第21話 初恋は成就しないと言うけれど
ーーーあれから10年。
今日の私は、自宅の執務室で書類整理中だ。
私も、そしてトーマスも、日々を忙しく過ごしている。
あのお披露目の後、ローズとエマの人気は凄まじく、『ルピナスシリーズ』に参加したい者たちが、正にわんさかと訪れた。
学園在学中も、エマはその人選をしつつ聖女の仕事をこなし、更に『ルピナスシリーズ』の研究にも精を出していた。少しでも力になれればと、私も人選に協力させてもらった。
お米の土壌改良も大変だった。ただ、水を張ればいいということではないのだ。7年目にして、ようやく売り物になるお米が生産できた。領民みんなの協力があってこそだ。ちなみに、それ以前のお米は、家畜の餌に使用したり、化粧品の研究に使ったりしていた。こちらは順調で、今後も研究を続けて行く所存でございます。
ようやく、『ルピナスシリーズ』のそれぞれの研究や事業が軌道に乗って安定し、人に任せられる事も増えてきた。
トーマスも宣言通り、今は宰相補佐をしている。国中の領地を全て勉強し直し、『ルピナスシリーズ』への新しい提案などもしてくれる。
あの夜会の後に色々と言われたようだが、本人は黙々と努力をしていた。官吏の試験も満点合格し、最年少で宰相補佐にまで登り詰めた。頑張ったと思う。
あと数年で陛下が代替わりなさったら、同時にジーク様の右腕として、正式に宰相になる予定。
……そして私達は、婚約者のままだ。
トーマスはこちらも宣言通り、女性とは必要以上に関わらないでいた。もちろん、仕事は別だが。
その真摯な姿勢が評価され、逆に真剣に縁を結びたがる家が増えたとも聞こえてくる。一応、同じ侯爵家の私が婚約者のままなので、表立っては出て来ないが。
「逆に、トーマスを自由にしてあげた方が優しさかしら……」
そう、最近の私の悩みと言いますか……。
正直、今の環境が居心地が良くて楽なのだ。毎日は目まぐるしく忙しいが、仕事はとても楽しくて、やりがいがある。
結婚しても、トーマスは仕事を続けさせてくれるだろうとも思う。そしてこの10年、彼はいい婚約者であろうとしてくれていた。過去は過去になりつつある…とも思う。
私は走り抜けた10年だった。けれど、トーマスは?まだ望んでくれている?
「だったらこのまま……は卑怯よね。そろそろ、きちんとしないと」
10年の現状維持は、自分の心も見えにくくなっている。
大人になるとは、こういうことかしら。…少し、嫌だけど。
「さてと。明日、王城に…トーマスに提出する書類は仕上がったし!久しぶりに早めに休みましょう。それでその時にでも、トーマスと今後を話すための約束をしてこよう、かな……」
そう決めて、早めに休んだ。
翌日。
(まずいまずい、ローズと話し込んじゃって、遅れちゃうわ)
トーマスに会う前に、ローズと化粧品の納品の話し合いがあったのだが、つい、話に花が咲いてしまった。
私はばれないような小走りで、宰相補佐の執務室へ向かった。ようやく着いて、呼吸を整えてノックをしようとすると、話し声が聞こえた。
「トーマス、セレナ嬢はまだ?」
「ああ。先に妃殿下にお会いしているようだから、話に花が咲いているんじゃないか」
(も、申し訳ない!その通りです!)
慌ててノックをしようとすると、また自分の名前が聞こえて来た。思わず手を止めてしまう。
「なあ、トーマス、もうセレナ嬢じゃなくて良くないか?美人だけど年増じゃん。仕事ばかりだし。うちのシケット家に…」
シケット伯爵家か。確か16歳くらいの、可愛らしいお嬢様がいるはず。ちょっとした噂になっている。……そうよね。そんな話も来るわよね。
「何を言う!!セレナはむしろ俺には勿体ない女性だ。意志が強くて賢くて、何より心が美しい。ずっと……人としても目標としている女性だ。いずれ結婚できたら嬉しいし、そこまで頑張るけど、まだ傍にいられるなら、このままでもいいと思うくらいだ。……それにもし、婚約解消されても、俺はきっと次の
「本気か?!昔の色男が形無しだな!」
「何とでも。……一生に一度くらい、一人の女性を真剣に追いかけるのも、悪くないと思うぞ。そんな人に出会えて、俺は幸せだ」
「そうは言っても……」
……もう、何よ、トーマスったら。トーマスのくせに。何よ……。
私は今度こそノックをする。
「はい」
「セレナです」
少しして、トーマスがドアを開けに来てくれた。中にいたシケット伯爵家の誰かは、頭を下げながら慌てて出て行く。
「ごめんなさい、遅くなって。ローズと盛り上がってしまって」
「やっぱり。想定していたから、大丈夫」
優しく微笑んでくれる。そうだ、私はこの優しさが大好きだった。そうだった。
そして、それは今も。……そうよ、思い出した。
居心地よく、思うはずよね。
「セレナ?」
「あ、ごめんなさい、ぼーっとして!これ、書類ね。お願いします」
慌てて書類を渡す。
「……セレナ、もしかしてさっきの話を聞いてた?」
トーマスが書類を受け取りながら、心配そうな顔をする。こういう勘も鋭い。
「話って?何かあったの?」
「いや、別に。なら、いいんだ。書類預かるな」
トーマスは慌てたように書類を確認し始める。本当に優しいんだから。
「ねぇ、トーマス、相談があるの」
「相談?」
トーマスが書類から顔を上げて私を見る。
「ええ。私達の結婚式はいつにしましょうか?」
「ああ、結婚式…………っ、えっ?!セレっ……」
初恋は実らないと言うけれど。
どうやら私達は例外で特別になれた、のかな、なんて。
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