第11話 最悪 最低 朝焼け
三月十九日、早朝。久留米市内にある病院の霊安室。防護服を、腰に巻いた優一が、薄暗い天井を、見上げている。二本の蝋燭、線香の煙と香りが、部屋中に広まっている。
『優ちゃん、明日の事。わかっているやんね。』
そんな京子の最後の言葉が、耳元から、離れないでいる。生気が抜けたまま、天井の一点だけを見つめていた。
『あぁ、わかっとる。おばあも、呼んどるんやろ。博多まで出て、プレゼント、買って、四人で、食事しようや。』
京子の最後の言葉に、優一が返した言葉。京子の笑みが、目を閉じれば、浮かんでくる。そんな会話を交わし、家を出た優一。三時間後の出来事を、想像すらしていなかった。優一が、所属する消防署の警報が、鳴り響く。火災の一報が、入ってくる。署内に流れるアナウンスを聞いて、優一の顔は青ざめる。自宅の住所が、流れている。所内に流れた住所が、間違っている可能性もある。赤い消防車で、現場に向かう中、優一は、只、祈っていた。火事場が、自分のアパートではない事を、祈るしかなかった。そして、優一の瞳に、映ったものは、数時間前に、京子と有加、三人で、夕卓を囲んだアパートが、真っ赤に燃えていた。その後の事は、全く、記憶にはない。消防隊員である優一には、規律というものが、当たり前の事。しかし、現場の指令など、無視していた。身体が、勝手に動いていた。目の前の、燃え上がるアパートに、飛び込んでいた。無我夢中で、自分の行動など、周りで起きた事など、覚えていない。燃え上がる炎から、有加を守るように覆い被さる京子の姿。
『あついよ。あついよ。』
有加のか細い声が、優一の耳に届く。咄嗟に、京子を背負い、有加を抱きかかえ、表に、飛び出していた。その時、もう息をしていなかった我妻、京子を背負い、優一は、どんな事を思っていたのだろう。泣き崩れる有加を、抱きかかえ、何を考えていたのだろう。奇跡的に、無傷で助かった有加は、この病院の一室で、眠っていた。母親という存在が、母親の子供に対する想いが、有加を守ったのだ。
ガチャ!
霊安室のドアが開く。部屋中に響いている物音にも、微動足りしない優一。
『優一!』
おばあの声である。おばあは、京子の遺体に駆け寄り、顔にかかっている白い布を手に取り、ゆっくりと捲る。そこには、まるで、寝ているような京子の姿が、瞳に映った。しわくちゃの目じりから、涙が溢れてくる。
「京子ちゃん、何で…」
思わず、そんな言葉を発してしまう。
「この前、私らを、見守ってくれって、ゆうてたやないか、何で…」
あの数日前の事を、思い出している。あの時とは、違う涙が溢れてくる。しかし、内心、ホッとしているおばあもいた。火事だと、聞かされていたから、黒焦げになった京子の姿を、思い浮かべていた。おばあは、戦争経験をしている。空襲で、黒焦げになった人間を、嫌になるほど目にしてきた。女性として、きれいな姿で、逝ってしまった京子に、微かな安堵感を、感じている。
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