第33話 山陽新幹線

 <あっ、父さん、久しぶり、今度のゴールデンウィーク、逢わせたい人がいるから、帰るね。突然に、ごめんね。とにかく、ゴールデンウィークに、帰るから…>

 父親の留守電に残したメッセージが、有加の頭の中で、こだましている。

 山陽新幹線。博多行きの車両。朝早い時間帯に、龍吾を抱きかかえている有加の姿が見える。もちろん、隣には、スーツ姿の、少し緊張気味の勇生がいた。

 「有加、こんな格好で、よかったんかな。もうちょっと、ラフな格好の方が、よかったんとちゃうか。」

 勇生にとって、初めての、有加の父親に逢うのである。まして、結婚前ならまだしも、入籍後、龍吾まで、生まれてしまっている。緊張しないわけにはいかない。

 「大丈夫、父さん、そんなに、怖い人じゃないから…」

 表面上は、平然を装っているが、勇生以上に、緊張をしているのは、有加の方かもしれない。十年振りの里帰り。言葉に出来ない不安が、有加を襲っている。

 そわそわしている勇生。車両を回っている車内販売の女性を、呼び止めていた。

 「ビール、もらえる。」

 一息つきたい思いが、そんな言葉を発しさせる。

 「有加、弁当か、なんか、食べるか。」

 続け様に、そんな言葉を続ける。勇生は、不謹慎だと思ったのか、とりあえず、そんな言葉を付け加えた。

 「うぅん、オレンジジュースだけで、いいや。」

 正直、緊張で、食事が、喉を通らない状態なのである。そんな事を、勇生に気づかれないように、そんな言葉を口にした。有加は、強がっていた。今朝の状態から、わかると思うが、不安で押しつぶされそうな自分がいる。

 「くわぁー…朝っぱらからのビールは効くわ。でも、うまい。」

 ビールの缶を、口に運び、そんな言葉を発っする。

 「ところで、有加、どうなんよ。」

 そんな言葉が、続けた勇生。隣にいる有加は、キョトンとしてしまう。<どうなんよ。>って、何が、どうなのか、わからないでいた。

 …

 「今朝、早く、目を覚ましていたやん。お前の方は、大丈夫なんか。」

 一瞬で、赤面の有加が出来上がる。有加が、父親に逢う事を、不安に感じている事を、勇生は気づいていた。

 「お前にとって、十年振りやろ。父親に、負い目もあるやろ。不安で、仕方がないのはわかるけど、今日は、俺のフォローをしてくれや。俺の置かれている立場の方が、大変なんやから…」

 そんな言葉を口にして、笑って見せる。勇生の優しさが、こもる言葉である。

 「勇ちゃん…」

 八年間、見守り続けてきた有加。言葉にするには、恥ずかしいが、愛し続けてきた有加。あの旅行から、帰ってきた日から、今日までの言動を、目にしていたら、わかりすぎるほど、わかっていた。

 「ところで、前から、聞きたかったんやけど、記憶が、戻るって、どうなん。」

本日、二度目の<どうなん>。勇生は、主語を付けてくれないから、わからない。勇生の気を使ってくれている言葉に、うれしさが込み上げてくる。しかし、有加の頭には、複数の疑問符が、並んでいた。

「だって、今までなかった記憶が、今、頭の中にあるわけやろ。何か、ごちゃごちゃして、こうへんか。」

そんな勇生の言葉が、耳に届く。有加は、考え込んでしまう。この一ヶ月、そんな事を、考えた事もなかった。只、失っていた記憶の父親と、自分が抱いていた父親と、あまりにも違っていた事に、悔やみ続けていた毎日であった。自分を守り、逝ってしまった母親京子、おばあに、感謝する一方。申し訳なさが、自分を追い込んでしまっていた。

「記憶の中に、おばあと暮らした五年間があって、小さくて、ぼんやりやけど、母さんが、笑っている映像があったり、時々、ごちゃごちゃするかな。」

有加は、そんな言葉を口にすると、しばらく、口を噤んでいた。勇生も、それ以上の事は、聞こうとしなかった。以前の勇生であったら、こんな事は、聞かなかっただろう。有加の奥底にある闇に、触れる事は出来なかった。

山陽新幹線が、岡山を通過した頃。有加は、突然、含み笑いをする。

「勇ちゃん、聞いて、私が、まだ、幼稚園くらいの時やと、思うけど…」

思い出し笑いをしている有加。口を噤んでいる間、自分記憶を、見つめていたのだろう。この一ヶ月、父親優一に対しての後悔。京子、おばあに対する、申し訳なさに、押し潰されそうになっていた有加が、失っていた記憶の中に、何かを、見つけようとしていた。

「多分、銭湯に行く時か、帰る時。父さんが、私に、誕生日プレゼント、何がいいって、聞いてきた時、私、<弟>って、言っているの。商店街の、人の往来が多い所で、私、<弟>って、連呼しているの。その時の父さんの困った顔。母さんの真っ赤な顔。面白いなぁ。そら、そうやん。誕生日プレゼントに、<弟>なんて、父さんと母さんに、エッチしてって、言っているようなもんやもんね。」

そんな言葉を口にして、笑っている有加。

「それにね。おばあと暮らしている時。おばあと、父さん。いつも、口喧嘩してたんやけど、二人とも、めちゃ、楽しそうなの。喧嘩している脇にいると、ドギモギするやん。でも、おばあと、父さん、遊んでいるみたいやねん。あっ、早々、漫才や。漫才しているみたいやったんよ。」

有加は、そんな思い出話を、し始める。有加の表情が、生き生きしているのがわかる。勇生は、ひたすら、聞き手に徹する。不思議と、勇生の緊張も、ほぐされていた。有加の表情を見ていたら、有加も、そうなのであろう。失っていた記憶の中にある楽しい事を、見つけ出し始めた。有加は、冗舌になっている。勇生に、楽しい思い出話を、次々と、聞かせていた。勇生が、意図としていたのかもしれない。この一ヶ月、有加の事を見ていて、気づいてほしかったのだろう。十年振りの里帰りなのに、負のイメージを持ってほしくなかった。楽しんでほしいと思っていた。勇生の有加への想いが、そんな形になっていた。

本州の端に位置する山口県に入っても、有加の思い出話が続く。有加は、時間を忘れて、話をしていた。重苦しい空気の中、始まった、山陽新幹線の車両の中。時間が、経つに連れて、そんな重苦しさが、無くなっていく。


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