第18話 チョココロネ
上空を埋め尽くす戦闘ヘリ。猛烈な爆音と爆風を撒き散らしながら、無機質に地上を睥睨している。突如巻き起こった騒がしさに、娼館から次々と吸血鬼が飛び出してきた。その瞬間、戦闘ヘリの機関砲が火を噴いた。無数の砲弾が地上に叩きつけられ、凄まじい爆音とともに、大量の土煙が巻き上がった。土煙の中、粉々に砕け散った吸血鬼の死骸が幾つも転がっていた。
戦闘ヘリは無駄のない動きで島の各所へと散開していき、容赦ない砲撃を繰り返した。島の至る所で吸血鬼たちの残骸が散らばる。島は一瞬にして阿鼻叫喚に包まれた。俺はそんな光景を茫然と眺めていた。
あまりにも一方的な虐殺。
現実と乖離しすぎた光景に、俺は言葉を発することができなかった。
「おじ兄さんっ、しっかりして!」
その声に反応した直後、くるみのスナップの利いた平手打ちが飛んできた。俺は派手に尻もちを突き、ひりつく頬の痛みで我に返った。
「あっ、ぼうっとしてた」
くるみは心配そうに俺を見下ろしながら、細くて白い手を差し出した。彼女の手を取ると、ゆっくりと引き上げてくれた。情けない限りである。
「ごめんね。今は、とにかく逃げないと!」
くるみが呆けている俺とエヴェリーナに向けて言った。
「逃げるって、どこへだ!」
「分からない。でも、はやくここから逃げないと爆撃に巻き込まれちゃうよ!」
確かに眼下にあったはずの娼館は、すでに瓦礫と化している。奇跡的に事務所だけがその姿を保っていた。島を見渡すと料亭街は火の海と化している。
「完全にイカれてやがる」
と、次の瞬間、けたたましい爆撃がピタリと止まった。
戦闘ヘリの羽音だけが闇に響き渡っている。
何とも不気味な沈黙。
「不味い、奴らが下りてくるぞ!」
悲壮感を露わにエヴェリーナが叫んだ。
戦闘ヘリに護られるように、次々と輸送ヘリが上空に姿を現した。輸送ヘリは地上を舐めるように確認すると、後部のハッチをゆっくりと開いた。そこには無数の人影が立っていた。人影は躊躇することなく空中へと身を投げていく。パラシュートなど開くことなく、空中で身体を捻りながら、豪快に着地すると、即座に展開を開始した。物々しい戦闘服に身を固め、手にはアサルトライフルが握られている。
「おいおい、吸血鬼ハンターってもっとスタイリッシュじゃないのか? 羽根つき帽子に漆黒の外套。銀の大太刀を背負っている美青年だろ、フツーは」
「お前はいつの時代のダムピールを言っとるんじゃ! 今は最新鋭の火器と兵器で武装した特殊部隊だ。連中は吸血鬼のハーフであるが故に、我ら純血の吸血鬼に対して力と能力で劣る。その欠けた部分を武装することで補ったのだ!」
「無茶苦茶だな、おいっ」
「空から攻めて来るとはな。完全に誤算じゃったわ」
「おいおい、日本の領空内に国籍不明の戦闘ヘリがうじゃうじゃ現れたのに、政府は何をやってんだ。自衛隊のスクランブルはまだかっ!」
「それはありえぬ」
「どういうことだ?」
「吸血鬼の歴史は古い。故にダムピールの歴史も古い。よって長い年月をかけ、莫大な財を成し、富豪となったダムピールも数多くおる。ダムピール軍の資金源は、奴らから捻出されておる。奴らは、先進国を中心に、国家の中枢に潜り込み、政府を懐柔し、暗部から吸血鬼撃滅の指揮を執っておる」
「おいおい、それじゃあ、日本もダムピールどもに懐柔されているってことか?」
「そうじゃ。ダムピールは主に東側諸国を中心に暗躍しておったが、冷戦終結とともに西側諸国への進出も強め、今では合衆国とも蜜月な関係にある。合衆国の傀儡にすぎない極東の島国など、遠の昔に懐柔されておるわ!」
あまりの絶望に、俺は深く息を吐き出した。
どう考えても勝てないだろ。
ああ、もうここまでか。どうせ死ぬならあの戦闘ヘリの機関砲で終わらせてほしい。痛みを感じるまもなく一瞬で終わるだろう。まあくだらない人生だった。大学まではそれなりに上手くいっていたのだが、どこでどうしくじったのか、今はこのザマだ。果たしてどこまで遡れば、普通の人生を歩めたのだろう。普通に就職して、普通に恋愛をして、普通に結婚して、普通に家庭を持って、普通に子育てをして、普通に孫の顔を見られたのだろう。もう分からないな。いやもう関係ないか。死ぬのだから。あーあ、来世に期待するか。
「おじ兄さんっ、しっかりして!」
その声に反応した直後、くるみのスナップの利いた平手打ちが飛んできた。俺は派手に尻もちを突き、ひりつく頬の痛みで我に返った。
「あきらめたらそこで試合終了だよ!」
「いや、先生はビンタしてないよな!」
「あたしはフツーの人生は諦めたけど、人生を諦めるつもりはないの! 外れまくった人生でも、あがいて、あがいて、あがきまくって生きて行くって決めたの! だから、ぜったいにあきらめない! あきらめたくないっ!」
大きな瞳を見開き、くるみはこちらを睨みつけた。
「外れすぎの人生、か……」
俺は嘆息した。
いやいや、外れすぎにも限度ってもんがあるだろ。
「少しは、絶望したらどうだ?」
「もう、絶望することに疲れちゃったの」
「確かに。俺も疲れたな」
「でしょ、だったら、あがいてみようよ」
くるみは嬉しそうに俺を見下ろしながら、細くて白い手を差し出した。彼女の手を取ると、ゆっくりと引き上げてくれた。やはり情けない限りである。
「エヴェリーナ。すでに勝敗は決した。もう逃げるしか助かる術はない。行くぞ」
「どこへ行くのだ?」
俯くエヴェリーナ。手足が小刻みに震えている。
「ダムピール軍に見つからないように、島を出るんだよ」
「どうやって島を出るのだ」
「どうやって、て、船で……」
言いながら、俺は息を呑んだ。
「この島は人身売買の中継地点だ。商品である女たちを逃がさぬために、船着き場には船を停泊させてはおらぬ」
そりゃそうだ。こんな犯罪だらけの島を簡単に出入りできるはずがない。
四方が海に囲まれていることが仇となった。
完全に袋のネズミだ。
「こりゃあ、いよいよ万事休すだな」
眼下では、逃げ回る吸血鬼たちに向け、ダムピール軍が、冷静かつ正確に銃撃を繰り返している。蜂の巣と化した吸血鬼は復活することなく、地面にひれ伏して死屍を晒している。地上は瞬く間に死屍累々と化していった。
「ヒドイ……」
くるみが今にも泣きだしそうな表情で零した。
「連中の銃弾は、すべて十字架が刻まれた銀硬貨を溶かして造られておる上に、聖職者による祝福が施されている。一発でも撃ち込まれたら致命傷に陥るのだ」
なるほど徹底している。よく見れば火を噴いているアサルトライフルも、どこか十字架のような形状をしている。着用している戦闘服にも、そこかしこに十字架の刺繍がしてある。そんな連中の十字架ファッションを見ていると、酷い頭痛に襲われ、吐き気を催した。
「奴らをあまり見るな。十字架は吸血鬼を弱体化させる力がある。異能を発揮することができなくなるぞ!」
俺はすぐさま吸血鬼ハンターどもから視線を外した。不気味なほど頭痛と吐き気が和らいだ。
さて、どうしたものか。
くるみの平手打ちで、多少なりとも冷静さは取り戻せたが、状況は変わらず絶望的だ。この島からの脱出手段は本当にないのだろうか。
――この島は人身売買の中継地点だ。
エヴェリーナの言葉が脳裏を過った。
「おい、この島には俺たちが降ろされた船着き場以外に、別の船着き場があるのか?」
俺が訊くと、エヴェリーナは小さく首肯した。
「この島には南と北に船着き場がある。南は客を迎え入れるための船着き場。北は娘たちを市場へ出荷するための船着き場じゃ」
俺たちは、南の船着き場を利用して島に入ったということか。
「ヤクザどもは、どっちの船着き場を利用してんだ?」
「北の船着き場じゃ。生活物資もそこから届けられておる」
「だったら、北の船着き場を目指すぞ」
「だから言ったであろう、船着き場に随時停泊している船などないと」
「ああ、無論それは理解している。だがな、今は緊急事態だ。このイカれた騒ぎをヤクザどもが黙って見ているわけがない。必ず島の様子を見るために、上陸して来るはずだ。この売春島は連中にとって最大級にして最高のシノギ場所だからな。好き放題に蹂躙されて黙っているはずがない」
俺は、エヴェリーナとくるみに視線を向けて続けた。
「その瞬間を狙う」
二人が怪訝そうに小首を傾げた。
「ヤクザから船を奪って逃げる。もうこの方法しかない」
吸血鬼の膂力があれば、ヤクザなど一瞬で捻り殺せる。船を奪うことなど容易だ。問題は暴れまわっている吸血鬼ハンターどもだ。連中に見つからないように、船着き場まで辿り着かねばならない。決死の作戦だが、島から脱出するにはこの方法しかない。
「嫌じゃ。吸血鬼が流れる水を嫌うことは分かっておるだろ!」
「んなことは百も承知だ。でも嫌いなだけで死ぬことないだろ!」
「船から落ちたらどうするのだ!」
「落ちても死なねえよ!」
「何故、そう言えるっ!」
「もう、立証済みだ!」
俺はくるみを一瞥した。くるみが不思議そうに小首を傾げた。これが確固たる証拠だ。俺は華美羅の襲撃から逃れるため、くるみと海に飛び込んでいる。その時のくるみは、すでに吸血鬼だったはずだ。海で激しい流れに煽られたにも関わらず、くるみは平然と生きている。これが確固たる証拠だ。
「信じられるかっ、流れる水への脅威は代々世代を超えて伝わっておる!」
「流れる水は十字架と同じだろ。吸血鬼を弱体化させても、滅ぼすことはできない。仮に流れる水で憔悴しても、誰かの血を飲めばすぐに復活するだろ」
俺はまたくるみを一瞥した。くるみがまた不思議そうに小首を傾げた。恐らくコイツは海で消耗した体力を、俺の血を啜ることで取り戻したのだろう。しかも微量だ。ほとんどは不味くて吐き出したからな。
「それでも流れる水は嫌なのだ!」
「ワガママ言うなっ、死ぬか生きるかの瀬戸際なんだぞ!」
わーん、と泣きながら、くるみに抱き着くエヴェリーナ。
「おじ兄さん。あまりエベちゃんを責めないであげて」
くるみのお腹にしがみついているエヴェリーナが、ちらりと片目でこちらを見た。お前はくるみにくっつきたいだけだろ。
「でもね、エベちゃん。この島から逃げるためには、もうこの方法しかないの。だから我慢しようね」
「うん、我慢するのだ」
随分と早い決断だな。
その時、下の階から階段を駆け上がる音が聞こえた。
俺は血の気が引くのが分かった。
次の瞬間、屋上の扉が蹴り破られ、物々しい戦闘服で身を固めた集団が次々と飛び出してきた。その手には十字架を模したアサルトライフルが握られている。
「エヴェリーナ・チェイテ、発見っ、捕獲するっ!」
「捕獲、どういうことだ?」
俺の疑問など無視して、吸血鬼ハンターたちが一斉に銃を構えた。
もう逃げ場はない。背後は空中だ。吸血鬼の身体能力があれば屋上から飛び降りても無傷で着地できるだろうが、下手に動けば一瞬で蜂の巣にされる。だが、連中の慎重さには違和感がある。屋上から見る限り、連中は吸血鬼を発見したら即座に始末していた。本来ならば、屋上で俺たちを発見した時点で引き金を絞ってもおかしくない。が、連中は銃を構えたまま、こちらを睨み続けている。やはり連中の目的はエヴェリーナのようだ。
俺は両手を上げながら、くるみにしがみついているエヴェリーナにすり寄った。エヴェリーナの嫌悪の視線が飛んでくる。
「動くなっ!」
戦闘服の男が怒鳴った。しかし発砲はない。やはりエヴェリーナに近づけば、連中も攻撃することができないようだ。無傷での捕獲を目的としているのだろうか。とにかく今は、エヴェリーナにくっついて己の命を守らなければならない。
「エヴェリーナ・チェイテ。もう逃げ場はない。大人しく我々の元に来てもらおう。悪いようにはしない」
一人の吸血鬼ハンターが銃を下ろし、一歩前へと出た。見るからに筋骨隆々の偉丈夫だ。勝手に想像していた憂いを帯びた美青年とは程遠い風体だ。
「貴様が我らの元に来れば、この島の吸血鬼どもは見逃してやろう。だが拒めば、貴様の一族と同等の憂き目に合わせることになる。さあ、決断しろ、エヴェリーナ・チェイテ」
ヘルメットとゴーグルを装備しているため、顔はよく分からないが、体形と骨格からして欧米人のように見える。しかし不気味なほど流暢な日本語である。そう言えばエヴェリーナも癖強いが日本語は堪能だ。吸血鬼の業界は普通にバイリンガルなのだろうか。長い年月を生き、世界各地を転々としていれば、自然と各地の言葉が喋れるようになるのだろうか。分からん。知らん。そもそも、この状況下において思案することではない。俺は自らの知的探求心に辟易した。
その時、くるみに向かって、エヴェリーナがぼそぼそと何かを言い始めた。
聞き耳を立てる俺。
「くるみ……想像しろ」
「何を?」
「あの連中の身体が捩じれる姿を想像しろ」
「捩じれる」
「そうだ」
「捩じれるって、どんな感じ?」
くるみが困った様子でこちらを見た。身体が捩じれる。何だそりゃ。即座に思い浮かんだのは、とある少年漫画に出てきた全身がスプリング状になっている超人だが、コイツを言ったところで伝わらないだろう。
「チョココロネ、みたいな感じじゃないのか?」
「あっ、なるほど、チョココロネね。オッケー」
くるみは眼前に立つ吸血鬼ハンターどもを睨みつけた。連中とチョココロネをリンクさせているのだろう。人間とパン。果たしてリンクできるのか。
と、次の瞬間、猛烈な軋みを上げて吸血鬼ハンターどもの身体が捩じれた。口と鼻から夥しい量の血液は吐き出され、地鳴りのような呻きが這い出た。肢体から四肢にかけてチョココロネの如く見事に捩じれている。吸血鬼ハンターどもは次々に地面に崩れ落ちていった。
「ぐっ、ぐはぁっ、
地面にひれ伏した状態で、筋骨隆々の偉丈夫が呻吟した。コイツに限ってはチョココロネではなくスプリング状の超人に似ている。
「行くぞっ!」
エヴェリーナが屋上からぴょんと飛び降りた。俺が狼狽していると、くるみが俺の手をぎゅっと握った。
「行こう、おじ兄さん」
俺はくるみに促されるまま、料理組合の事務所の屋上から飛び降りた。
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