第4話 雄大な自然、感動、山桜のトンネル

少し、下り坂になっている狭めの道。今まで、見えなかった民家が、目に入ってくる様になる。もちろん、今風の家ではなく、昔ながらの家の造り。周りを、濃い緑の木々達に覆われ、少し、薄暗くも感じる。木々達の隙間から、光が差し込んでいる。地元の人間しか、通らないであろう(地元道)を、スピードを落として、走っている。

「あっ、さっきの車…」

有加の瞳に、県道を走っていた時、前を走っていた車が、民家の入り口に停まっているのが映る。何やら、おばちゃんと、おばあちゃんが話しをしていた。有加が、目にする空間、全てが、ゆったりとしていた。のんびりとした、都会にはない空間。心がホッと、落ち着いてくるのがわかる。

都会にある人工的に作られた緑は、ここにはない。自然という緑。枝の先、葉の先までが、生き生きとした緑が、ここにはあった。(里山)自然の中で、人間が生かせてもらっている。人間が、中心ではなく、自然という大地、大気の中に、人間がいる。ここでは、人間というものが、オマケの様な存在に思えてくる。

「勇ちゃん、見て…」

コンクリートで出来た、小川に架かる橋を渡ると、道の脇に、二~三歳ぐらいの女の子が、三輪車に乗っている姿が、目に止まる。その女の子の脇には、おじいちゃん、おばあちゃんの姿も見える。

「あぁ、春休みで、里帰りでも、しているんやろな。」

「勇ちゃん、こういうのって…、いいね。」

しみじみ、そんな言葉を呟く有加は、この状況に、何を見ているのだろう。もう十年、福岡の実家に、里帰りしていない有加。だから、後部座席で眠る息子、龍吾も、父親に、会わせていない。

「そうやなぁ。気分が、落ち着いてくるな。」

勇生は、有加の言葉を、汲み取った。スピードを落として、女の子とおじいちゃん、おばあちゃんの横を、通り過ぎる際、軽く会釈をする有加。おじいちゃんとおばあちゃんは、そんな有加の行動に、笑みを浮かべて、会釈で応えてくれる。ゆったりとした空気の流れを、感じていた。

もの心がついた時から、父親と二人暮らしをしていた有加。母親は、有加が、まだ幼い頃に、亡くなっていた。病死、事故死。どうして、亡くなってしまったのかは、有加は、知らない。聞けなかったという言葉が、正しいのかもしれない。有加が、小学高学年の時、父親に、母親の死について、聞いた事があった。その時の父親の形相は、今でも忘れられないでいる。

『お前まで、俺を責めるのか!』

いつも、優しかった父親。そんな言葉とともに、鬼の形相に変わっていく。有加の腕を、強く握り締め、顔を近づける。鬼が、有加の目の前にいた。父親が、鬼に変わっていった。有加は、自分の父親に、恐怖を感じた。まだ、子供の有加にとって、背筋が凍るほどの恐怖。その相手が、自分の父親なのである。その時以来、有加は、父親に対して、心を閉ざしたままなのである。

「有加、大丈夫か。気分でも、悪いんか。」

勇生の優しい言葉が、有加の耳に届く。

「あっ、何か、ボーとしていた。」

「有加、見てみろよ。」

有加は、そんな勇生の言葉に、顔を上げる。そして、瞳に飛び込んできたのは、山々の線と、青い空のシルエット。濃い緑で覆われた山道に抜けると、山の段差を利用した段々畑が、広がっていた。自動車、一台分しかない道幅。もちろん、ガードレールなどない。少し、急になっている坂道を、ゆったりとした速度で、車を走らせる。

「すごい、別世界やね。」

言葉で、どう表現したらいいのか、わからない。<すごい>という言葉しか、浮かんでこない。人間なんて、ちっぽけに思えるほどの大自然。緑の中に、また、緑があるような、はっきりとした木々達。人間の気配など、全く感じさせない世界が、目の前にある。この青空も、大気が澄んでいなければ、絶対、有り得ない青!今まで、目にした事のない青色が、有加の瞳に映っていた。

「脇道に、入って、正解やったな。」

勇生も、何やら、興奮している。和歌山の紀伊山地の雄大な自然に、視線が行く。運転に注意しながら、ゆっくり、ゆったり、狭い山道を上がっていく。

『わぁっ!』

二人は、一斉に、こんな声を上げる。二人の瞳に、飛び込んできたもの【山桜】。桜色のトンネルが、二人の瞳に映っていた。山の斜面を根にして、道側に雪崩れる様に咲いている、山桜のトンネル。勇生は、何も言わず、車のブレーキを踏んでいた。手早に、ギアをパーキングに入れると、サイドブレーキを引いた。二人は、前方に、体重を掛けて、正面の山桜を見上げている。

“バタン!”

有加は、思わず、外に出てしまう。山桜に吸い込まれるように、入り口付近まで、足を進めた。

「すごいな。これ!」

有加の後方から、そんな言葉が届く。勇生も、ゆっくりと、有加の隣に並んだ。

「うん、きれい!」

「ほんまや。」

片言の言葉しか、出てこない。目の前の風景の、虜になっていた。街の公園にある桜並木など、比べ物にならない。紀伊の大自然がつくった(桜色)が、ここにはあった。

「勇ちゃん、これが、ほんまもんの桜色って、言うやろな。」

「あぁ、今まで、見ていた桜って、何やったんやろ。」

ちょっとした気まぐれで、当初のルートとは違う道を選んだ。そこには、ゆったりとした時間と、雄大な大自然の中で、生活をしている人々。そして、今、瞳に映る山桜。自分達が、知らなかった世界が、広がっていた。

二人は、自然に、手を繋いでいた。二人に先にあるもの、桜。大自然にある、この山桜の様でありたいと、そう思っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る