第15話 突然の嵐

「……婚約を続けさせてください」


エマとラインハルト様のロマンス劇場から一週間程経った。


そして、トーマスと私の婚約を継続か否かは、……まあ、解消の方向だけれど、両家の父を中心に話を進めていたのだが。その様な中で、トーマスが単身我が家を訪れ、……不思議な事を言いながら頭を下げている。膝に頭がつきそうな勢いだ。



「トーマス君。君は今、自分が何を言っているのか、今まで何をしてきたのか、分かっているのかね?」


「はい」


トーマスが頭を下げたまま答える。


「たまの休みにこれとはな……」


「申し訳ありません」


ため息混じりを隠さずに話す父。それでもトーマスは頭を下げたままだ。



今日父は、三週間ぶりの休日だ。財務大臣として、日々も忙しく過ごしているが、最近はルピナスシリーズの調整と、……私の婚約の事で更に忙しさが増している。



そしてようやくの休日に、休みを聞き付けてきたトーマスが来襲してきた訳だ。父は逡巡した後、私の為だからと会うことを了承してみれば、先程のトーマスの言葉。……苛立っておりますわね。



私はどうするか聞かれたのだが、自分の事なので立ち会いを希望し、父の隣に座っている。



一方トーマスは、腰を折った姿勢を崩していない。



「何だ、聖女様もラインハルト殿下の婚約者に決まったことでおられるし、またセレナでいいかと言うことか?」


「違います!!」


ガバッと音がしそうな勢いで、トーマスは顔を上げる。そしてすぐに「すみません」と、また頭を下げた。



父が更に深く嘆息する。



「私も、セレナに聖女様との繋がりが出来るまで……仕方がないと自分に言い聞かせながらも、トーマス君との婚姻しか無いと思っていたのだから、そう、君と大差ないのだけれどね」


父が苦笑しながら話す。


「お父様……」


「頭を上げたまえ。……それで?何か申し開きがあるのかい?」


値踏みするような視線を、トーマスに向ける。


「いえ、弁解も弁明もありません。私がセレナ、嬢の婚約者として、欠格していただけです」


トーマスは真っ直ぐにこちらを見て話す。


「……ほう。欠格者と分かっていながら、なぜ婚約継続を望む?」


「私が、セレナ嬢に焦がれているからです」


きっぱりと言明するトーマス。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いやいやいやいやいやいやいやいや!



「何を愉快な事を言っているの?」


呆気にとられる父を余所に、冷笑を浮かべてしまっているであろう私を咎めないでほしい。理解不能すぎる。


「……本当の事だ」


「……はあ。私はそこまで軽侮されているのね」


つい、私まで深く嘆息してしまう。だって、それはないわ。


「違う!!……いや、そう取られても仕方がないが」


「仕方がないではなくて、当然の感想ですわ」


「!!そう、……そうだが……すまない……」


そのまま、トーマスは口篭り、押し黙る。……何なの。



「もう、お話はお済みですか?何の進展も生産性もないお話でしたけれど、お済みでしたらどうぞお帰りに、」


「自信が、無かったんだ」


痺れを切らして、話を終えようとする私の言葉に被せるように、トーマスが話し出す。


「自信が無かった?聞き間違いかしら、随分と傍若無人に見えましたけれど」


「そう、だとは思う。思うが本当なんだ。……セレナが完璧すぎて……逃げていたというか……間違った方向に……」


「私が、完璧?」


「うん。美人で淑女の鏡と言われるくらいにマナーも完璧で……それこそ、小さい頃から。しかも魔力量でも負けるし、勉強だって油断したら俺、負けるし」


「……それと、何の関係が?」


「人脈とか……人望とか?他人に自分の価値を求めてしまったと言うか……最初は、セレナに俺、すごいだろう?って見せたかったんだ」


「……随分と的外れだわ」


「……返す言葉もない。あの時は何だか、他の三人に負けたらいけないような焦りもあって。……今考えると、どうでもいいことを張り合っていたな。何でだろう」



トーマスはそう言って、考えるように、また黙る。



「でもひとつ、確実に言えるのは、負けたらセレナの婚約者じゃいられなくなるような気がしていたんだ」


「何なの、その愚考」


「全くだ……俺、セレナがいないとダメなのに。他の奴が隣にいるなんて、許せないのに。ああそうだ、セレナに甘えていたのもある。子どもの頃に約束しただろう?だから、分かってくれているだろうと」


「……勝手な理屈」


「うん、本当だ。……愛想が尽きて当然だ」


「だったら」


「でも、ごめん。手を離したくないんだ」


私の目を見る。



「勝手この上ない事は承知だ。どれだけ罵られても、殴られてもいい。チャンスをくれないか」



婚約して8年だ。もちろん、情はある。こんなに真っ直ぐに言われたら、気持ちが揺らがないと言ったら嘘になる。



でも。



「……無理です。貴方に寄り添う令嬢たちの顔が、忘れられません」



エマと、皆と話して、気付いた事がある。


私は、自分が思っていた以上に、傷ついていたのだ。



「無理です……」



泣いてしまいそうだ。悔しいから、泣き顔は見せたくないのに。下を向いて涙を堪えているから、トーマスがどんな顔をしているかは分からない。けど、無理だ。



「セレ……」


「トーマス君。今日はここまでだ」


トーマスが声を発する前に、父が遮る。



「……はい。勝手なことを、すみませんでした」


一瞬迷うような気配も感じたが、トーマスは素直に応じた。



「重ね重ね、勝手を申し上げますが、また機会をいただけないでしょうか」


「……それはセレナ次第だ」


頭を下げる気配がする。もう、早く帰って欲しい。



「セレナ。本当に済まなかった。……話を聞いてくれて、ありがとう」


「………………」


私は俯いたまま、顔を上げることが出来ない。


侍女に案内されながら、トーマスが部屋を出て行く。


帰って欲しいのに、引き留めたいような衝動にも駆られる。


「もう、嫌……」


自分の感情が、分からない。

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