第28話 有加の決意

のんびりとした時間を過ごした親子は、歩いて<御坊>駅に、戻っていた。古い雰囲気のある町並みに続いては、美浜町の煙樹ヶ浜に向かう。本日の宿のある、日の岬に向かって、車を走らせる。

「相談やけど、<海の里・みちしおの湯>ってのがあったんよ。ちょっと、遠回りになるけど、ええか。」

「ええかって、いいよ。海の温泉って事だよね。やっぱ、塩辛いのかな。」

有加も、昨夜の龍神温泉というか、温泉自体が、気に入ったのだろう。そんな勇生の言葉に、食いついてくる。

「あった、あった。<温泉館、海の里、みちしおの湯>…海岸線を、見渡せる温泉だって、なんか、いいね。昨日は、山の温泉。今日は海の温泉。なんか、すごいね、私達…」

そんな言葉を、並べる有加。本当に、楽しそうである。そんな会話で、盛り上がっていると、防風林の道を、通り抜け、二人の目の前に、直線的な真っ白な砂浜と、穏やかな波の中に、力強さを感じる海が、瞳に飛び込んできた。勇生は、アクセルを緩める。スピードダウンした車が、海岸線の道路脇に停められた。

「すごいね。」

車を停めて、身を乗り出している勇生の隣で、そんな言葉を発している有加。

澄み切った青い空の下の、白い砂浜。一見、穏やかな海に見えるのだが、海の上には、力強い波が、立っている。水面が、盛り上がって見えたかと思えば、勢いよく、白い砂浜に、波が押し寄せてくる。何も、障害もない、海の風景に、見入ってしまう二人がいた。

 「ふぅう、海辺まで、降りてみようや。」

 しばらく、感動をしていた二人は、そんな勇生の言葉で、動き始める。二人は、外に出て、勇生が、後部座席の龍吾を、抱きかかえる。有加の髪が、潮風に、なびいていた。

「いい、匂い。」

有加は、そんな言葉のあと、白い砂浜に、足を踏み入れる。身体いっぱい、潮風を浴びて、ゆったりと、砂浜を歩いている。その後方を、龍吾を抱きかかえながら、有加の後ろ身を見つめていた。四月の澄み切った空の下、太陽の日差しが、心地いい。

「ねぇ、勇ちゃん…」

突然、有加が振り向いた。満面の笑みを浮かべて、そのまま、後ろ向きで、足を進める。

「なんや。」

「勇ちゃん、覚えている。私と、出会った時の事。」

急な有加の言動に、何か、照れてしまう。龍吾の身体を、立ち抱っこに変えて、誤魔化していた。

「なんやねん。急に…」

「出会ったその日に、<君、どこかで、俺と逢ってへん>って、古臭い口説き文句。覚えてる。」

そんな有加の言葉で、八年前の事を思い出す。確かに、勇生が口にした言葉。

「古臭い口説き文句って、確かに、あの時、そう思ったんよ。」

「何でよ。私は、福岡。勇ちゃんは、ずっと、大阪やん。逢っているわけないやん。」

有加は、そんな言葉を口にした後、また、前を向いて歩き出す。勇生は、そんな有加を、小走りで追いつき、横に並んだ。

「待ちいや。そら、俺は、ずっと、大阪やけど、あの時は、ほんまに、そう思ったねん。」

勇生は、この事については、ムキになってしまう。有加は、口説く為の台詞だと思っているのが、悔しかったのだ。龍吾の身体を、大きく揺らしながら、そんな言葉を発していた。

「はい、はい…」

何か、澄ましている有加の態度に、軽い、怒りが込み上げてくる勇生。

「待って、待て、有加。俺と出会うまで、お前が、大阪に来て、二年ぐらいは、経っているやん。大阪の街のどこかで…例えば、同じ店の、席が隣になったとか、電車で一緒になったとか、あるかもしれんやん。」

「勇ちゃん、ほな、聞くけど、席が隣になった人間とか、電車で、一緒になった人間の顔なんて、覚えているの。もし、覚えていたとしたら、どこそこで会ったって事も、覚えているはずやん。」

勇生の言葉に、有加は、そんな言葉を返した。案の定、言葉が、止まってしまう勇生。

「ほら、口説き文句やったんでしょ。認めなさい。」

そんな言葉を、有加は口にする。まぁ、勇生が一目惚れをした立場、こんなに強気なるのもわかる。只、有加の顔を見た時、勇生は、目の前の女性と,どこかで逢った事があると、直感していたのは、確かなのである。勇生は、何も、言い返せない間も、頭をフル回転させて、色んな言葉を思い浮かべるが、適当な言葉が見つかない。口ごもっている間、有加は、波打ち際で、波と戯れていた。目の前に広がる、力強く感じる海原を見て、有加の動きが止まっていた。

「有加、あんな…」

勇生は、そんな有加に駆け寄り、そんな言葉を掛けたが、有加の動向に言葉を止めた。しばらく、海の遠くの方を見つめている有加。

「勇ちゃん、すごいね。」

落ち着いた様子で、言葉にする。穏やかな表情をしている有加に対して、どんな言葉を、返していいのか、わからなくなってしまう勇生。

「昨日は、紀伊の山に、魅了されて、今日は、この目の前の海。何だろうね、私に、どうしろっていうやろうね。おばあは…」

有加のそんな言葉に、勇生の表情も、穏やかになってくる。有加と同様に、海の遠くに、視界を向ける。有加の心境が、伝わってくる勇生は、龍吾を片手で支えながら、有加の肩に、手を置いた。

「勇ちゃん、決めた。勇ちゃん、お父さんに、会ってくれる。」

有加は、大海原を前にして、そんな事を口にする。勇生は、軽く、有加の肩を叩くと、有加の横顔を見つめた。勇生のそんな視線を感じたのか、有加も、勇生の顔に、視線を向けた。

「当たり前やろ。」

そんな勇生の言葉で、涙が、溢れてくる有加。昨日、起こった出来事が、有加の人生を変えていく。もう、逢う事のない。葬式の時、死に顔を、見るぐらいであろうと思っていた。とても、嫌っていた。嫌いで仕方がなかった父親、優一。父親に逢おうと、決心する。この大海原を、目の前にして、決意した。この旅行は、天国にいるおばあが、導いてくれたものかもしれない。

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