第22話 本当の心
「おばあ。」
有加は、ゆっくりと、目を開く。おばあの意識の中から、解き放たれていた。目の前には、有加の手のひらを、自分の額に当てているおばあの姿があった。ニコッと、笑みを浮かべていた。
「どうね。見えたかい。」
そんな言葉を発すると、ゆっくりと、手のひらを、自分の膝の上に下ろすおばあ。
…
おばあの事を、見つめているだけで、言葉が出てこないでいる。意識の中で、目に焼き付けた事。食器棚の下敷きになりながら、幼い有加を、守ってくれたおばあと、目の前にいるおばあの姿が、重なってしまっているのだろう。
「有加、いいね…」
おばあは、黙っているだけ有加に、静かに、語り始めた。
「・・・、優一は、懸命に、お前を、抱きしめていたやろ。京子ちゃん、お前のお母さんの時も、そうやったとよ。あの子は、本当に、頑張ったと。あれが、本当の姿たい。」
有加は、おばあのこんな言葉に、さっき見つめていた場面が、頭に浮かんでくる。瞳に、自然と、涙が溜まりだす。
「優一は、優一になりに、悩み、苦しんでいたと。自分を追いやり、すべて、自分のせいにして、苦しんでいたと…二回とも放火だった…今からすれば、運が悪かったとばい。なのに、優一は…」
おばあは、悲しそうな表情を浮かべる。
「優一が、やっと、出来た家族を失い、やっとの事でも立ち直ったかと思えば、今、見た出来事ばい。確かに、有加にとって、いい父親じゃぁなかったかもしれん。でも、全ての事を、自分で背負い込んで、自分で、解決しようと、人を頼る事を知らん子やから…全く、馬鹿な子たい。」
有加に、言い聞かせるように、こんな言葉を並べる。有加の手を握り締め、有加の心に、話しかけた。有加は、夫、勇生の言葉を思い出す。
「おばあ、私。お父の事を、悪者にする事で…すべて、お父のせいにして…私のせいで、お母も、おばあも…ずるいよ。私って、きたないよ。」
勇生が、口にした<記憶のコントロールする>という言葉。幼いながらも、京子とおばあを他界させた責任が、自分だと思い込み、父親、優一を悪者にする事で、責任を、転嫁してしまう。だから、記憶を失う事で、自分の罪を、消し去ろうとしたのだろう。
「有加。優一は、そんなお前の気持ち、わかっていたとよ。だから、何も言わんと…」
おばあは、有加の手を放し、両手を頬に当てた。俯いていた有加の顔を上げて、目を見つめる。
「でもね、優一も、有加も、一つ、勘違いしとる。京子ちゃんも、わしも、有加のせいで、死んだんじゃなか。有加を助けたいから、有加に生きてほしいから、あんたを、守ったと。わしも、京子ちゃんも、有加を苦しめる為に、優一を苦しめる為に、死んだんじゃなか。わかったか!」
頬に当たる両手に、力を籠める。おばあは、わかってほしかった。これ以上、自分が見守って、見続けてきた二人を、苦しめたくはなかった。
「おばあ、私…」
「有加。あんたは、優一に、よく似ているばい。似なくてもいい所まで、そっくりたい。何でも、自分で、背負い込んで、自分を、追い込んで…本当に、そっくりたい。有加ちゃん、もう、いいたい。もう、許してやらんね。親子なんやから、<龍吾君>を、優一に、逢わせてあげんしゃい。」
そんな言葉を口にして、笑みを浮かべるおばあ。
有加は、必死に、幼い自分を抱きかかえ、炎にいた父親の姿が、頭に浮かんでくる。目に焼き付けたあの勇姿を、思い浮かべた。
優一と暮らしていた頃。父親である優一は、あの鬼の形相で、迫ってきたあの時以外、有加の事を、叱る事はなかった。学校から帰り、夕食を作っていると、玄関のドアが開き、<ただいま>の一言だけ、口にする。何も言わず、有加の作った夕食を食べている。たまに、帰りが遅くなる時も、有加は、優一の帰りを待っていた。嫌だと思う、嫌いな優一の事を待っていた。父親のタバコを吸う横顔。テレビのリモコンを握り、お酒を飲んでいる後ろ身、はっきり、覚えている。有加は、無意識の内に、優一の事を目で追っていた。父親の背中を、見つめていた。そんな事を、考え始めると、今まで、流していた涙が止まっていた。
おばあは、そんな有加の顔を見て、ニコッと笑った。そして、こんな言葉を口にした。
「もう、わしの出番は、終わってしもたたい。もう、大丈夫やね。」
おばあの両手が、有加の頬から、放れていく。おばあは、有加の想いを感じ取っていた。有加の記憶の中に、優一が、父親に変わって事に、気づいていた。有加の目の前の風景が、変わっていく。おばあの駄菓子屋が、透き通り始める。
「エッ、何、言ってんの。おばあ。」
「有加ちゃん。おばあ、もう行くたい。優一に逢ったら、財布の中を見せてもらい。優一の奴、今も、大事にもっとるから…赤ちゃんのお前を抱いている京子ちゃんの写真、大事にしまっとる…じゃあ、行くたい。」
おばあが、そんな言葉を発して、手を振る。満面の笑みを浮かべて、手を振る。有加は、おばあの手を握ろうと、手を差し出す。おばあの皺くちゃの手が、すり抜けてしまう。空気のように、ゆっくりと、おばあの姿が、消えていった。
<おばあ。>と、叫びたい。しかし、声が出ない。悲しいのに、なぜか、涙が溢れてこない。抜け殻のまま、その場に、立ち竦むだけの有加がいた。
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