第8話 喫茶店で食われるや否か
駅前の日曜日。午後二時。人目に付く場所、時間帯で白木さんに文句を言いたくて仕方がない。待ち合わせ場所として定番でわかりやすくはあるが、わかりやすいということはそれだけ人目に付くということだ。
万が一白木さんと僕がクラスメイトに見られると厄介な事この上ない。あっという間に僕にとってよろしくない噂は広がり、これからの生活が苦しくなるだろう。騒がしいのは勘弁して欲しい。
そう、あれやこれやと彼女に対して文句を心の中で思っていると
「お待たせ、君尋くん!」
半袖のホワイトシャツて紺色の裾の長いスカートを着た白木さんが来た。
どこかの貴族令嬢のように綺麗な形でスカートをなびかせながら僕に近づいて来る。最後の決め手は風になびいた髪を耳にかける動作だ。
「前世は貴族か皇族だったのか・・・?」
「ん?」
いきなり容量の得ない言葉を僕が言ったことによって貴族のような皇族のような表情と雰囲気が失われる。
「いや、何でもない。それより早く行こう」
彼女を置いて先を行く。
「それは私と早くお茶をしたいって解釈でok?」
「誰にも見られる前に用事を済ませて帰りたいってこと」
ポジティブな解釈で言葉を返す彼女のこう言うところは何があっても太宰治と似ていない点であろう。
紳士的な行動を取ることもなく彼女より一歩先を行きながら事前に決めていた喫茶店へと向かう。彼女はヒヨコのような足取りでテクテクとついて来る。
日本には女は男の三歩後ろを歩くものというが彼女の場合は僕の目の前や隣を歩いていたって構わないような気がした。それくらい彼女には僕がいらないように見えた。前世が貴族のような彼女は小説内の太宰のようには到底見えなかった。
喫茶店は外から見るよりも落ち着いている内装でアンティークさが醸し出されていた。
珈琲のいい香りが店の中には広く広がっていてこの店は当たりなんだろうなと思っていた。
「君尋くん、奥の席に座ろうよ」
白木さんは僕を引張って席までいく。
席に座ってメニュー表を見ると僕はアールグレイとモンブランに決める。
白木さんは表を見ながら難しい顔をしている。
「うぅ…どうしよう。珈琲とショートケーキ?それともパフェ?」
唸りながらメニューとにらめっこをする。
「決められない…」
唸る白木さんを横目に店員さんに声をかける。
「すみません。アールグレイとモンブランください」
「あ、私は珈琲とパフェで!」
店員さんが行ってしまう前に彼女も注文を済ます。
「もう!君尋くんが店員さんに声をかけるから悩んでいる暇がなかったじゃない!!」
「白木さんはゆっくり悩んで後から注文すれば良かったじゃないか」
「それじゃ店員さんに二回も来てもらうことになっちゃうでしょ!仕事増やしちゃうじゃん」
白木さんのそういう人に対する迷惑に敏感なのは太宰治に似ているかもしれない。
「よし、それじゃあ私は本を選びに行ってくるね。君尋くんは人間失格でも読んでいて!」
白木さんは本棚に向かって歩いていく。本棚には遠目から見てわかる範囲でも話題の小説がたくさんあった。見た感じ文豪系の作品はなくて白木さんの好みのレパートリーはないかもしれないなと思いながら人間失格を鞄から出す。
白木さんが本棚から手に取って持って来た本は”Dawn front −ドーンフラァントゥ−”という雪片ユウさんの作品だった。
「その人あんまり有名じゃないけどどうしてそれを持って来たの?」
白木さんは頁を開きながら答える。
「何となく題名が気になったからかな」
「ふーん」
本を六頁ぐらい読み進めてから頼んでいたものが来た。
「うわぁ!美味しそう」
白木さんは目を輝かせながらパフェを見つめる。
読んでいた小説を机に置きパフェに手をつける。
「美味しい!久々の甘いものじゃい!」
喜ぶ白木さんに続いて僕もモンブランを食べ始める。
パフェを食べ進めていく彼女は口の中にパフェを入れたまま僕に聞く。
「人間失格はどこまで読み進めたの?」
「
白木さんは言う。
「赤のアントは?」
僕は答える。
「黒」
「花のアントは?」
「女」
「女のシノニムは?」
「臓物」
「臓物のアントは?」
「牛乳」
白木さんは満足そうに頷いて言う。
「すごい!めっちゃ覚えてる。じゃあさ、これのゲームを私たちもやらない?」
彼女は本当に突拍子のないことを言う。
「それにいいよって言う人いるの?」
彼女は僕の言葉を無視して言う。
「才能のアントは?」
「思考」
「音楽のアントは?」
「沈黙」
「本のアントは?」
「…動画?」
「あー微妙」
「手紙?」
「それはシノニムじゃないかな」
白木さんはパフェに乗っているサクランボを摘む。
「じゃあ、手紙のアントは?」
「電話」
「罪のアントは?」
「…………罰」
「太宰治のアントは?」
「志賀直哉」
「それは言えてる!」
白木さんはパフェを半分まで食べ、スプーンを置く。そして僕を見た。
「なら、私のアントは?」
僕は固まる。
彼女のアントは何だろう?太宰治は彼女からしたらシノニムだし、かと言って彼女の友人は少し違う気がする。
彼女は口を開く。
「光と闇、善と悪、太宰治と志賀直哉。私のアントは君だよ、君尋くん」
白木小幸のアントは雀宮君尋。
「太宰治が愛した女は全員が彼のアントだよ。だから彼らは惹かれ合ったんだ」
白木さんは悲しそうに笑う。
「人間は自分にないものを相手に求めるからね」
僕はアールグレイを手に取って一口飲んでから言う。
彼女は机に置いた本を手に取り開きながら言った。
「だから私は君尋くんを手に入れたい。ねえ、君尋くん」
白木さんは本に目を向けたまま僕に語り続ける。
「私と付き合って」
「私はアントの君尋くんが欲しい」
先程まで本を見ていた彼女の目はいつの間には僕を見ていた。
”付き合って”人生で初めての言葉だ。
僕は酷く動揺した。彼女はいつだって唐突すぎることを言う。心中だってそうだ。
「…返事は?」
返事なんて今すぐ返せるわけがない。
「君尋くん」
向かい側でなく耳の横から白木さんの声が聞こえる。
どうして横にいるんだ?僕を呼んだ彼女の方を見る。
振り返ったその瞬間に僕は彼女にキスをされていた。
触れ合うだけの短いキス。彼女の顔があり得ないほど近い。
一瞬があり得ないほど長かった。
「君尋くん」
「好きだよ」
嗚呼、彼女は魔性の女だ。
「付き合って」
女を魅了した太宰のように、彼女も男を魅了する。
彼女は恐ろしい。
男が単純な生き物であることを理解している。
そして、身を持って体験したのだ。
「僕は……………」
「僕は君とは付き合わない。けど、」
「君に愛を囁くことはできる」
君がそれを望むなら。
僕は自分も君も騙そう。
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