第21話 おばあの言葉
ガチャーン!
咄嗟に、おばあの片腕、有加の身体を、必死に抱きかかえ、もう片腕で、食器棚のガラス部分に、手に突いた。必死に、有加の身体を、支えようとする。しかし、食器棚の上の部分が、手を突いた事で倒れてきた。一瞬の出来事。おばあは、有加を庇い、倒れてきた食器棚の下敷きになってしまった。
『有加、おばあ。』
微かに、意識の有加の耳に、そんな言葉が届く。目の前で、起きた事に、何も出来ないでいる有加。
<お父、お父の声>
勝手に、身体が動く。振り向き、壁を通り抜け、外に出ていた。そんな有加の瞳に、映ったもの。
『何、腕、つかんどる。放さんかい。娘が、おばあが、中におるんじゃ。』
優一は、防護服を着た消防隊員に、腕を掴まれていた。そんな言葉を、発したかと思うと、腕を掴んでいた消防隊員の胸グラを掴んでいるのが、瞳に映る。
『はなさんかって、いっとろうが!』
そんな言葉を発した瞬間、優一の拳が、胸ぐらを掴んでいた、消防隊員の頬に入っていた。
戸惑う事もなく、炎に包まれるおばあの駄菓子屋に向かって、走り出していた。
『有加、おばあ。』
そんな叫び声をあげて、浮いている有加の体をすり抜けて、炎の中に、飛び込んでいった。
<お父!>
有加も、そんな声を上げて、若き日の優一を、追っていた。燃え上がる炎の中、優一は、おばあと有加の姿を探している。立ち込める炎が、優一に襲いかかる。タオルで、口と鼻を覆い、身を低くして、前へ進んでいく。
『おばあ!』
居間に、辿り着いた時、食器棚の下敷きになっている、おばあの姿を見つける。食器棚を、背負う状態で、両肘を突いている。食器棚が、倒れてきた瞬間、当たり前の様に、有加を庇っていた。おばあの胸下に、シーツの中で、震えている有加の姿がある。
「おばあ、待っとき、今、助けたる。」
優一は、そんな言葉を口にする。おばあが、背負っている食器棚に手をやる。
「ちょっと、まちんしゃい。優一、有加だけでいいたい。」
搾り出す、か細い声。おばあは、そんな言葉を、発していた。もちろん、優一には、そんな事できる筈がない。
「何、いっとる。おばあ…」
優一は、そんなおばあの言葉を無視して、食器棚を、持ち上げようとする。
『優一!あんた、元消防隊員やろ。この状況で、二人も、助けるのは、無理やと、わかろうも!』
古い木造家屋。築何十年だろうか。間違いなく、何十年単位だ。とにかく、火の回りが速い。グズグズしていたら、退路を断たれてしまう可能性の方が、高い状況。おばあを背負い、有加を抱きかかえて、この炎の柱の中を、外まで行くのは、奇跡に近いだろう。しかし、おばあだけを、置いていく事など、出来るわけがない。
「優一、聞きんしゃい。わしが、この五年間。有加ちゃんの面倒見させてもろうて、本当に、楽しかったと。老い先短い、年寄りよりも、有加やろ。優一、いいね、あんたが、守らないかんとよ。京子ちゃんが、残してくれた命ばい。有加ばい。」
おばあは、そんな言葉を発すると、最後の力を、腕に込めて、背負っている食器棚を、背負いあげる。
「優一、いいから、早く、いきんしゃい。ほら、有加ちゃんば…」
優一は、シーツに包まれている有加を、引きずり出す。優一の腕に、震えている有加の振動が、伝わってくる。
バタン!
力尽きたおばあは、そのまま、食器棚に押し潰される。有加を、抱きかかえ、何もする事も出来ないでいる優一。目を真っ赤にして、言葉にならない。
「優一。はよぉ、いきんしゃい。有加ちゃんばぉ…」
優一の耳に、おばあの声が届いたのは、ここまで、おばあに、背を向けていた。有加の身体の震えが、優一を、動かせていた。優一には、有加の心境が、伝わっていた。怖がっている有加を、早く、安心させてやりたい。そんな想いが、足を、前へ、前へ、進ませている。火の粉から、有加を守り、目を真っ赤にして、後ろを振り向こうとしない優一。そんな父親の後ろ身、意識の中の有加は、見つめていた。自分の中に存在していた父親とは、全く違う父親の姿。嫌っている父親が、幼い私の為に、賢明に、炎の中でもがいて、前へ、前へ、進もうとする父親の姿が、目に焼きつく。
<おとう・・・>
聞こえる筈のない言葉。有加は、色んな想いが、込み上げてくる。そして、記憶が、次から、次へと、頭の中に、甦ってくる。大粒の涙が、溢れ出す。たくましい父親の背中が、有加の胸に、温かいものを残してくれた。
ドタ、ババババタぁーン!
優一の姿が、炎の背景から、浮き上がって見える。しばらく、足を進め、崩れるように、その場に膝をつく。優一が、膝をついた瞬間、そんな怒涛の音と、同時に、<おばあの駄菓子屋>が、崩れ落ちる。前にも増して、炎を上げる。優一は、振り返った。炎に包まれ、崩れ落ちる<おばあの駄菓子屋>。大粒の涙を流し、叫び、天に向かって、ぶつけた。
『おばあ!』
幼い有加を、抱きかかえたまま、自分の無力さを、ぶつけるように叫んでいた。幾人かの消防士が、駆け寄り、優一を取り囲んでいる。ゆっくり、ゆったりと、意識が、上の方に、上がっていく。若き日の父親の勇姿を目に焼き付け、おばあの所に、戻っていく。
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