第12話 泣く、ただ、悲しくて ひたすら泣き、おばあの胸の中で泣き崩れる
ビシッ!
呆然と、パイプイスに座り、天井の一点だけを見つめている、優一の頬を叩く音。もちろん、おばあが、手をあげていた。
「おばあか…」
優一は、ゆっくりと、視線を下げる。頬を叩かれても、覇気のない声が、おばあの耳に届く。
「優一!、シャッキとせんね。」
そんなおばあの怒鳴り声が、早朝の病院に響き渡る。
「有加ちゃんは、無事ね。無事やっとね。」
おばあは、優一の両肩を、力強く握り締め、前後に揺すっている。優一の瞳には、只、おばあの姿が映っているだけで、生気というものを感じ取れない。
「有加…有加は…上の病室…で、寝とる。」
おばあが、霊安室に入って、初めて、優一と目が合う。生気が、感じ取れない瞳に、力強く、睨みつけるおばあの姿が映っている。
「そうか、そうか、無事やったとか。」
優一の言葉に、そんな言葉を添えて、表情が緩んだと思えば、目が釣り上がり、優一を、睨みつけているおばあ。
「お前は、ここで、なんばしとっと。有加ちゃんの所に、行ってやらんね。有加ちゃんが、目が覚ました時、さびしかろ。」
…
言葉が、返ってこない。身体を揺すっても、頬を叩いても、その場から、動こうとしない。
「優一、どうしたと、返事せんね。黙っていたら、わからんやろう。」
続け様に、そんな言葉を、優一にぶつける。なんて、言えばいいのだろう。おばあは、今の優一に、何を言っても、仕方がない事は、わかっていた。幼い時から、見続けてきた優一だから、わかっていた。
生まれて、間もない優一を、抱きかかえて、慌てて、養護施設に飛び込んだ。クリスマス・イブの寒い夜。布一枚で、包まれた優一を抱き締めて、自分の腕の中にいる赤ん坊を、助ける事で、頭がいっぱいだった。二十八年前のあの日、必死で、ドアを叩いていた、あの時の事を、思い出していた。
事あるごとに、施設に顔を出し、優一の成長を見守ってきた。優一を、養子にする事も、考えていた。他界してしまった息子と優一を、重ねて見ていたのだろう。優一は、おばあにとって、息子と同じ存在。
「優一、聞こえとるんやろ。あんたが、しっかりせんと、どうするね。生きとる有加ちゃんの為にも、あんたが、しっかりせんと、どうするね。お前は、父親やっとよ。わかっとうと、優一。しっかりせんね。」
そんな言葉と一緒に、優一の身体が、大きく揺れている。おばあは、先の事を、見据えて、言葉にしている。京子が、逝ってしまったのは、事実。悲しむのも、仕方がない事であろう。しかし、優一は、有加の父親なのである。おばあは、その事を、伝えたかったのだ。おばあの怒鳴り声が、霊安室に、こだまする。
「…、おばあ、泣いても、いいね。」
そんな言葉が、か細く、おばあの耳に届く。天井を見つめたまま、呟く優一。涙を堪えている優一の姿が、おばあの瞳に映る。おばあの皺くちゃの手、骨と皮の腕で、優一を抱き締める。
「泣きんちゃい。思い切り、泣きんちゃい、優一。」
さっきまでの、怒鳴り声とは違い、穏やかかなおばあの言葉が、静かに流れていた。
「おばあ、助けられんかった。京子を…俺の目の前で…」
優一は、幼い自分に、泣き虫だった、あの頃に戻っていた。
「俺、助けられんかった。何で、何で、おばあ、どうしてや、俺が、なんか悪い事ばぁ、したか。」
ぬくもりという、おばあの腕の中で、泣き叫んでいる。捜し求めていた。ずっと、探していた。やっと、手に入れた家族。幼い頃から、夢に見ていた家族を、失ってしまった。全ての想いを、吐き出すように、おばあに、そんな言葉をぶつける。
「おばあ、教えてくれんね。京子が、何で、何で、こんな形で、逝ってまうんよ。教えてくれ、なんで、なんでなんよ。」
幼い頃,辛い時、悲しい時、おばあの腕の中で、泣いていた。泣き虫だった優一に、戻っていた。おばあは、そんな優一に、静かに、こんな話をする。
「優一、お前が、悪いんじゃなかと。お前は、よく頑張ったばい。」
ゆったりと、優しく、優一に、そんな言葉を口にする。
「京子ちゃんの顔、見たね。優一、とても、きれいな顔しとったやろ。お前が、頑張ったから、お前が、おらんかったら、京子ちゃんは、あんなきれいな顔じゃあ、なかったとよ。わかとろう。お前は、よう頑張った。やから、今は、泣きんちゃい。思い切り,泣きんちゃい。」
『うおぉ・・・』
優一は、泣き叫んだ。穏やかな、おばあの言葉が、優一の気負いを緩ませた。おばあの腕の中で、大粒の涙を、流し続ける。愛娘、有加の五歳の誕生日、早朝の出来事であった。
優一が、おばあの腕の中で、泣き崩れている頃。病室のベッドで、天井を見つめている有加の姿。何も、言葉を発せず、白い天井を見つめていた。無表情のまま、天井の先の方を、見つめていた。有加は、何を見ているのだろう。瞳に映る、白い天井に、何を見ているのだろう。
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