第三章 吸血鬼編

第13話 売春島

 この島に足を踏み入れた時、最初に感じたのは、爽やかな潮の匂いではなく、生々しい獣どもの臭いだった。


 欲望に塗れた獣臭。


 四方を海に囲まれた小さな島には、二階建ての日本家屋が幾つも立ち並んでいる。風雅で趣のある看板が掲げられ、軒先には提灯が下げられ、暖簾が掛けられている。一見すると風情ある料亭のように見えるが、開け放たれた入口からは、淫靡な臭気が垂れ流されていた。暖簾の奥に見える玄関の上がり框には、若い女性がちょこんと座っている。露出度の高い派手な着物に身を包んだ女性は、視線が合うと、蠱惑的な笑みを投げてきた。そんな女性の隣には、年配の女性が座っており、通り過ぎる男たちへ頻りに声を掛けている。平日の昼間にも関わらず、狭い通りは男たちでいっぱいだ。皆ラフな格好をしているが、時計やバックを見ると、どれも高級ブランドばかりである。ある程度の金持ちでなければ、この島で遊ぶことはできないのだろう。男たちは、せわしなく料亭の軒先を覗き込み、下卑た笑みを浮かべながら、座っている女性らを物色している。そして気に入った女性を見つけると、そのまま中へと吸い込まれていく。そんな光景が延々と繰り返されている。色々と突っ込みどころはあるが、一応は料亭での食事を建前としているらしい。だが、そんな建前も吹き飛ぶほどの喘ぎ声が、二階から絶え間なく聞こえている。


 島全体を埋め尽くす日本家屋は、すべて売春宿だ。


 あたかも料亭のような風情の建物だが、これは警察の摘発から逃れるための偽装工作に過ぎない。果たして偽装になっているのかは甚だ疑問ではあるが。


 つまりこの島では、売春が公然と行われており、昼夜問わず、欲望に駆られた獣たちが、欲望のままに貪り合っているのだ。


 元殺し屋の毒島獣香に案内され、この島に来たが、想像以上のイカレ具合に驚いている。現代の日本とは思えない光景だ。


 響鳴島ひびきなきとう


 日本海の小さな海域の中心にポツンとある小島。


 日本最大の売春島である。


 島は地元の暴力団と漁業協同組合によって管理運営されており、外部からの侵入を徹底的に制限している。この二つの組織は古くから蜜月の関係にあり、長年に渡り密漁によって資金を調達していた。だが、今から二十年前、政府の政策により、漁港近くの無人島に、石油備蓄基地を建設することが決定した。政府は漁業権を失う漁民に対して、漁業補償として、漁協に百億円を支払った。補償金を受け取った漁協は、暴力団と結託し、その勢力を急速に拡大させ、石油備蓄基地建設における埋め立て工事の利権を独占するに至った。補償金と埋め立て工事の利権獲得によって莫大な資金を得た暴力団と漁協は、その資金力によって建設業や風俗業に多大な影響を及ぼすこととなった。そして、新たなビジネスの一環として、売春島は建設された。売春島は漁協が所有する無人島を切り開いて建設している上、莫大な資金力によって巨大化した暴力団によって運営されているため、警察も簡単に手を出せない状態になっていた。


 我ながらとんでもない島に足を踏み入れてしまった。もはや後悔しかない。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。そんなことは最初から分かっている。


 あの女に関わってしまったからだ。


「おまたせー」


 おもむろに振り向くと、そこに俺の人生を根底から狂わせた女が立っていた。


 女は桜の花びらが散りばめられたピンク色の着物を身に着けていた。着物は肩から胸元にかけてはだけており、艶やかな純白な肌が露わとなっている。着物の裾は極端に短く、プリーツスカートのようになっており、潮風が吹くと、ひらひらと揺れて、瑞々しい純白の太ももが垣間見えた。


「どう? 似合ってる?」


 くるみはひらりと一回転して、半歩近づいて、こちらを上目遣いで見つめた。思わず彼女の大きな瞳から目線を反らす。すると胸の谷間にぶち当たった。豊満とは言い難い小ぶりな胸だが、谷間を見る限り、美しい形をしているのは明らかだ。流石である。


 刹那、俺のこめかみに金属の冷たい感触がした。


 ゆっくりと眼球を横に動かすと、元殺し屋、毒島獣香が立っていた。


「おい、コラ、いつまでくるみちゃんの胸元を見てんだ、殺すぞ」


 世界最強の拳銃の銃口は、しっかりと俺のこめかみにめり込んでいる。


「ちょっと、ドクちゃん、むやみやたらに鉄砲出しちゃダメ。周りの人がビックリしちゃうでしょ!」


「ごめん、ごめん、オッサンがさ、くるみちゃんのこと、エロい目で見てたから、ついカッとなってさあ」


「おじ兄さんは、最初からエロいことする目的で、あたしを呼んだんだよ。だから、あたしをエロい目で見ても、なにも変じゃないでしょ」


「うーん、なんだか腑に落ちないけど、くるみちゃんがそう言うなら仕方ないか」


 毒島は慣れた手さばきで拳銃を太腿のホルスターにしまった。ちなみに毒島は刺々しい薔薇が刺繍された黒い着物を身に着けている。ある意味よく似合っている。


「おじ兄さんが、あたしと一緒にいるのは、エロいことすることだけが目的だもんね」


 くるみは口許に笑みを浮かべながらも、鋭い眼光でこちらを睨んだ。


 笑っているようで、怒っているような表情。どういう感情なのか全く分からない。


「おい、オッサン、やっぱりくるみちゃんを狙ってんだな」


 毒島も鋭い眼光でこちらを睨んだ。この感情はよく分かる。


「くるみちゃんに、ちょっとでもエロいことしたら、ド頭ぶち抜くからなっ!」


 獰猛に牙を剥く毒島。俺は肩を竦めた。もう、そんな気分は微塵も湧いてこない。それよりも狂いに狂った人生プランをどう立て直すかで頭はいっぱいだ。


「ほら、二人とも、早くいかないと、紹介してくれた人待たせているんでしょ」


 俺と毒島の間にくるみが割って入った。悔しいが視線がまた胸元へ落ちそうになった。男性は本能的に女性の胸元に視線がいってしまう。これは仕方のないことだ。健全な中年男性である証拠だ。むしろ、胸元を強調するようなデザインの着物に問題がある。そして、そんなものを着ているくるみに問題がある。そう、この女が悪い。そんなことは口が裂けても言えないが。


 俺は理性を高めて、くるみの胸元ではなく、顎のあたりに視線を向けた。白く滑らかな曲線を描いた美しい顎が網膜に映る。流石である。


「オッサン、どこ見てんだ?」


 ドスの利いた毒島の声に、我に返る。


 美女は、どの部位を見ても美しいことに、齢四十で気付いた。


「あっ、そうそう、おじ兄さん、手を出して」


 くるみが口許を綻ばせながら、こちらを上目遣いで見つめた。そのあどけない少女のような瞳に胸が締め付けられる。言われるがまま手を出すと、掌にくるみの柔らかな手が乗せられ、じゃらじゃらっと金属の感触が伝わった。


「はい、おつり」


 そこで、コイツらの着物代を支払ったことを思い出した。


 ※ ※  ※


 売春島へ上陸する手段は船しかない。しかも、漁協が用意した漁船でしか島に行くことはできないため、漁協での手続きが必要となる。手続きとは紹介者の確認だ。売春島は、漁協関係者もしくは暴力団関係者の紹介がなければ、入島することは出来ない。違法行為が横行している島内に、警察関係者を入れないためだ。また売春島は暴力団の資金源となっているため、客を富裕層に絞ることで、効率のよい資金調達を行っているのだ。


 つまり、この島で遊んでいる連中は、漁協や暴力団が認めた金持ちということだ。


 通り過ぎていく男たちは、どいつもこいつも勝ち組だということだ。俺と同世代の男も数多くいる。一体どんな人生を歩んで、ここまでの勝ち組まで上り詰めたのか。華々しい学歴。輝かしいキャリア。格好いい資格。羨ましいコネ。そして確固たる強運。それらすべてを持ち合わせた選ばれし者たちが、この売春島に集っているのだろう。さすがに劣等感が沸き立つ。


 そんな選ばれし者たちの視線が、頻繁にこちらへ向けられているのを感じた。


 視線の先にいるのは、もちろんくるみだ。


 おい、あの娘、どこの料亭の娘なんだ。あんな綺麗な娘、見たことないぞ。つーか、あの男二人も女はべらしているぞ、何者だ。


 などと、男たちの声が聞こえてくる。


 なぜだろう。急に優越感が満ちていった。


 くるみに見惚れる男たちに向けて余裕の笑みを送った。男たちが一斉に歯嚙みした。今日だけは貴様らに勝つ。負け組の意地を見せてやる。ここで、くるみの腰に手を回して、彼女を抱き寄せれば、完全勝利を得ることができるのだが、止めておくことにした。


「どいつも、こいつも、くるみちゃんエロい目で見やがって、全員ぶっ殺す!」


 隣で獣が唸っていたからだ。


 それに、俺とくるみはそんな関係ではない。くるみにとって俺は、単なる運転手である。そう考えると空しくなった。彼女に金を払って、運転手をさせられ、ヤクザに追われて、殺し屋に命を狙らわれる羽目となった。すべて俺の中途半端な人の良さが裏目に出た結果だ。俺は自分の性格の良さが恨めしくなった。と、同時にこれらすべての災厄の元凶である女に対して、憎悪と怨嗟を込めた眼差しを送った。


 そんな不俱戴天の仇ともいえる女は、どこか悲しげな表情を浮かべ、遠くを見つめていた。


「ねえ、おじ兄さん」


 俺の怒りと憎しみと悲しみの視線を無視して、くるみがこちらを見上げた。


「この島で働いている女の子って、みんなワケありなんだろうね」


「まあ、そうだろうな」


 毒島情報だと、ヤクザやホストに騙されて、この島に来た女の子もいれば、借金の肩に売られて来た女の子もいるらしい。そう言えば、建設会社で営業していた頃、得意先の工務店が倒産して、社長とその家族が行方不明になる事件に遭遇した。その後の噂によると、闇金から借金していた社長は、内臓を抜き取られた揚げ句に海に沈められ、奥さんと娘は非合法の風俗に沈められたとのことだった。当時は都市伝説だと思い信じてなかったが、この島に来てからあながち嘘ではないような気がしてきた。


「みんな、普通の人生から外れちゃったんだろうね」


「ぺらっぺらの社会だからな。運がない奴は容赦なく落ちていく。それが現実だ」


 この島は勝ち組の男と負け組の女で成り立っている。運を持った男と運を持っていない女との間に生まれた歪な需要と供給。人間社会の構図をはっきりと表しているように思える。人間社会は極小数の富裕層と、大多数の貧困層に分けられる。結局それは主人と奴隷の関係であり、経済発展を経て表面上は綺麗に整っているように見えるが、中身は数千年前から何も変わっていない。


 つくづく人間社会には絶望しか感じない。


 いっそ人間止めてみるとか。


 まあ、無理だけど。


 と、その時、俺の肩に何か当たった。


 俺が振り向くと、着物姿の女性が申し訳なさそうに頭を下げた。狭い通りは人でごった返しているため、油断をすれば、誰かに接触してしまう。俺は考え事をしていたため、彼女が近づいていることに気付かなかった。こちらにも落ち度はある。そのため、俺も謝罪して頭を下げた。すると彼女はにこりと笑って立ち去って行った。そのあどけない笑みに口許が緩んだ。瞬間、くるみが俺のシャツの裾を強く引っ張った。慌てて振り向くと、また笑っているようで、怒っているような表情を浮かべていた。


 それどういう感情なの?


「ねえ、あの娘、すっごく綺麗な八重歯してたよね?」


 八重歯。まったく気にも留めていなかったが。


「まるで牙みたいな八重歯だったよ」


 ※ ※  ※


 島の最北端に鎮座する高級料亭〈味良し良いち〉は、この島のすべての料亭を束ねる料亭組合の本部であり、漁協と暴力団が運営するフロント企業でもある。料亭〈味良し良いち〉は、他の料亭とは違い、完全会員制となっており、利用客の大半は、政治家や財界人らしく、一般人は簡単に利用することは出来ない。角界のビップ御用達のため、〈味良し良いち〉で勤務している女性は、容姿もスタイルもサービスも超一流らしい。


 そんな完全会員制の娼館に、会員でもない俺たちは、すんなりと入ることができた。


 どうやら料亭の支配人と毒島は親友らしく、島に入れたのも、この支配人の計らいによるものらしい。


 料亭内は不気味なほど薄暗かった。窓はどこにもなく、唯一の灯りは、壁沿いに等間隔に取り付けられた間接照明だけだ。急な環境の変化に、目が暗闇に適応するのに時間が掛かった。


 それよりも気になったことが、料亭内の気温だ。室内の空調は、真冬並みの寒さに設定されていた。俺は歯をカタカタ鳴らしながら毒島を睨んだ。


「あれ、おかしいなぁ、前に仕事で来た時は、こんなに暗くなかったし、寒くなかったような気がするんだけどな」


「暗さはともかく、この寒さは異常だろ」


「電気系統がぶっ壊れて、空調がおかくしなってる、とか?」


 歯切れの悪い毒島。百歩譲って空調が壊れていたとしても、ここまで寒くなるのだろうか。正直、冷蔵庫の中のほうが暖かいような気がしてきた。


「皆様、遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました」


 暗闇の奥から、妙齢の女性の声が聞こえた。


華美羅カミラさん!」


 毒島が呼びかけると、闇がゆっくりと人の形を象り、俺たちの前に長身の女性が現れた。


 薄暗い室内にくっきりと浮かび上がる白い顔。不気味な光沢と滑らかさ帯びた白い肌は、洞窟に棲む軟体動物の皮膚に近い。そんな白さとは対照的に、唇は鮮やかな赤に染まっていた。腰の辺りまで伸びている髪と、身に纏っている着物は、濃厚な黒で、露わになっている顔と首と肩以外は、完全に闇と同化している。


「獣香さん、お久しぶり」


「彼女は華美羅カミラさん。この料亭の支配人さ」


 毒島が紹介すると、華美羅は笑みを浮かべ、深々とお辞儀をした。つられて、俺とくるみもお辞儀をする。


「さあ、皆様お疲れでしょう。早く中に上がって下さい。お食事の準備が出来ています」


 華美羅と呼ばれた女性に誘われ、俺たちは料亭内へと足を踏み入れた。あまりの暗さに足元が見えないため、何かに躓けば、簡単に転びそうだ。室内は不気味なほど静寂に包まれており、床板の軋む音しか聞こえない。


「なんか、お化け屋敷みたい」


 隣を歩くくるみが呟いた。


 この得体の知れない不気味さは、お化け屋敷以上だ。さっきから一向に悪寒が治まらない。室内の異様な寒さもあるが、それだけではないような気がする。


 華美羅に案内された座敷部屋は、玄関や廊下に比べると幾分明るかった。それでも最低限の間接照明しかないため充分に暗い。部屋はかなり広かった。奥が闇に包まれているため、はっきりとした広さは分からないが、最低でも五十畳はあるだろう。入口からほどなく離れた箇所に、巨大な一枚板の座卓が置かれており、等間隔で座椅子が並べられていた。俺たちが座椅子に腰を下ろすと、妖艶な着物を纏った美女たちが料理を手に現れた。美女たちの顔や首や肩の白さは、華美羅と同様に不気味さが漂っていた。座卓に料理が並べられていく。島の料亭だけあって魚介を中心とした懐石料理のようだ。目の前に豪華な船盛が置かれたが、薄暗さのせいで白身と赤身の区別しかできない。美女たちは料理を並べ終えると、小さくお辞儀をして、笑みを湛えながら部屋から出て行った。


「さあ、召し上がって下さい」


 華美羅が満面の笑みを浮かべた。わけもわからない状態でここに訪れて、案内されて、料理を振舞われている。多少混乱しながらも、刺身を一切れ口に運ぶ。俺は唸った。これほどまでに新鮮で瑞々しい刺身は食べたことがない。さすがは漁協が運営する料亭である。一つ残念なことを上げれば、視覚で料理を楽しめないことだろう。視覚と味覚が調和すれば、旨味は数倍に跳ね上がるはずだ。


「うーん、おいしい」


 くるみが嬉しそうに声を上げた。


 と、その瞬間、痛っ、と頬を抑えた。


「どうした?」


「魚の骨がほっぺたに刺さっちゃった」


 くるみが太く白い骨を口から出した。どうやら船盛の横に置かれている魚の煮つけを食べたのだろう。あの骨の太さから見て、この煮つけは鯛だろうか。


 くるみは顔を顰めながら、頬の裏側を舌で撫でている。


 瞬間、空気が変わった気がした。


 粘着質を帯びた嫌な空気だ。


 悪寒が強くなった。


 空気はすぐに戻ったが、くるみも毒島も、空気の変化に気付いている様子はない。


 気のせいだったのか。


「くるみちゃん、大丈夫?」


 毒島が心配そうに声をかける。


「大丈夫、大丈夫、ちょっとだけ血の味がするけど、こんなの口内炎と変わらないよ。さあ、食べよ、食べよ」


「こうも暗いと、料理がよく見えないからな」


 俺が軽く嫌味を言うと、華美羅が柔和に微笑んだ。


「すみません。どうも昨夜から電気系統に不具合が起こりまして、明日には修繕業者が来ますので、申し訳ありませんが、今夜だけはご辛抱願います」


 この猛烈な寒さも、この不気味な薄暗さも、電気系統の不具合によるものらしい。どうにも腑に落ちないが、疑っても仕方ない。


「そういえば、華美羅さん。オレの連れの紹介がまだだったね」


 そう言うと、毒島は、隣に座っていたくるみに身体を摺り寄せた。


「彼女はくるみちゃん。すっごい美人だろ。優しくてカッコよくて世界一頼りになるお姉さんさ」


 美人以外は当たっていない気がする。


「で、コイツはオッサン。くるみちゃんのストーカー兼運転手だ」


 誰がストーカーだ。俺はその女に脅されて強制的に運転手にされている被害者だ。


「あの、華美羅さんとドクちゃんは、どんな関係なの?」


 くるみが尋ねると、華美羅が婉然と目を細めた。


「獣香さんは、この島でボディガードをして頂いてました」


「ボディガード?」


「この島を取り仕切っているのが暴力団と漁協なのはご存じですよね。両者とも急に規模を拡大したことで、統率が取れなくなり、金銭を巡り末端で揉め事が頻発しました。組員と漁師の金銭問題に始まり、組員同士、漁師同士の縄張り争いになり、やがては暴力団、漁協ともに内部分裂にまで発展しました。各地で勃発する抗争によって島は無法地帯と化し、多くの罪のない女の子が犠牲になりました。そんな島の崩壊に危機感を抱いた暴力団と漁協の幹部らは、獣香さんら殺し屋集団を雇って、抗争の鎮圧に乗り出しました」


「ああ、揉めてる連中は、容赦なくぶっ殺して、海に捨てたな」


 得意げに言う毒島。まあ、彼女のような特殊訓練を受けたであろう殺し屋集団に、腕っぷしだけでのし上がった荒くれ集団が勝てるわけがない。


「獣香さんには、私の専属のボディガードをしていただきました」


「華美羅さんは、この島の料亭を束ねる料理組合の組合長なんだ。だから縄張りや利権を狙う連中に襲われることが多くて大変だったんだ。まっ、全員、ぶっ殺して魚の餌にしてやったけどな」


 毒島が刺身をパクパク口に運びながら得意げに言った。なぜか急激に食欲が失せていった。


「獣香さんには、何度も助けてもらって感謝しかありません。私がこうして生きていられるのも、獣香さんのおかげです。本当にありがとうございました」


 華美羅が毒島に向けて笑みを浮かべると、毒島は照れ臭そうに頭を掻いた。


「そんな獣香さんたちの活躍もあって、島での抗争はなくなり、平和な島へと姿を変えました」


 公然と売春が行われている島が、果たして平和と呼べるのだろうか。


「でも、まさか獣香さんが殺し屋を辞めるなんて驚きました。お父様とお母様は了承してくれたのですか?」


「いーや、たぶん今頃、オレのことを血眼で探してんじゃねーかな」


「お父様もお母様も超一流の殺し屋。子供であっても裏切りは許さない、と?」


「そうだな、生きて辞めることができないのが殺し屋さ。これは掟だから仕方ねえのさ」


 常人には理解できない掟である。


「そうですか。でもこの島にいれば安全です。現在、獣香さんが所属していた組織は、この島と敵対している暴力団の傘下にあります。もしこの島に立ち入るようなことがあれば、抗争は避けられません。この島は西日本最大の暴力団組織が運営しています。例え一流の殺し屋集団を手勢に加えていても、全面戦争となれば、流石に分が悪いことは相手も周知しているはずです」


「元々はこの島の用心棒だったんだろ? なんで、よりにもよって、敵対する組織の傘下にいるんだ? 殺し屋ってのは、雇い主をコロコロ変えるもんなのか?」


「そうだ。殺し屋は契約制度だからな。雇い主との契約が切れれば、金額に応じて別の雇い主と契約を結ぶのが普通だ。オレたちは暴力団のように組織に属したりはしない。あくまでフリーランスだからな」


 フリーランスと言えば、何だか響き良く聞こえるが、所詮は血生臭い人殺しの集団である。


「とにかく、ここは獣香さんにとって世界で一番安全な場所です」


 世界で一番安全な場所が売春島とは、なんとも滑稽な話だ。


「でも、殺し屋を辞めた理由が、大切な人のためって素敵ですね」


 華美羅が微笑むと、毒島がくるみに猫なで声を上げてすり寄った。くるみは刺身を口に運びながら、毒島の髪を優しく撫でている。


「くるみちゃんは、オレの人生の恩人なんだ。殺すことなんて絶対にできない」


「獣香さんがこんなに惚れ込むなんて、余程の方なんですね」


 華美羅が妖艶に目を細めながら、くるみを舐めるように見ている。髪の先から足の爪の先まで、じっくりと丁寧に見ている。俺はそこに妙な違和感を覚えた。そして血のように赤い唇を吊り上げて言った。


「貴方、本当に綺麗ですね」

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