第5話 優しい声が聞こえた

表面だけ、アスファルトで、固められた山道。ところどころに、小規模な崖崩れがあったのか、小さな岩が転がっている。さっきまでの、雄大な景色ではなく、勇生の視界には、木々しか、映っていない。多数の木々達に覆われた道、木々の枝達で、日光を遮られ、薄暗い山道を走っていた。

「有加、やばい。道、間違えているかも…」

勇生は、ハンドルを握り、焦っている。道幅が、一台分しかない、慣れない山道。

もし、対向車が来たら、どうする事も出来ない。

「勇ちゃん、大丈夫だよ。道があるんだから…」

呑気に、そんな言葉を口にする有加。勇生の表情が、一瞬にして変わる。

「ちょっと、運転している身にも、なれ!」

有加に、投げ捨てるように、言葉するが、当の有加には、聞こえていなかった。聞こえていないというよりも、さっきの(山桜)の風景が、頭に焼き付いて、放れないでいる。

さっきまでの青空からは、想像できない、薄暗い空間。不安という言葉が、勇生に襲い掛かっている。

<桜のトンネル>桜色が、いつまでも、心に残る。対照的な二人が、ここにいた。

「でも、きれいだったね。桜…」

ぼそりと、そんな言葉を口にする有加。幸せそうに、微笑んでいる。

「お前は、呑気で、いいな。」

 そんな言葉を、口にしつつ、呆れ顔になる勇生。しかし、幸せそうな有加の笑みに、癒される自分もいた。

 【県道19】・【美里龍神線】と書かれた標識を、目にする勇生。

 「よかった。合っているわぁ。」

 安心、ホッとした言葉を口にすると同時に、道の先の方。それほど、遠くない前方に、光が、瞳に入ってきた。安堵感に、包まれる勇生。少し下りになっている道を、ゆっくりと、進んでいった。

 有加の頬に、生暖かい空気が触れてくる。有加にも、道の先端の光が見えている。さっきまで、ひんやりとした、爽やかに空気であったのに…

 『有加、わしの膝の上に、こんね。』

 『有加、なんばしとっと!』

 『有加、おばあが、悪かったばい。』

 『有加、ようやった、さすがやっとよ。』

 生暖かい空気が、有加の頬に触れた瞬間、そんな言葉が、有加の頭の中に、こだまする。目を見開き、動きが止まってしまう有加。すると、モクモクと、造形を成してくるおばあさんの姿、浮かんでくる。色合いが、モノトーンから、カラーに色づいて、どアップの状態で、<喜怒哀楽>のおばあさんの顔が、映像になって、浮かんできた。アッと思う暇もなく、一瞬にして、真っ白になってしまう頭の中。有加は、ある情景を思い出していた。

 『おばあ、何で、何でなん、お父は、私の事、見てくれんと、どうしてなん…』

 幼い有加が、そんな言葉を叫んで、おばあさんの膝の上で、泣き崩れていく。

 『有加ちゃん、もうちょっとばい。もうちょっと、まちぃんしゃい。今、優一は、戦っていると。自分と、戦っているとよ。有加ちゃんばぁ、抱きしめる為に、頑張っているとよ。わかってやって、辛いのは、有加だけじゃぁなかとよ。』

 おばあさんは、そんな言葉を発して、幼い有加に、覆い被さる様に、抱き締めている。暖かさを感じる。忘れてしまっていた、暖かさ。残っている記憶よりも、幼い自分の姿。おばあさんから、【おばあ】に、変わっていく。忘れていた記憶の断面が、有加に、蘇ってきた。

 

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