第五話

※以降のお話はアーサー王伝説をもとにしつつ、独自の展開が多くなります。ご理解いただいた上でお読みください。


         ―Ⅱ―


槍の穂先が木の葉のようにびっしり並び

軍勢はさながら武器でできた森となって

山の裾から広い平野を覆いつくす


「見よ! 貴様が不要としたものによって

 貴様の王国は滅ぶ!」

怒りの声は高らかに進軍のラッパを鳴らした。


一夜明けて 静寂に包まれたカムランの丘に

鐘が鳴り響く 

あれは誰がための鐘だろうか


温かい涙で頬を濡らす者はいない

なぜなら家族も友も憎しみあい 

みな死んでしまったのだ

誰もいなくなった丘で ようやくかなしい目的は果たされた。


        作者不明『カムランの戦い』

   Unknown author "Battle of Camlann"




 暗い雲の下にキャメロットはしんと静まり返って、もう何日も雪が降り続いていた。色とりどりの屋根を隠して城市は白一色にそまり、アーサー王の城も雪にまみれている。

 だが王城の一室ではにぎやかな音楽とともに、あつまった人々が暖炉のぬくもりに足をのばして酒杯を傾けていた。しばらく病気で伏せっていたギネヴィア王妃の快復を祝う宴。王妃みずから先頭に立って宴を準備し、香辛料をふんだんに使った料理、飲みきれないほどの酒杯を用意した。薪がかぐわしく燃える暖炉の前で竪琴が奏でられた。

 円卓の中でも選りすぐりの騎士が招かれていた。ガウェイン、ガヘリス、アグラヴェイン、モードレッドのオークニー兄弟たち、沼のエクトル、ボールス、ケイ、ルカンなど二十名の騎士とそのレディだ。そのなかに湖のランスロットが居ないことだけ残念に思われたが、ギネヴィアはそんな素振りを見せず、よく笑って客人をもてなした。

 ガウェインの席は王妃から近く、彼の前には皿いっぱいにりんごが盛られていた。これは誰もが知っている有名な話で、ガウェインは子どもの頃からりんごが大好物だった。ガウェインを食事に招いたら、主人はかならずテーブルに果物を盛り付けるのが慣例になっていた。


 宴がはじまって、どの席もにぎやかな声に満ちていた。アネットはガウェインのとなりに座り、ギネヴィアが笑顔で客人に語りかけるのを見る。……空元気だ。でも、そう振る舞おうと王妃さまが決めたなら、それでいい。二人はときどき目線があうと微笑みを交わした。


「王妃様、今宵はお招きいただきありがとう存じます」

 ガウェインの弟モードレッドが挨拶をしにギネヴィアの席へやってきた。黒い服に銀糸の刺繍が入り、髪と目の色を引き立てている。ギネヴィアは若い客人をあかるく迎え入れた。

「サー・モードレッド。お楽しみいただいているかしら」

「もちろんです。ガウェイン兄上と義姉上にもご挨拶を。とても美味しそうなりんごですね」


 彼がちらりと見たので、ギネヴィアはガウェインに目くばせしてから「良ければどうぞ」と寛大に言った。

「この時期にめずらしい甘さですわ」

「ではお言葉に甘えて」

 モードレッドは遠慮するように、皿から一番小さいりんごを選んだ。小ぶりだが艶めいて甘そうだ。

 それをモードレッドは──……ガウェインと、王妃の前、皆に見えるところで口に含んだ。

 彼は美味しそうにかじり、芯まで食べつくして残りを火に投げ入れた。小さな青い炎がしゅるしゅるといいながら立ち上がった。すると、同じ瞬間にモードレッドは激しくむせびはじめた。むせび、喉をかきむしりながら、イグサをまいた床の上に倒れて、虫のように身をよじらせた。

「サー・モードレッド!」

 近くにいた人々は立ち上がって助けようとする。ガウェインはテーブルを乗り越え、すぐさま弟の口に手を突っこんで大半のりんごを吐き出させた。恐ろしい光景に空気が凍りつく。

「毒だ」

 と、誰かが叫んだ。



■□■□■



 毒、という言葉が部屋に響き渡った瞬間、それはいっせいにわめき声へと変わった。モードレッドの心配をするもの、誰も動くなと叫ぶもの、不安で悲鳴をあげるレディ──そんな声にかぶせるように、ガウェインが大きな声で叫んだ。

「誰が犯人でもねらわれたのは私でしょう。モードレッドではない。私のりんご好きはどの騎士も知っていることですから」

「……どの騎士も。それから、どの女もな」


 同じく駆けよったアグラヴェインがモードレッドのかたわらで膝をつき、脈があることを確認しながら兄に叫び返した。

「それは……どういう意味だ」

 ガウェインは足元にいる二人の弟を見おろして言った。その目は、絶対にある人の名前を言うなと念じているようだった。すると、とつぜんおとずれた沈黙の中に、息をとりもどしたモードレッドの声が響いた。

「毒です……あにうえを、ねらっていた…」

 そして、いかにも自分の心に浮かんだ恐ろしい考えが信じられないといった表情で、寝転がったまま、まんまるに開いた緑の目でギネヴィア王妃を見つめた──ギネヴィアは真っ青な顔で、ぼうぜんと立ち尽くしている。


「いや、王妃様ではない……」

 ガウェインはとまどいながらも瞬時に言い返し、王妃を守ろうとした。すると、モードレッドの手を握りながらアグラヴェインが厳しい声で言った。

「ガウェイン兄上、はっきりと言わせてもらおう。あなたが狙われてモードレッドが毒に倒れた。これはオークニー兄弟全員の問題だ。

 犯人が誰なのかはわからない。だが、すべては王妃の宴でおきた。したがって、兄上は軽々しく王妃を弁護するべきではない。王妃と、その召使いしか事前にテーブルの食べ物に触れることはできなかったはずだから」

「………」

 ガウェインを含めた全員の騎士、レディが口を閉ざした。この宴と夕食を催したのはギネヴィア王妃であることを思えば、その場にいた者たちは皆、王妃に疑いをかけざるを得なかった。




 騒ぎを聞きつけて、アーサー王がただちにやってきた。部屋に入ると一直線にギネヴィアに駆け寄って、真っ青な顔をした彼女の手を握った。

「何があったんだ。さあ、真実を話してくれ」

 アーサー王が言うと、人々はさっとあいだを開けた。床のうえに倒れたままのモードレッドとそばで膝をつくオークニー兄弟たちの姿が見えた。

 アグラヴェインが簡潔に、ガウェインの席の前にあったりんごをモードレッドが食べて倒れた、と王に報告する。

 ギネヴィアは身体を震わせながら報告を聞いていた。アーサー王が彼女を見つめると、ぎゅっと夫の手を握り返し、まずガウェイン、そして倒れたままのモードレッドの顔を、食い入るように見つめて言った。

「神に誓って。わたくしは、そのようなことはしていません」

「………」

 アーサー王は痛ましい表情でギネヴィアを、ガウェインたちを、そしてモードレッドを見つめる。その目は、まるでいつか起こることを知っていたような恐れがあった。

 王は深く呼吸した後、周囲の人々をぐるりと見渡してはっきりした声で言った。

「……恐ろしい出来事だ。だがこの出来事について、私は王妃がみずからの潔白を誓うのを聞いた。そなたらは王妃が潔白だと認めるか?」

「いいえ、王様。認めません」

 誰かが言った。そして周囲からは続く言葉があがらなかった。

「ではこの件は、名誉の法廷で裁くことにする」


 ざわざわと、広間はふたたびわめき声にあふれた。名誉の法廷──責められた者の言い分を背負い、責める者と一騎打ちを戦うことによって、その身の潔白を証明することだ──アーサー王は続けた。

「私は夫として、妻のために一騎打ちをして潔白を証明したいところだ。だがこのような裁きの場で、王たる者は片方の主張を引き受けるのではなく、公平な裁き手になることが法で定められている……。

 私は、きっと誰かが私の代理人となり、王妃のために戦ってくれると信じている。無実を訴える王妃をそのまま死なせるわけにいかない」


 そのアーサー王の言葉に対しても、我こそは、と名乗り出る騎士はいなかった。王妃への疑いが心にありながら、「王妃は無罪だ」と名乗り出ることは騎士の名誉にかかわることだったからだ。

 そして、皆がギネヴィアとランスロットの不名誉なうわさを知っていた。巻き込まれることを恐れ、あるいは嫌悪し、死の恐怖に慄くギネヴィアを見つめている……。


 いっぽう、王妃を責める側でたたかう騎士は──モードレッドは弱々しく、ガウェインに手を伸ばした。ガウェインはそれに気づいて、弟の口元に耳を近づける。

「兄上……どうか私のために、戦ってください……」

 モードレッドは大きく目を開いて、ガウェインにすがった。唇は青白く、伸ばされた手が空中で震える。ガウェインは苦渋に満ちた表情で弟を見下ろし、手をにぎって頷いた。

「ああ、おまえのために戦おう」


 長い沈黙がながれた。

 どの騎士も王妃のためにガウェインと戦おうと名乗り出なかった。だがアーサー王は、なおもギネヴィアの手を固く握りしめて、しっかりとした声で言った。

「円卓の騎士がすべていまここに集まっているわけではない。だから私は、名誉の法廷がおこなわれる日を定めよう。その日までに、我こそは王妃の言い分を背負おうと誰かが名乗りあげてくれるかもしれない。

 その場合は、ガウェインとその者が一騎討ちをして、神は正しい者に味方するだろう。もし名乗り出る者がいなければ……王妃は、同じ日に、死で罪をあがなうことになるだろう」


 アーサー王は黙ったままの騎士たちの中から、ボールスに目くばせした。ボールスはランスロットの親戚筋の騎士だった。彼はみずからに下された王命を理解し、お辞儀してただちに部屋から出て行く。

 王妃のためなら命をかけて戦う、最強の騎士を呼び戻すために。



■□■□■



 雪が降ってきていた。灰色の空から冷たいかけらが舞う中、ガウェインはずっと黙ったままだった。アネットをタウンハウスへ送り届けたら、モードレッドの様子を見に王城へ戻らなければならない。アネットも彼の気持ちを察して声をかけられないでいた。

 家の前に着いて、ガウェインが先に馬から降り、アネットに手を差し出したとき目があった。なんの言葉も発しないまま、ガウェインは馬の背からアネットを抱き寄せた。

「………」

 額を寄せ、見つめ合う。ガウェインの額は熱かった。頭の中でどうすれば状況を変えられるか、懸命に考えているのだろう。アネットの紅い頬に雪のかけらが落ち、ふうっと溶ける。二人はただ唇を合わせるだけのキスをした。

 無数の言葉が失われた。

 ガウェインは名残惜しそうに唇を離すと、ふたたび馬にまたがり、馬の頭をめぐらせて去る。雪の降るなか、アネットは小さくなっていく背中をじっと見つめていた。


 ──もし、サー・ランスロットとガウェインさまが戦ったら……。

 あのとき、近くにいたガヘリスに説明を求めて知ったことだが、〝名誉の法廷〟とは明確な証拠のない裁判において、判決を『決闘』で下すことだ。神の加護は正しい側にある、したがって決闘で生き残ったほうが正しいという理論である。

 通常の一騎打ちと違い、降参すれば主張をとりさげることを意味する。つまり名誉の法廷にたつ騎士は、命をかけて決闘にのぞまなければならなかった。


「………」

 ガウェインとランスロットが戦って、たがいに勝つ確率は五分五分だった。最強の騎士と名高いランスロット相手でも、太陽の騎士ガウェインは並びうる実力を持っている。

 だが忠義にあつい騎士は──主君の妻であるギネヴィア王妃の命がかかった一騎討ちを、なんの迷いなく闘うことができるだろうか?

 おそらくできない、とアネットは思った。アーサー王にとって最良の結果をのぞむ彼の気持ちは変わらない。そこにオークニー兄弟の名誉がかかろうと、アネットの涙が流れようと、ガウェインが剣を捧げた忠義は鈍らない。

 もし自分の命で片付くものなら、みずからの命など簡単に差出してしまうだろう。

「………」

 すぐにでも王妃に相談したかった。でも、その彼女に疑いがかかっているのだ。ガウェインにしても、彼には彼の立場がある。

 アネットは独りで看取らなければならない。大切な人々のいく末を──…。


 自らの体をぎゅっと抱きしめて、アネットはガウェインの姿が消えていった方向を見つめた。吹き荒む暗い夜景には一点の光も見出せなかった。



<つづく>



お断り:

『アーサー王最後の戦い』(サトクリフ著)を参考にしました。文章を多く引用しています。アーサー王伝説でもガウェインが毒りんごで命を狙われ、ランスロットが王妃のために名誉の法廷で戦います。

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