第3話 まず食欲を満たすことにした。

 怠惰とは、どうにも厄介なものだ。


 怠惰は、過去を後悔させて未来を不安にする。


 怠惰が伸し掛かっていた頃は、未来への不安よりも過去の後悔のほうが大きかった。


 必死で勉強して一流大学の肩書を得ることができたなら、今とは大きく違った人生を歩んでいたかもしれない。それなりの企業に就職して、それなりに出世して、それなりの女性と結婚して、それなりの家庭を手に入れて、それなりの幸せを得ていたかもしれない。


 などと後悔ばかりしていた。


 が、怠惰から解放されたことで、それらは単なる絵空事だと気づいた。


 なぜなら俺の脳味噌は人並み以下だからだ。一般人が一回の説明で理解できることも、俺は数回の説明がなければ理解することができない。要は頭が悪いのだ。


 それでも俺は、高校受験、大学受験ともに第一志望に合格することができた。両者ともお世辞にも偏差値が高いとは言えなかった。それでも俺は猛烈に勉強した記憶がある。一般人が滑り止めで受けるような学校に全力で挑んだのだ。


 つまりここが、俺の努力の限界なのだ。


 世の中には、努力では絶対に越えられない壁がある。


 凡人の壁。


 凡人、天才、秀才の間には壁が存在する。高く険しい壁が存在する。


 凡人が死に物狂いで努力して、その壁に挑んでも、決して超えることはできない。つまり天才や秀才には絶対に追いつくことはできないのだ。


 これが現実。


 凡人は凡人の世界で生きていくしかない。


 凡人は一生凡人なのだ。


 当時の俺はそれを理解していた。だから自分の学歴にも満足していた。


 ただ、世間は俺の学歴に満足しなかった。


 時代は就職氷河期。


 一流大学の天才や秀才さえも就職活動に苦労していた時代。三流大学の凡人にまともな就職口などあるわけがなかった。


 学生に対する逆風は凄まじく、どの企業も奴隷を値踏みするような面接を行っていた。


 この時代、俺のようなド凡人の学生が、普通の企業に就職できる確率は限りなくゼロに近かった。どれほど努力してもその確率は変わらなかった。そもそも努力など必要なかった。


 必要なのは、運と狡猾さだけだった。


 まず運に恵まれている人間にはコネがある。


 俺の知人で順調に人生を歩んでいる連中の大半は、コネ入社だ。特に資産家の親のコネで就職した連中は、凡人であっても、それなりに幸せな社会人生活を送っている。


 地獄の沙汰も金次第とはこのことだ。


 生まれながらに運を持っている人間は、生まれた瞬間から周囲の環境が全力で味方してくれる。コネとは先天的な運に恵まれた人間の特権なのだ。


 先天的な運に関してはどうすることもできない。生まれた瞬間から、勝ち組に振り分けられるからだ。勝負する前から勝敗が決まっているのだ。どう足掻いても生まれた環境を変えることなどできない。もう諦めるしかない。


 だが、先天的な運に恵まれていなくとも、後天的に運を掴み取る人間は存在する。


 いわゆる強運の持ち主のことだ。


 この頃の就職活動はイカサマが蔓延している博打のようなものだ。凡人にホワイト企業が当たる確率は天文学的な数値となる。外れたら有無を言わさずにブラック企業に沈められる。圧倒的に不利な博打を強要されていた。だが稀に、その博打に勝利する凡人がいる。強運を持った凡人だ。魑魅魍魎が跳梁跋扈するブラック企業の群れの中から、ピンポイントでホワイト企業を引き当て、順調な人生を歩んでいる知人もいる。この神がかった力は強運以外の何物でもない。


 後天的な運を持っている理由はよく分からない。前世での苦行が後世で報われたのか、先祖による善行が子孫に帰ってきたのか。よく分からない。もしこの理論が正しければ、俺は前世で贅沢三昧の生活を送り、先祖は悪逆非道の限りの尽くしたのだろうか。記憶も記録もないので定かではない。前世の俺に因果応報と咎められても、先祖の誰かに積悪余殃と諭されても到底納得はできない。


 そして運のない凡人はブラック企業に沈められ、奴隷へと堕ちる。


 奴隷に堕ちた者に待っているのは、ハラスメント、長時間労働、サービス残業、低賃金が横行している劣悪な職場だ。そこに人権など存在しない。そもそも奴隷に人権などない。


 そんな劣悪な職場で生き残るために必要なものは一つしかない。


 狡猾さだ。


 上司に取り入り、同僚を陥れ、部下を潰す。


 そんな狡猾な奴隷だけが生き残ることができるのだ。


 そう、ブラック企業で生き残るために必要なのは、狡猾さなのだ。


 狡猾であれば酷く汚染された川でも生きていくことができる。


 ヘドロ塗れのドブ川でも生きていけるのだ。


 狡猾さがあればヘドロを餌にして生きていくことができる。更にそこに僅かばかりの運があれば、ヘドロ塗れの川から別の川筋を辿って、幾分綺麗な川に出ることもできる。


 ちなみに俺は運も狡猾さもまるで持ち合わせていなかったため、ドブ川のヘドロによってあっという間に酸欠状態に陥った。それでも綺麗な川へ行こうと足掻き、別の川筋を必死で辿ってみたが、結局、辿り着いたのはすべてヘドロ塗れのドブ川ばかりだった。


 結果、十年前にドブ川から息も絶え絶えで這い上り、ニートの道を選んだ。


 もうドブ川に戻るつもりはない。


 俺はハンドルを切りながら、後部座席の下を一瞥した。事務用ファイルが小気味よく上下に揺れている。


 サラリーマンの生涯年収が約二億と聞いたことがある。その四分の一がこの車内にある。かなりの大金ではあるが、さすがに、この金額で残りの人生すべての生活費を賄えるとは思っていない。いずれは何かしらの仕事をしなければならない。だがブラック企業に戻ってまで働く気はない。必要最低限の食い扶持さえ稼げればそれでいいからだ。


 現在も十年前と変わらず不況は続いているようだが、少子高齢化の影響により人手不足は深刻な状況にあるらしい。確かにスーパーやコンビニを中心にアルバイト急募の文字が頻繁に目に入る。十年前にうじ虫ように湧いていたニートやフリーターはどこにいってしまったのか。みんな死んでしまっただろうか。


 まあ、ことが落ち着いたら、適当に稼げるアルバイトでも探すことにしよう。


 とにかく今は、雲隠れを成功させなければならない。アルバイトなど先の話だ。


 もし雲隠れに成功しても、ことが治まるまでは、息を潜めて生活しなければならない。


 つまり徹底した引きこもり生活を送らなければならないのだ。


 ネット環境が整っていれば、食料品や生活必需品はネットで取り寄せることができる。


 問題は遺産の減少だ。


 引きこもっている間は、どうしても遺産を取り崩して生活しなくてはならない。少しでも長くニートを続けるためには、遺産の減少は最低限に抑えなければならない。ならば質素倹約は絶対条件となる。


 今までの怠惰な引きこもりとはわけが違う。今回は我が戒めの元、苦行を重ねていく引きこもりなのだ。


 修行である。


 俗世間から離れ、一人粛々と修行に励まなければならない。


 妹が捜索を諦めるまで、修行は終わらない。


 山ごもりならぬ、部屋ごもりだ。


 が、このまま修行に入るのは危険な気がした。


 なぜなら今の俺は、怠惰から解放された反動によって、諦めて蓋をしていた欲が沸々と湧き上がっていたからだ。内側からの強烈な圧力によって蓋は小刻みに揺れている。十年ぶりの娑婆の空気が欲に熱を与えてしまったのだ。このまま熱を与え続ければ、やがて沸騰して圧力で蓋が飛ばされてしまう。蓋がなくなれば沸騰した欲が溢れ出してしまい、歯止めが利かなくなってしまうかもしれない。


 もし修行中に欲が沸騰して溢れてしまえば、取り返しのつかないことになる。


 この十年間で溜まりに溜まった欲。


 果たして制御することができるだろうか。


 自信はない。


 なぜなら、俺の自分への甘さは筋金入りだ。


 自分に甘くなければ、十年間もニートできない。


 自分に甘く、他人に興味なし。


 それが俺だ。


 この十年間、俺は欲を捨て、怠惰を選んだ。この選択の理由は金銭不足だったからだ。


 金銭を得るためにはブラック企業に勤めなければならない。精神と肉体を極限まで摩耗させなければ、金銭を得ることはできない。欲を満たすためには、金銭が必要。しかし金銭を得るためには、奴隷に堕ちなければならない。これが社会だ。


 欲か、怠惰か。


 奴隷か、ニートか。


 俺は両方を天秤にかけてみた。


 俺は迷うことなく怠惰を選んだ。当然の選択だ。働いても働かなくてもそこに人権は存在しない。ならば働かないほうがいい。当然の選択である。


 怠惰を選ぶということは、欲を諦めるということだ。


 睡眠欲以外の欲は、すべて心の奥底に凍結しなければならない。


 が、今は金銭がある。莫大な金銭が手元にある。さらに怠惰からも解放された。絶対零度に凍結されていた欲が、急速に熱を帯び始め、閉ざされていた氷河が、猛烈な勢いで溶けていく。もはや沸点に到達するのは時間の問題だ。


 これは人間として当然の反応だろう。


 人間は自らの欲を満たしていくことで進化してきた生物だ。際限なく溢れる無数の欲を一つずつ満たしていったことで、多くの知識と経験を得ることができたのだ。そしてそれら知識と経験の集合体が文明へと繋がったといえる。


 つまり人間にとっての欲とは、進化における必然なのだ。


 いわば理だ。


 この理に抗うことは不可能である。抗うことは人間を否定することになる。


 やはり修行に入る前に、最低限の欲を満たす必要がある。


 ある程度でも欲が満たされれば、多少なりとも熱は下がっていくはずだ。


 そう考えた俺は、まず食欲を満たすことにした。



     ※   ※  ※



 ニート期間中の主食は残飯だ。


 俺はニートの負い目から、極力両親と顔を合わせないように生活していた。両親も多忙だったこともあり、俺に干渉してくることはほとんどなかった。食事は両親のいない昼間に済ませていた。基本は一日一食。昼飯のみだ。


 昼飯に献立などはない。冷蔵庫にある物を食べるだけだ。味や栄養などは関係ない。とにかく腹を膨らませるためだけの食事だ。


 両親が無類の酒好きだったこともあり、冷蔵庫は食べ残しのおつまみばかりだった。しかも冷蔵庫の中身を確認せずに買い物するため、賞味期限切れのものも多くあった。おつまみ以外にもスーパーで値引きされた総菜や、余った漬物やキムチなどもあった。これらすべてが俺の主食だった。今の俺の身体を構成しているのは残飯百パーセントだ。


 サバンナの掃除屋がハイエナならば、自宅の掃除屋はニートに違いない。


 食品ロスの問題が叫ばれている昨今、残飯処理はエコの最先端といっても過言ではない。俺は世界の環境団体に助言したい。地球規模の環境問題を掲げる前に、冷蔵庫規模の残飯処理を進めるべきであると。そして余った食材をニートたちへ分け与えるべきだと。働かざる者、食うべからず、という悪習を今こそ断ち切るべきであると。


 が、しかし、好き好んで残版を喰っていたわけではない。


 生きるためだけに残飯を喰っていただけだ。


 正直、残飯はウンザリだ。


 二度と食べたくない。


 よって俺は食べたいものを食べることにした。


 まず食べたいと思ったのは、肉だ。


 それも牛の肉だ。


 残飯の中に牛肉はまずない。良くて鶏肉だ。


 よしっ、俺は焼肉屋に行くことにした。


 だが、焼肉屋と言ってもピンキリである。高級店に行ってもいいが、十年間、残飯しか喰っていない人間が、高級店の肉に舌鼓できるとは思えない。正直、牛肉の味さえ覚えていないため、美味さの基準など分かるはずがない。


 と、いうわけで、俺はファミリー層からも人気のある焼肉チェーン店に向かった。


 流行る気持ちを抑えながら、俺は努めて冷静にハンドルを回し、焼肉店の駐車場に車を停めた。そして、流行る気持ちを抑えながら、努めて冷静に店の扉を引いた。

 

 さすがに一人で焼肉店を訪れるのは緊張したが、店内に充満する香ばしい匂いを鼻にした瞬間、緊張など掻き消えた。早く肉を喰らいたいという欲が、理性を飲み込もうとしていた。


 血肉に飢えた獣が、俺を支配しようと喉を鳴らしているのが分かった。


 必死で理性を保ちながらテーブルに着き、おもむろにメニューを開いた。途端、唾液が決壊しそうになった。


 鮮やかで艶やかな赤が視界一面に広がる。全身の血が騒いでいるのが分かった。身体が肉を取り込みたいと叫んでいるように思えた。


 俺は欲に振り回されるまま、肉を次々に注文した。到底一人で食べきれるような量ではなかったため、店員は眉を顰めたが、気にすることなく肉を注文し続けた。そして待っている間も、メニューを舐るように睨み続け、口の中を大量の唾液で満たし続けた。まさかここまで身体が肉を欲しているとは思わなかった。


 例えば、宗教上の理由などで肉の味を知らずに育ったのであれば、肉を前にしても無感情のままだろう。しかし、一度でも肉の味を知っていれば、どれほどの時が過ぎても、肉を前にした瞬間、獣の本能が込み上げてくる。肉を屠りたいという本能。これは人間が太古から受け継がれてきた本能だ。人間の脳は肉食によって巨大化したといわれている。特に骨の中にある骨髄液を摂取したことで、他の動物よりも遥かに脳が発達したらしい。つまり人間は、原始より肉を喰らい、骨をしゃぶることで進化し、食物連鎖の頂点に君臨することができたのである。


 肉食は進化を促すための本能。


 ならば本能の赴くままに喰らうしかない。


 俺は運ばれてきた肉を次々に鉄板に叩き込むと、箸で乱暴に肉をかき混ぜた。白い煙が上がると、たちまち香ばしい匂いが鼻孔を刺激した。肉の焼ける音と、油が弾ける音が、耳朶を震わせる。もはや我慢することなどできなかった。俺は焼け具合を確認することなく、唾液に満ちた口の中に肉を放り込んだ。正直、味はよく分からなかった。ただ、全身を流れる血液が、猛烈な悲鳴を上げているような感覚に襲われた。俺はタレを付けることも忘れて、夢中で肉を喰らった。本能のまま血肉に貪りつく獣。これが人間の本来の姿だ。


 俺は血液が満足するまで夢中で肉を喰らい続けた。ようやく冷静を取り戻した時には、肉の盛られていた皿が、うず高く重ねられていた。俺の狂気じみた食事に、店員は空いた皿の回収を躊躇したのだろう。無理もない。獲物を屠っている最中の獣に近づくことなどできるわけがない。


 大量の肉に喰らったことで、俺の体内では猛烈な熱が沸き上がっていた。熱は全身の隅々まで充満していき、爪の先まで熱が伝わった。血が喜んでいるのが分かった。十年ぶりに大量の汗がどっと流れ落ちた。十年間の省エネモードから、突如として全開モードへと変換された気分だ。全身から漲るエネルギー。俺は命を実感した。


 今、俺の命は激しく燃え盛っている。


 充分に満足した俺は、怪訝そうに見つめる店員に金を払って店を出た。


 外に出ると、爽やかな秋風が肌を撫でた。夏もようやく終わりを迎えたことで、少しは涼しくはなったが、昼間はまだ暑く、半袖でも充分な気温だ。それでも時折吹く風は幾分涼しく、秋を感じさせてくれる。そんな風がやけに心地よく感じた。


 そんな秋風に身を委ねていると、通りの向こう側に回転寿司屋が目に入った。


 途端、魚が食べたくなった。


 生の魚が食べたくなった。


 残飯の中に生魚はない。両親は酒の肴として頻繁に刺身を購入していたが、大好物だったため、残さずキチンと食していた。一切れも残っていた記憶はない。残飯に混じっている魚はもっぱら干物と佃煮ぐらいだ。


 俺は大きく膨らんだ下腹を軽く撫でた。


 当然、満腹感はある。しかし俺の血が猛烈に魚を欲していた。


 人間は雑食性の動物だ。本能は進化のために肉を欲するが、身体は栄養のために様々な食材を欲する。栄養は肉体を維持するために必要不可欠な存在だ。偏りは決して許されない。


 俺は回転寿司屋に行くことにした。


 ランチタイムを終えたばかりの店内は閑散としていた。肉で腹が満たされたこともあり、店内の状況を冷静に把握することができた。ちなみに焼肉屋の店内の状況は、強烈な飢えと渇きに襲われていたため、あまり記憶がない。


 客が少ないためか、回っている寿司ネタは異常に少なかった。店員に注文すれば握ってくれるのだろうが、面倒なので、流れてくる寿司を適当に手に取り口へ運んだ。満腹中枢が壊れてしまったのか、難なく寿司が体内へと吸い込まれていった。すでに腹は満たされていたため、焼肉ほどの感動はなかったが、十年ぶりに寿司の美味さを堪能することはできた。


 焼肉屋で肉をたらふく食べた後に、寿司屋で寿司を頬張っている。


 極限までに膨れ上がった胃袋。


 そこに、既視感を覚えた。


 俺は、ふと過去へと視線を向けた。


 大学卒業後、初めて勤めた建設会社では、一風変わったハラスメントが横行していた。


 大食いハラスメントだ。


 俺は営業部に配属していたのだが、部署にいる社員全員が異常な太り方をしていたことに驚いた。汗だくでキーボードを叩く者。受話器を脂まみれにして通話する者。息切れしながら書類を取りに行く者。常に眼鏡が曇っている者。そんな異常な空間が広がっていた。


 ほどなくして、その原因が部長にあることが分かった。


 部長は、暴食の塊だった。


 部長は体重150キロの巨漢で、常に何か食べていた。仕事中でも関係なく食べていた。ちなみに独身だ。この部長が厄介なのは、部長の食事には、必ず部下がお供しなければならないことだった。朝、昼、晩、すべての食事にお供しなければならなかった。これは鉄の掟だった。それは会社が休みであっても、守らなければならなかった。掟を破った場合は、部長による容赦ないパワハラが待っていた。部下は部長のパワハラを恐れて必死に食事のお供をしていた。


 部長の食事は常軌を逸していた。特に夕食ともなると、飲食店を何軒も梯子する異常ぶりだった。一晩で焼肉屋、寿司屋、中華料理屋、イタリアンレストランなど、会社周辺の飲食店が閉店するまで食べ続け、部下はそれらすべてにお供しなければならなかった。しかもすべて部長の奢りのため、食べ残しは絶対に許されず、残せば容赦ないパワハラが待っていた。そのため部下たちはフードファイターさながら食べ続けなければならなかった。しかし一般人がフードファイターになるのは無理なので、限界に到達したらトイレで吐き出し、再び戻って食べる。これを繰り返して料理を食べ尽くすのだ。これが大食いハラスメントだ。


 そして、食べ過ぎて動けなくなった部長を自宅まで運び、ベッドに寝かせて、ようやく一日が終わるのだ。ちなみに仰向けに寝かせると息が止まってしまうので、横向きに寝かせなければならない。これも鉄の掟だ。


俺はたった二年で体重が40キロ増加し、デブの仲間入りを果たした。辞めた理由は、会社の健康診断で生活習慣病と診断され、しかも過食と嘔吐を繰り返したことで酷い食道炎を患ってしまい、医者から今の生活を続けていたら確実に死ぬ、と言われたからだ。己の命と鉄の掟を天秤にかければ、当然、命を取るに決まっている。デブ死などまっぴらごめんだ。


 部長は完全に暴食に取り憑かれていた。


 鼻を激しく鳴らしながら、食べ物を流し込んでいる姿は、人間ではなく完全に獣だった。


 暴食の獣。


 退職して二十年近く経つが、あの獣はまだ生きているのだろうか。


 まあ、今となってはどうでもいいことだが。


 ちなみに現在は十年間の残飯生活のおかげで病的な痩せ方をしている。栄養が足りていないのは充分に自覚している。栄養過多から栄養失調まで、まったく忙しいものだ。


 それでも今日だけで随分と栄養を摂取できた。肉と魚を食べただけで生きる活力が湧いてきたような気がする。食とは人を良くすると書く。その文字の通りだと実感した。食は肉体だけではなく精神も充足させる力を持っている。食は肉体を構築して精神を安定させる。食とは肉体と精神のバランスを保つための重要な役割を果たしている。そしてバランスを保つためには、人を良くする物を取り入れ続けなければならない。食とはそういうものだ。


 俺はようやく訪れた満腹感と満足感に浸りながらおあいそした。

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