第14話 記憶の整理

勇生は、助手席で、腕を組み、押し黙ったまま、有加の話を聞いていた。【記憶の整理】そんな言葉が、勇生の頭に浮かんできた。人間の記憶と云うのは、けして、忘れる事はないらしい。自分の嫌な記憶、自分に都合の悪い記憶の類は、無意識の内に、<記憶の整理>をするという事になっているらしい。人間の脳を、タンスに例えるとする、たくさんの引き出しがある中、自分が、当たり前のように、手にする引き出しもあれば、全く、手にしない引き出しもある。忘れてしまいたい記憶、本人にとって、辛い記憶は、意識していないところで、心の奥底にある引き出しに、しまい込んでいるだけなのである。…と、あるものの本に書いてあったのを思い出す。

有加と出逢って、半年ぐらい過ぎた頃だろうか、

『私、子供の頃の記憶が、ないの。』

そんな告白をされた勇生。有加にとって、とても、勇気のいる告白であった。自分の闇の部分を、告白したのだから、それだけ、勇生という男性に、親しみを持ち始めた頃だったのだろう。勇生も、有加に、特別な気持ちを抱いていた。有加の気持ちを、少しでも、理解したかった。だから、記憶に関する、ものの本を読み漁っていた時期があった。内容が、難しすぎるものもあったが、そうやらずにはいられない自分がいた。

「勇ちゃん、私、変な事、言っている。」

只、黙って聞いている勇生に、そんな言葉を、発してしまう。十五年以上も、失っていた記憶が、今、はっきりと、頭の中にある。目の前に広がる、田園風景を目にするまで、全くなかった記憶が、頭の中にあるというのだから、有加本人も、信じられない。

「いや、変なんて、思ってへんよ。有加。」

勇生の表情が緩む。そして、有加の瞳を見つめて、こんな言葉を発し始めた。

「お前を、意識し始めた頃。<記憶喪失>告白されて、色々、考えたんよ。記憶を失うって事は、何か、大きな原因があるわけやん。<幼児虐待><性的虐待>が、あったんとちゃうかなんて、考えた事もあった。」

有加は、正直、勇生が、そんな事を考えていたなんて、思ってもいなかった。

「でも、それはないって、すぐに、わかった。お前、たまに、お父さんの事、話するやろ。お前、気づいてへんやろうけど、なんか、楽しそうやねん。口では、大嫌いやとか、あのクソ親父なんて、ゆうてるやん。でも、楽しそうやねん。やから、それはないって、すぐに、思った。」

勇生は、話しを続ける。その間、有加は、何か、込み上げるものがあった。全く、気づいていなかった。勇生の想いに…その想いが、有加には、とてもうれしかった。

「…って、なると、失った記憶自体が、悲しかったり、辛いものやったりとちゃうかと、思ったんよ。その記憶を、失う事で、自分をコントロールしてたんとちゃうか。現に、今、話した事は、<おばあ>との生活、お父さんやお母さんとの生活の事は…」

勇生は、有加の話を、きゃぁんと、聞いていた。勇生の言葉通り、有加が話した記憶は、悲しみや、辛いものではない。有加の母親が亡くなってからのおばあの生活。週末になると、父親である優一が顔を出す。幼い有加は、<お父>と呼び、楽しげに笑っている有加の姿が、目に見えてくる。優一やおばあとの楽しい食卓。辛いものではなく、明るいものであった。

春の穏やかな時間が流れる。勇生は、有加が、ずっと、悩んでいた記憶喪失について、色んな角度から、自分の見解を言葉にする。出会って、八年。こんなに、語った事はなかった。

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