第40話 優一と有加

有加と優一の間に、一本の線の張ったような空気が流れていた。一ヶ月前の不思議な出来事を、話し終えた有加は、俯いたまま、優一の言葉を待っていた。

 『・・・』

 勇生に話した時も、そうであったように、有加自身は、分かっていた。普通では、ありえない話。信じろという方が、無理な話である。

 「とうさん。」

 有加は、この状況が、耐えれなくなったのか、思い切って、こんな言葉を発してしまう。

 「・・・」

 勇生からの言葉が、返ってこない。腕を組んで、目を閉じている優一の姿。

 「おかしな事、言っているのは、わかっとうとよ。でも、本当にあった事やっとよ。」

 優一の、そんな姿を見ていたら、こんな言葉を発していた。

 「本当、おかしな事ばい。でも、お前が、嘘をつくような子じゃ、ないってのは、ワシは、わかっとる。」

 「えっ。」

 優一の言葉が、有加の想像していた言葉と、違っていた。優一は、真っ直ぐに、受け止めてくれていた。

 「ただなぁ、おばあらしいか事やと、思ってなぁ。俺じゃなくて、お前の所にか、ホント、おせっかいやわ。あのばばぁは…」

 そんな言葉を口にすると、目を開いて、成長した、我が娘、有加の事を見つめていた。

 「お前、ちょっと、太ったか。」

 優一の、不意を付いた言葉。有加の顔に、赤みが、さしてくる。

「エッ、何…」

 気の張った空気が、急に、軽くなっていく。優一が、意図として、言葉にしたのかは、わからない。そんな優一の言葉が、有加の表情を、緩ませていた。

 「そら、龍吾も出産したし、十年前よりは、太ったと思うけど…父さん、今は、そんな話、しとらんよ。」

 焦りからか、早口になってしまう有加。優一は、そんな有加を見て、微笑んでいるようである。

 「あっ、そうやったな。おばあの事やったな。あいつらしい…捨て子やったわしを、おばあは、いつも、気に掛けてくれた。子供の頃の記憶には、いつも、おばあがおる。溢れるぐらいにな。嫌になってくるわぁ。おばあの子守唄。今でも、覚えとる。あのばぁばぁらしいわ。頼みもせんのに…」

 続け様に、こんな言葉を口にする優一は、少し、苦笑している。

「父さん。」

「お前の話をした事に、間違いはなか。すべて、本当の事ばい。おばあのやろう、勝手な事、しよって…」

有加が、何かを口にしようとすると、そんな言葉を付け加えた。

「勝手な事って…、父さん、おばあは、私の為に…」

優一のぶっきら棒な言葉に、有加は、こんな言葉を、ぶつけてきた。

「勝手な事ばい。おばあの駄菓子屋の火事の後、お前は、三日三晩、意識不明やった。目が覚めたかと思えば、<記憶喪失>やと、言われた。その時は、正直、ホッとしたというのが、本音やったたい。辛い記憶は、忘れた方がいいたい。記憶があると、悩み、苦しむ。わしみたいにな…辛い思いをするとやったら、記憶がない方がよか。」

そんな優一の言葉が、有加の心に、突き刺さった。有加の事だけを、考えた言葉。

「わしは、それで、よかったんよ。お前の記憶は、わしの記憶と、一緒や。わしより、辛い記憶なんよ。お前が、京子の死について、聞いた時あったな。その時、わしは、怒ってしもうた。お前の顔に、近づけて、叫んだな。その時の、お前の怯えた顔、今でも、覚えとる。その後ぐらいからか、お前は、わしを、避けるようになってもうた。わしは、それでいいと思ったんよ。お前が、わしを、憎む事で、記憶を思い出す事もなくなるやろうって…」

静かに、そんな言葉を口にする優一。これ以上の事は、言葉に出来ない。有加の為に、黙っていた事。全てが、優一が、望んでいた事だったのである。

「・・・」

黙っている有加。優一は、有加の後ろにいるはずの、勇生がいない事に気づく。

「有加、夕食の買い物に、いかな。その前に、勇生君、待っとかな。」

優一は、慌てていない。勇生が、気を利かして、席を外したんだと、思っている。そんな優一の言葉で、後ろの方に、視線を向ける有加。

「あれ、勇生は、龍吾は…」

そんな言葉を、発している有加の姿を見て、笑みを浮かべていた。

「有加、お茶、冷めとる。温かいやつ、入れてこような。」

そんな言葉を口にして、立ち上がる。有加は、慌てている。ずっと、後ろにいると思っていた勇生がいないのである。

「すぐに、戻ってくるたい。気を、利かせてくれたんやろ。」

台所に向かう際、そんな言葉を残していった。

何やら、和やかな空気が流れている。今日という日が、特別な日になるだろう。まだ、まだ、初夏には、遠い季節。長い、長い時間が、強い絆を作ったのかも知れない。優一は、おばあに、感謝をする。再び、娘に、逢わせてくれた事に…、孫の龍吾に、逢わせてくれた事に・・・・



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