第51話 おせっかい焼き

 電話で蒲田さんに伝えられた面会場所は、渋谷にある小さなカフェだった。


 どうやら清野の事務所の近くにそのカフェがあって、仕事の合間に時間を作ってくれるのだという。


 土曜日なのに仕事をしているなんて、芸能人のマネージャーって忙しいんだなと思う一方、「会ってお話できませんか」なんて気軽に言ってしまったことに罪悪感を覚えてしまった。


 ごめんなさい。蒲田さん。

 

 そんな蒲田さんに指定されたカフェは、地図アプリを頼りに渋谷の路地裏を右に左にくねくねと進んだ先にあった。


 人通りはほとんど無く、あるものと言ったら古い飲み屋と落書きされたブロック塀くらい。


 カフェの近くに清野が所属している芸能事務所があるって話だったけど、こんな寂れた場所に本当にあるのか?


 ──と疑問に思いつつ、カフェの入り口に向かおうとしたら普通に大通りに面していた。


 どうやら地図アプリに遠回りさせられたらしい。


 うん、幸先が悪すぎる。


「東小薗くん」


 カフェに入ろうとしたとき、名前を呼ばれた。


 窓際のテラス席に、蒲田さんの姿があった。


 足を組み、優雅にコーヒーを飲んでいる姿は映画のワンシーンを切り抜いたみたいで、ため息が出るくらいにカッコイイ。


 いや、カッコイイというか、綺麗というか。


 こういう人は何をやっても絵になるんだろうな。


「こ、こんにちは」


「うん。こんにちは。とりあえず座って」


「は、はい」


 恐る恐るテラスに上がり、蒲田さんの前の席に座る。


 すぐに店員がやってきて注文を聞いてきた。


 これは普通に頼んで良いのだろうか。


「好きなもの頼んでいいよ」


 僕の心を読み取ったかのように蒲田さんが言った。


「あ、ありがとうございます。じゃあ、アイスカフェオレで」


「かしこまりました」


 店員が戻っていった店内に、帽子をかぶった若い女性がひとりだけいるのが見えた。


 土曜の昼前なのに混んでないんだな。


 知る人ぞ知る、隠れ家的なカフェなのだろうか。


「ごめんね東小薗くん。休みの日にこんなところまで来てもらって」


 蒲田さんの声。


 僕は慌てて視線を戻して頭を下げる。


「いえいえ! こちらこそすみません。お忙しいのに時間を作ってもらって」


「うちのタレントのことだから、これも仕事の一環だよ。それに──」


 蒲田さんがスッと目を細める。


「キミに会いたかったっていうのもあるし」


「……へっ!?」


 ドキッとしてしまった。


 会いたかったというのはどういう意味なんだ。


 この人は何を考えているのか本当にわからない。


 姉以外に大人の女性の知り合いがいないのでわからないけど、みんなこういう感じなのだろうか。


 だとしたら怖すぎるんですけど。


 戦々恐々としていると、店員がアイスカフェオレを運んできた。


「……早速なんだけど、ラムの件で話したいことっていうのは?」


 店員がいなくなったのを見計らって、蒲田さんがそっと切り出した。


「あ、ええっと……」


「もしかして、例の『黒神ラムリー』の件とか?」


 ギョッとしてしまった。


「そ、そ、そうです」


「ああ、やっぱり。ということは、キミが黒神ラムリーを描いたイラストレーターの『Sato4』さん……なのかな?」


「は、はい」


「なるほど。なんとなく事情がわかってきたよ」


 蒲田さんがクスクスと小さく肩を震わせる。


 何だか手のひらの上で踊らされている感じがして怖い。


 このままだと蒲田さんの空気に飲まれてしまいそうだったので、勇気を出して僕から質問することにした。


「あの……黒神ラムリーの件は、社長さんに伝えたんですか?」


「社長? って、うちの社長ってこと?」


「は、はい」


「話したよ。もちろん」


 さらっと蒲田さんが答える。


 あまりにもあっさりとした返答だったので、しばらく固まってしまった。


 清野の今後のことを考えて、ひょっとすると上には報告してないのではと思っていたけど、やっぱり甘かったか。


 報告したとなると清野の処分はもう決まっている……のか?


「うちの社長も驚いてたよ。たまにラムとは漫画とかゲームの話をすることはあったけど、まさかあんな活動をしていたなんてね」


「き、清野さんの処分は決まっているんですか?」


「処分?」


「け、契約違反の処分っていうか……」


「…………」


 蒲田さんは少しだけ何かを考えるような素振りを見せ、ハッと目を瞬かせた。


「ああ、もしかして東小薗くんは、ラムの契約の件で私に直談判しに来たって感じなのかな?」


「そ、そうです。清野さんは契約に違反したかもしれませんけど、ああいう一面も……ええと、何ていうか、ああいうオタクな感じも彼女の魅力の一つだと思いますし、許してあげることはできないのでしょうか?」


 はっきり言って、こじつけレベルの理由だった。


 オタク活動は清野のイメージに反しているから禁止しているのに、魅力だと言ったところで通る道理はない。


「ふぅん?」


 蒲田さんは優雅に足を組み直すと、興味深げな顔で頬杖をついた。


「……キミは何なの?」


「え?」


「キミはラムの彼氏じゃないし、ましてや家族でもない。なのにキミは、ラムのことで私に頭を下げに来ている。一体キミはラムの何なんだろう?」


 突然妙なことを問いかけられて、一瞬頭が真っ白になった。


 僕は、清野の何なんだ。


「ぼ、僕は……清野さんの、ママです」


「……ママ?」


「Vtuberを生んだイラストレーターをそう呼ぶことがあるんです。僕は清野さんに頼まれて、黒神ラムリーを生んだママなんです」


「ふぅん」


 またしても蒲田さんの口から、吐息のような声が漏れる。


 でも、その表情はさっきとは違って、すごくつまらなさそうだった。


「だったら、黒神ラムリーを守ればいいだけの話じゃない?」


「……えっ?」


「キミがママとしてラムと接しているのなら、私に頭を下げる必要なんてないんじゃないかな? ただ、ラムに『芸能活動を辞めて、Vtuber活動一本で行けばいい』とアドバイスすればいい。それで、キミの黒神ラムリーは守られる」


「そ、それは……」


 確かに蒲田さんの言う通りだ。


 黒神ラムリーを守りたいのであれば、蒲田さんに頭を下げる必要はない。


「キミとラムの関係は、そういう特殊なものじゃなくて、そうだね……もっとありきたりなものだと思うんだけど?」


「ありきたり……ですか?」


「キミはラムのことをどう思ってるのかな? Vtuberとママという関係じゃなく、異性として」


「はぇっ!?」


 思わず変な声が出た。


「ラムをどう思っているのか、正直な気持ちを聞かせてほしい。その答え如何で、こっちも考えるから」


「ぼ、ぼぼ、僕の気持ちと清野の契約に何の関係があるんですか!?」


「ん〜、そう言われると返答に困るね。単純に私の酔狂なのかもしれないし」


 飄々とした雰囲気で答える蒲田さん。


 掴みどころがない、とはこういうことを言うのかもしれない。


 彼女が僕に何を言わせたいのかわからなかった。


 だから、答えるべき正しい回答が全くわからなかった。


 これは素直に答えたほうがいい、のか? 


「ぼ、僕は──」


 小さく深呼吸をして、ここまで清野と過ごしてきた日々を振り返る。


 のげらちゃんとのコラボ配信。


 一緒に寧音ちゃんに会いに行ったこと。


 プレイしたEPEX。


 ラムリーの初配信。


 マルチメディア室で「ママになって」と、言われたこと。


 そして──天津高校に入学して、清野の存在をはじめて知ったときのこと。


「はじめて清野さんのことを知ったとき、なんか嫌なヤツだと思っていました」


 そう切り出した瞬間、蒲田さんがギョッとした。


 だけど僕はかまわずに続ける。


「そう思ったのは、清野さんはモデルとか芸能活動をしていて、周りに沢山の友達がいて……僕が大嫌いな陽キャ・リア充の象徴的存在だったからです。でも──」


 そこで一瞬、呼吸を整える。


 落ち着け、僕。


「清野さんから『ママになって』と頼まれて、彼女のもうひとつの顔を知って、彼女と関わり合う中で清野さんも僕と同じなんだって思うようになりました」


「キミと同じ?」


「はい。僕と同じように、ちょっとしたことで喜んで、笑って、怒って、悲しんで……自分が好きなことを表に出せない『普通の人』だったんです」


 清野が無敵の陽キャ女王だと思っていたのは、ただの偏見だった。


 それがわかったから、僕は清野の力になりたいって思えたんだ。


 そうだ。


 だから、こうして蒲田さんに頭を下げて清野を助けたいと思った。


「僕は清野さんのことが好きです」


 不意に出てしまったその言葉に、僕自身が驚いてしまった。


 僕は慌ててかぶりをふる。


「あ、いや、ちち、違います! その……異性としてとかじゃなくて、人として……というか、尊敬……に似ていると思います……けど」


 恥ずかしすぎて、今すぐ穴を掘って埋まりたい気分になった。


 こんなこと人前で言うのははじめてだし、誰がどう聞いてもキモすぎ発言だ。


 きっと蒲田さんもドン引きしているに違いない。


 そう思って、ちらっと顔をあげると──蒲田さんは嬉しそうに笑っていた。


「ふふ、ごちそうさま」


「……え?」


「ごめんね。最近、仕事に疲れててさ。キミたちのそういう初々しいピュアエネルギーを吸収したくて、すこしだけ意地悪しちゃった」


 小さく舌を出す蒲田さん。


 この人は、何を言ってるんだろう。


 ぽかんとしてしまっている僕を見ながら、蒲田さんは続ける。


「まず、ラムも含めて勘違いしてるみたいだけど、うちの事務所はオタク活動を禁止してるわけじゃないから」


「…………は?」


「契約のときに私がラムに話したのは『イメージを損なう反社会的行動はしないで』ってことだけ。いわゆる『社会的規範から逸脱した行動』のことだよ。例えば、未成年のたばことか、飲酒とか」


「は? え?」


 頭の中に大量のクエスチョンマークが発生してしまった。


「うん、わかる。混乱しちゃうよね。私もラムから言われたときは目が点になっちゃったから。どこでそんなふうに勘違いしちゃったのかなぁ……って」


「じゃ、じゃあ……」


「Vtuber活動をしてるっていうのは驚いたけど、契約に違反していることはなにもないよ。一応、社長には報告したけど、『そういう方向で露出するのもありだな』って喜んでたし」


「ほ、ほほ、本当ですか!? め、迷惑をかけてるわけでもなくて!?」


「迷惑どころかありがたいくらいだよ。キミにも感謝しないといけない……というか、ウチから正式にイラストのお仕事をお願いすることになるかも。ほら、Vtuberって定期的に衣装変わったりするでしょ?」


「……ヴォ!?」


 は? え?


 なんだこれ!?


 一体どういうこと!?


 急展開すぎて、頭がついていかないんですけど!


「とにかく、Vtuber活動は続けてもらって大丈夫だから」


 蒲田さんは、頬付けをついたまま楽しそうに続ける。


「それに、キミの気持ちも聞けてよかった。ラムも喜んでると思うよ」


「…………え? 清野?」


 どういうこと?


 なんでいきなり、清野の名前が?


 と、首を傾げていると、蒲田さんが何気なく店内を見た。


 彼女にいざなわれるように、僕も店内に視線を向ける。


 さっきも店内にいたあの帽子をかぶった若い女性が、窓際のテーブル席に座ってこちらを見ていた。


 瞬間、スッと全身から血の気が引いていく。


 その若い女性が、すごく見知った人だったからだ。


「きっ、き、き、清野……っ!?」


 窓際からじっとこっちを見ていたのは、頬を赤く染めた清野有朱。


 ふぁ!? え!?


 なんでここに清野が!?


「うふふ。というわけで、蒲田悠希はクールに去るぜ」


 ニヤニヤと笑いながら、伝票片手に席を立つ蒲田さん。


 まさか……蒲田さんが清野を呼んだのか!?


 だから清野のことをどう思ってるのかとか、根掘り葉掘り──。


 うわぁああああああっ! 


 このおせっかい焼きの蒲田悠希めぇっ!


 ハメられた!


 大人の女性って、怖すぎるっ!!

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