第37話 父親 優一

「ここやと、思うんやけど…」

商店街を抜けて、少し、歩いた場所。目の前にある民家に、何か、不思議なものを感じていた。新しいのか、古いのかわからない。そして、記憶の中にある<おばあの駄菓子屋>に、そっくりなのである。昔の造りである。玄関というのであろうか、入り口が、とても、広く取ってあり、ガラス戸に、カーテンがかかっている。売り物駄菓子、その品物を置く棚と、看板を掲げれば、今にでも、商売が、出来る造りをしている。有加は、一歩、二歩と、後方に下がり、目の前の民家を、まじまじと見てしまう。

「有加、ここ。ちゃうんと、ちゃうか。」

勇生は、この家の造りに、疑問を持ってしまう。明らかに、勇生の記憶の中にもある、昔の商店の造りなのである。

「そうやんなぁ、おばあの駄菓子屋は、燃えているし…でも、ここのような気がするんよ。」

寂れて潰れた商店の雰囲気は、全くない。古い造りであるのに、新しく感じてしまう。

「勇ちゃん、私の鞄に、葉書、入っているから、ちょっと、出してみて…」

有加は、葉書に書いてある住所で、確認をしようと思ったのだろう。

「あっ、そうやな。」

勇生も、そんな有加の言葉を、すぐに、理解する。手に持っている鞄を、地面に置いて、中腰の状態で、鞄を開けようとした瞬間、目の前の昔ながらの引き戸が、開かれる。

ガラ、ガラ、ガラ…

無意識に、引き戸の方に、視線が向く。中から、顔を見せる男性。二人の瞳に、同時に映し出された。明らかに、優一であった。髪の毛の色が、少し、薄くなっているが、間違いなく、父親の優一である。

「父さん…」

そんな有加の言葉が、優一の耳に届いた。不恰好な状態で、目が合ってしまった。忘れていた緊張が、勇生に襲ってくる。不意をつかれるとは、この状況の事を云うのであろう。勇生は、背筋を伸ばし、直立不動になっていた。

「表が、騒がしいと思ったら、やっぱり、有加か。何しとっと、入らんね。」

そんな言葉を発して、引き戸を開けたまま、背を向ける。

抱き合って、喜ぶなり、父親が、涙を流して、娘を迎える。そんな感動的な再会ではなかった。

「はい。」

そんな言葉を発して、思わず、身体が動いてしまう有加。奥域のある土間。無動作に、置かれている数足の履物と、自転車が一台、置かれている。

視線が上げると、正面に、置かれている柱時計。有加は、言葉を失ってしまう。

 ガラ、ガラ、ガラ…

 勇生が、引き戸を閉める音が、広い土間に、響いていた。

 「あの、わたくし…」

 身体が、ガチガチに固まっている勇生の口から、言い慣れない言葉が、発せられる。優一は、そんな勇生の言葉の途中で、振り向き、勇生に目を合わせた。当然、勇生の言葉は、止まってしまう。

 「あぁ、君が、勇生君やね。でぇ…、この子が、龍吾か。」

 勇生は、飛び切りの笑みを浮かべて、有加が抱く、龍吾を覗き込む。

 「えっ!」

 有加は、柱時計に見入っていた。迂闊にも、そんな優一の言葉を、流してしまう所であった。

 「エッ、ちょっと、待って、どうして、二人の事、知っているの。父さん。」

 十年振りの里帰り。連絡を取ったのは、一ヶ月前。留守電に、メッセージを入れただけである。そのメッセージには、逢わせたい人といっただけで、勇生の名前も、龍吾の事も言っていないはずである。何で、勇生と龍吾の名前を知っているのか、正面の柱時計の事が、ぶっ飛んで、そんな言葉を発していた。

 「そんな事よりも、有加。留守電のメッセージに、帰ってくる日時と、時間、入れとかんと…ゴールデンウィークって、曖昧なぁ。多分、今日やと…何時って、わからんから、夕飯の買い物にも、行けんかったとよ。」

 有加の言葉を、軽く、受け流し、そんな言葉を口にする。

 「あっ、ごめん…って、ちゃうやん。」

 「まぁ、有加も、勇生君も、早く、入りぃ

…」

 優一は、軽く、微笑んで、土間を上がっていく。何の納得いかない有加は、慌てて、靴を脱いで、優一の後を追い駆ける。

 有加が、抱く疑問の原因は、後方にいる勇生である。有加と、一緒に暮らすようになって、有加に黙って、優一に、手紙を書いていた張本人。その勇生も、手荷物を持って、土間を上がっていく。

 居間に上がっても、また、驚いてしまう。視界に入る部屋の間取りが、記憶にある、五年間暮らしていたおばあの駄菓子屋、そのものなのである。

 「勇生君、荷物、そこら辺に、置いといて…」

 そんな優一の言葉に、まず、解決しなければいけない事柄に、気づく。

 「父さん、父さんって、どうしてなん、どうして、二人の事、しっとるね。」

 そんな言葉で、父親、優一に詰め寄る有加。

 「・・・、有加、何、慌ててると。まずは、龍吾君ばぁ、下ろさんね。お茶入れるから、座っとき…」

 優一は、落ち着いている。そんな言葉を、口にして、台所に向かう。驚く事ばかりの有加に、勇生は、そんな言葉を掛けた。

 「有加、とにかく、落ち着こうや。お父さんの言う通り、龍吾を下ろして…」

 さっきまで、直立不動で、ガチガチだった勇生も、落ち着いていた。有加の父親、優一との、初対面の事で、頭が、いっぱいだったのだろう。本当であれば、今日の新幹線の車両で、博多に着いてから、有加に黙って、優一に手紙を、書いていた事を、打ち明けようと思っていた。

 抱っこ紐から、龍吾を下ろす有加は、龍吾を、勇生に預けて、足が台所に向く。お茶を、準備している優一の姿を目にすると、こんな言葉を掛けていた。

 「お父さん、私が、やるけん…」

 二人は、目を合わせる。一瞬、時間が止まった。

 「そうか…」

 目を避けるように、時間が動き出す。優一も、素直に、有加に任せる。不思議と、お茶葉のある場所、湯のみが置かれている場所が、わかってしまう有加。

 「勇生君、とりあえず、座布団ばぁ、重ねて、寝かしとくばい…タオルケットはと…」

 居間に戻った優一は、そんな言葉を、勇生に掛けて、奥の部屋に足を向けた。優一の言うとおり、座布団を重ねて、龍吾を、寝かせている勇生。

 「あった。あったばい。」

 優一は、奥の部屋から、タオルケットを持って、勇生に近づいていく。

 「こればぁ、かけとき…」

 あくまでも、フランクに、話しをしてくれる優一に、肩の力が抜けていく。優一は、龍吾の寝姿が、瞳に映ってしまう。思わず、こんな言葉を、口にしていた。

 「勇生君、抱いても、いいね。」

 「はい、当たり前じゃないですか、いいですよ。どうぞ。」

 勇生は、座布団の前に膝まつき、龍吾を、抱き上げる。言葉に出来ないでいた。幸福感が、優一を覆った。

勇生は、挨拶を忘れている。優一の自然な振る舞い。目の前にある、幸せそうな笑顔が、挨拶を、忘れさせていた。

「久しぶりやね。こんな小さい子…軽かとやね…。」

崩れまくっている優一の表情に、<ケタ、ケタ>、笑っている龍吾。すっかり、勇生の緊張も、どこかに、いってしまっていた。


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