第35話 有加の不安
地下鉄に乗り、天神。西鉄福岡駅に向かう。勇生は、地下鉄に乗る前に、ルートを、確認していた。<祇園><中洲川端><天神>と、三つ目の駅で降りて、西鉄天神大牟田線。勇生は、慌てているし、緊張している。そんな勇生に、有加は、こんな言葉を掛ける。
「勇ちゃん、慌てても、仕方がないやん。ゆっくりと、いかへん。」
時計の短針は、もう十二時を回っていた。
「父さんに、何時までに、行くって、ゆうてへんし、今日までに、着けばいいんやん。」
有加の大雑把な言い方、態度に、呆れてしまうが、勇生は、そんな有加の言葉に乗ってしまう。
有加の方は、今朝とは、全く違う不安に、冷静になろうと、努めていた。
「有加、どうする。急がなくていいから、天神って所で、飯でも食うか。」
地下鉄の車両に、揺られながら、そんな言葉を発していた。完璧に、有加の言葉に、乗っかっている勇生。
「うん、それ、いいかも…」
気持ちの整理がつくまで、時間がほしいと思う有加は、そんな返事をしていた。
シュゥー…
地下鉄の車両が、天神駅のホームに着く。ドアが開く瞬間、我先にと、降りようとする人波の中に、二人はいた。九州一の都会。さすがに、人の数は、さほど、大阪とはかわりがない。地元の有加を先頭に、その後を、荷物を持った勇生が付いていく形になっている。二人は、改札を抜けると、地下街を歩いていた。
「有加、抱っこ紐、持ってこんかったんか。」
自宅から、ずっと、龍吾を抱いている有加に、そんな言葉を掛ける。
「持ってきていると、思うけど…」
「ちょっと、待ち、探してみるから…しんどいやろ。」
勇生は、往来の邪魔にならないような所で、立ち止まり、荷物の中を探してみる。新幹線内で、有加の代わりに、龍吾を抱く時間もあったが、圧倒的に、有加が抱いていた時間の方が多い。抱っこ紐という、基本的な事に、気づいた二人は、多くの往来がある中、抱っこ紐を探していた。
「あった。」
「よし、龍吾をこっちに…」
前に抱きかかえる抱っこ紐を身につける有加。再び、人の往来の中を、歩き始める。
「何、食べようか、腹へって、しゃぁないわ。」
そんな事を言いながら、辺りの飲食店に視線を、移している勇生。今度は、勇生の後方を歩いている有加。
「博多といえば、屋台やな。でも、こんな時間にやってんのかな。ラーメンもええなぁ。チョイ待てよ。ラーメンっていえば、久留米ラーメンってのもあるぞ。今から、久留米行くし、二食続けて、ラーメンってのも…あぁ、どないしよ。」
勇生の頭の中は、昼食の事で、一杯であった。有加の父親に逢うという、プレーシャーから、解き放たれた一時。楽しそうな表情を浮かべ、何を食べようか、考えていた。
「勇ちゃん、ちょっと、聞いてくれる。」
楽しそうに、食べ物の事しか、頭にない勇生の、隣に並び、こんな言葉を掛ける有加。
「ふん。」
勇生の視線が、有加に向くと、言葉を続けた。
「あんな、十年振りの里帰りやん。私、父さんから、手紙、ほとんど、読んでなかったやん。やから、父さんの今の状況、全く、わからんのよ…」
今更の話しである。丁寧に話そうとするつもりが、こんがらがってしまう。
「父さんって、まだ、五十前なのね。私が、大阪に出て、十年も経つやん。私といた時は、そんな事なかったと思うやけど…もしかしたら、あったのかな…でも、父さん、若いしなぁ…」
有加のそんな言い回しに、イライラしてしまう勇生。
「何が、言いたいねん、お前は…」
有加の言葉途中に、思わず、そんな言葉を発してしまう。
「やからねぇ。どういうやろ。あのね。父さん、まだ、若いし、その、女性って、いるんやろか。」
有加の声が、小さくなっていく。俯き加減で、そんな言葉を口にする有加の姿。勇生は、地下鉄の車両で、有加が口にした言葉。勇生が、乗っかってしまった言葉を思い出した。
<勇ちゃん、慌てても、仕方ないやん。ゆっくりと、行かへん>
この言葉の意味を、理解した。
「あぁ、そういう事か。それで…そら、お父さんも、男やし、おらんと云うのは、言い切れんやろ。」
「エッ、男の人って、そういうものなん。」
勇生が、口にする言葉に、慌てて、そんな言葉を被せてくる。勇生の、皮肉の込めた言葉を、まともに受け止めてしまう。
「それは、人それぞれやけど…」
「そうやんな、父さんも、男やもん…」
そんな勇生の言葉が、聞こえていないようである。落胆している有加の姿。今の今まで、考えもしなかった不安が、確信に変わっていく。有加の気持ちは、沈んでいた。
「でも、有加のお父さんは、ちゃうと思うで、そんな女性がいたら、お前に、紹介すると思うし…」
…
勇生は、慌てて、そんな言葉で、フォローを入れるが、言葉が返ってこない。
「有加、聞いているか、お前のお父さんは、ちゃうと、思うで…」
同じ言葉を、二度、口にする勇生。
「そうやろか。」
「そうやって…」
落胆する有加は、やっとの事で、言葉にする。
「でも、正直、お父さんが、どんな形であれ、女性と一緒にいてくれた方が、俺は、楽かもしれん。」
「なんでよぉ。」
思わず、素直に思いを、口にしていまう勇性を、鋭い目つきで、睨みつける有加。
「ほら、有加、それやったら、お互い様やん。俺は、お父さんの許可を得ずに、お前と、入籍したんやで、その負い目が、あんねん。お父さんが、もし、お前の許可なしで、入籍でもしていれば、お互い様やん。今から、逢う、俺の気持ちは、楽になるよ。」
勇生は、慌てて、そんな言葉を口にしていた。この言葉を口にすれば、有加が、何もいえなくなるのは、わかっていた。
「でも、それは、私が、悪いんやし…」
案の定、有加は、言葉を止めて、俯いてしまう。そして、勇生が、口にした言葉も、わかる過ぎるほど、わかっている。
「でもやで、有加のお父さんは、そんな事ない。お前に、黙って、そんな事せぇへんって…」
そんな言葉を言い切る勇生。そして、静かに、有加の肩に、手を回した。
「そうかな。」
「そうやって…」
確信に変わった不安が、和らいでいく。晴れ晴れしたという所まではいかないにしろ、重たく感じていた、足取りが、少し軽くなっていた。
「ところで、どこで、食事するよ。やっぱり、ラーメンにするか。」
有加が、落ち着いたと見ると、話しを変えてきた勇生。さすがに、空腹には、勝てないようである。そして、視線をまた、周りの飲食店に向いてしまう。
「いや、勇ちゃん、行くよ。早く、行かないと…」
勇生の意に反して、有加は、そんな言葉を発して、勢いよく、早足になっていく。十年も、連絡を取っていなかった自分が悪いのである。もし、そんな女性がいても、有加には、何も言う事はできない。とにかく、逢う事だけを、考えるようにした。そんな気持ちの切り替えが、有加の足を、前へと、進ませていた。
「おい、待てよ。有加、それは、ないやろ。」
一方、勇生は、そんな有加の肩透かしで、そんな言葉を発してしまう。有加を、追いかけるしかなくなる。昼食モードに、入っていた勇生には、気持ち的に、辛く感じている。有加の後を追い駆ける、天神の地下街の風景が、少し、滑稽に見えてしまう。
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