第42話 フレールマニア

「例えばだけど、あたしの彼ピとサトりんに『一体、僕たちのどっちが大事なのさ!?』って言われたとしてさ」


 リビングのソファーに座っている姉がさらっとぼやいた。


 僕はスクランブルエッグを作っていた手を止めて、姉を見る。


 彼女が着ている「弟のラブみが強い」と書かれたTシャツが、意味不明感をさらに増加させている気がする。


 てか、そんなTシャツどこで売ってんだよ。


「当然、あたしとしてはサトりんを選ぶわけなんだけど、できるなら彼ピを傷つけずに関係を保っていたいわけじゃない? そんなときに使える、うまい返し方ってあるのかな?」


「…………」


 ひとまず刺すような沈黙を返した。 


 こいつはどこからツッコんでほしいんだろう。


「……とりあえず、彼氏いるの?」


「いるよ。『旋風イケメン戦国記 〜あなたを姫とよばせてください〜』のシャルル伯爵」


 それ、ソシャゲのキャラだろ。


 一目惚れしたとかで始めて課金してガチャ回したけど全然でなくて、「いや〜、シャルル様振り向かせるために、一月分のギャラ貢いじまったわ〜」って言ってた気がするけど。


 僕は菜箸でフライパンの上の卵をかき混ぜながら尋ねる。


「……人気なの? そのシャルルってキャラ」


「いや全然。あたしって人気ある子は嫌いなんだよね。ほら、人気無いキャラだと、あたしだけ見てくれそうじゃん?」


「あ〜……そういう」


 何ていうか、推す動機が卑しい。


 実に卑しい。


「でも、人気ないキャラって言ってもファンはいるんでしょ?」


「いるよ。ツイッターとかで目についたら、即ブロックしてるけど」


「心狭いな」


「いやいや、広いとか狭いとかの問題じゃないから。なんであたしのシャルルを狙ってる雌狐と仲良くしないといけないのって話じゃん?」


「さらに面倒くさいな」


 言いたいことはわからんでもないけど。


「まぁ、人気無いキャラだったら課金すれば傷つけずに関係を続けられるんじゃないかな? そもそも、お金で繋がってる関係なわけだし」


「やっぱ世の中金なのか!?」


「知らん」


 そもそも、課金したお金はシャルル伯爵じゃなくて運営の懐に入るんだけど、そういうことを言うのは無粋というやつだろう。


「サトりんはどうなのさ?」


「……え? 何が?」


「いつもコソコソ連絡しあってるあの女の子とあたしから『どっちがいいの!?』って迫られたらどうするわけ?」


「…………」


 菜箸を持つ手が止まった。


「どう? 究極の二択っしょ」


「いや、そんなの考えるまでもなく、きよ──じゃなくて、姉ちゃんじゃないほうだから」


「はぁ!? なにそれ!? なんであたしじゃなくて、ぽっと出てきた女を選ぶわけ!? 信じられない!」


「実姉が選択肢に入ってること自体が信じられないわボケ!」


 義理の妹とかだったら悩んじゃうけどさ!

 

 そもそもの話、究極の二択というならもぐらちゃんと清野くらいにしてもらわないと悩みようがないだろ。


 てか、朝から何の話をしてるんだ。


「あのさ。話は変わるけど……もぐらちゃんについて何か聞いたりしてる?」


「……え、何? やぶからスティックに」


 実にオヤジ臭いセリフを吐く姉。


 リアル彼氏ができないのは、そういうところだと思うぞ。


「もぐらちゃんって、猫田もぐらのこと?」


「そう。引退するみたいな噂を聞いてさ」


 フライパンの卵がとろっとしてきたので、火を止めて皿に盛り付ける。


「本人から聞いてるよ。もぐらやめてのげらに戻るんだよね? Sato4さんにキャラ依頼したって言ってたけど」


「……っ!?」


 あやうくスクランブルエッグを床に落としてしまいそうになった。


 姉はもぐらちゃんのママだからそれとなく話は聞いてるのかなと思ったけど、そんな込み入った話までしてるの!?


「へ、へぇ、そうなんだ。そこまでは知らなかったなぁ」


「ま、サトりんのことだから、あたしに気を使って依頼を断ろうかなぁとか悩んでそうだけど」


「そんなことはないよ。もうのげらちゃんのキャラデザはやるって決めたから」


 昨日、蒲田さんの話を聞いて決心することができた。


 もぐらちゃんを辞めてのげらちゃんに戻ったとしても、ファンはついてくるはず。だったら、寧音ちゃんのやりたいことに協力してやりたい。


「…………ん?」


 不意に違和感を覚えた。


 さらっと流してしまったけど、何かとんでもないコトを口にしなかったか?


「えと……今、何て言った?」


「え?」


「僕が気を使って……って、何?」


「いやさ、どうせサトりんのことだからさ、『寧音ちゃんがのげらママに選んだのは自分だってバレたら、愛しいお姉さまを傷つけちゃう! 裸で添い寝しなきゃ!』とか悩んでるんじゃないかなって」


 とりあえず、自分の欲望を強引にねじ込むな。


 お前に添い寝なんかしたら、生きて朝日を拝めないぞ。


 ……って、そんなことはどうでもよくて!


「な、なな、何を言ってるんだよ!? ぼぼ、僕はイラストなんて」


「いやいや、そんな白々しい言い訳、いらないから」


 あはは、と笑う姉。


 そんな彼女を虚無の心で見つめる僕。


「……あれ?」


 スッと姉の顔から笑顔が消えた。 


「もしかして、気づいてなかった?」


「何に?」


「これに」


 姉がササッとスマホを操作して僕に手渡してくる。


 そこに写っていたのは──あの「フレールマニア」さんのツイッター画面。


「これ、あたしのサブ垢」


「…………はぁぁあああああっ!?」


 生まれてこの方、出したことがないような声を張り上げてしまった。


 今年一番の衝撃。


 いや、こんなことで今年一番を出したくなかったけど、衝撃的すぎる事実だろこれ!


「マ、マジで言ってるの!?」


「ほら、フレールってフランス語で『兄弟』って意味じゃん? だからすぐに気づいてくれるって思ってたんだけど、意外と鈍いんだね?」


「んなもん気づくかボケ!」


 兄弟フレールマニア。


 あああああ、畜生! メチャクチャお前の性癖まみれの名前じゃないか!


 いや、確かにフレールマニアさんって、異様に僕のイラストをラブリツしてくれるし、誰なんだろうって思ってたけどさ!


 いや、待て。


 待て待て、ちょっと待て!


 フレールマニアさんが僕のイラストをラブリツしてくれるようになったのは、まだ実家にいた頃からだ。


 てことは、姉は一緒に住む前から僕がイラストを描いていたのを知ってたってことか!?


 お下がりのパソコンをくれたのは、イラストを描いてたのを知ってたから!?


 ウソでしょ!?


 なにその伏線! くだらなすぎて鼻水出るわ!


「ていうか今更だけど、なんでイラスト描いてるの隠してたのさ? サトりん?」


「い、言えるわけないだろ。だって姉ちゃん、プロなんだし……」


「は? なにそれ。好きで描いてるんだから、プロとかアマチュアとか関係なくない?」


「あるよ。僕のイラストなんて、まだまだ姉ちゃんに遠く及ばないし」


「そう? サトりんのイラスト、控えめに言って神だと思うけど」


「……は?」


「原作へのラブみが強いし。黒神ラムリーちゃんのイラストも愛に溢れてる。あたし好きだよ、サトりんのイラスト」


「……っ」


 カッと顔が熱くなる。


 恥ずかしくて死にたくなった。


 まさか、憧れのイラストレーターである姉に褒められるなんて。


「ついでに言っとくけど、あたしはもぐらの事務所からお金をもらってキャラクターをデザインしただけ。そこに個人的な感情はなんにもないよ。寧音がもぐらをやめて、サトりんが作ったのげらに転生しても『そっか。転生しても頑張れよ。引き続き推すからね』って思うだけだし」


「ね、姉ちゃん……」


 おもわず涙ぐみそうになってしまった。


 昨日、清野の撮影現場に行って色々と決心したのは事実だけど、姉の件だけは少しだけ引っかかっていたのだ。


「……あ、ごめん。やっぱ個人的な感情はあるな」


 冷ややかに姉が言う。


「え? な、何?」


「いやさ、記念すべき寧音の門出じゃん? だからさ──」


 スッと僕を見た姉の目は──これまで見たこともないくらいに真剣だった。


「気合入れて最カワ激萌えキャラを描かんと……一緒に風呂入ってお互い体を洗いっこした後でベッドインさせるよ?」


「それだけは絶対イヤなので、肝に銘じておきます」


 僕は食い気味に即答した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る