」
中隊長が毒島を睨み据える。
「オレか? オレは毒島獣香。殺し屋だ。まあ、元だけどな」
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