第39話

「ち、違う! ボクはムツミじゃないぞ! 断じて違う!」


「いや、そんな特徴的な格好、お前しかいないだろ。しかも誰もお前の名前なんか呼んでないのに返事しちゃってるじゃないか」


「え? あっ! しまった!」


 戻し屋は巨大なルーレットの前でボールと一緒にアワアワと慌て回る。

 その様子に、先ほどの酒場で見せた余裕は微塵もない。


「え、ハジメさん、もしかしてその方が……?」


「ああ、こいつがヒナタちゃんの病気を治すのを渋った挙句、高額の依頼料をふっかけてきた戻し屋だよ。忙しいとかなんとか言っていたが、まさかカジノでギャンブルに勤しんでいるとはな」


「それは、なんというか、その……」


 ミクのムツミを見る目がドンドン険しくなる。


「おいなんだ! そこの女!『小さな女の子の病気を治さなかった挙句に宵の口から賭け事に乗じていらっしゃるなんて、もしかしてこの方クズなのかしら?』とでも言うような目は!」


「いやだから、そういう目だろ……」


 俺もミクさんと一緒にジト目をムツミに向ける。

 ここまでくると呆れて怒りも感じないから不思議だ。


「あー! お前たちに構っている間にルーレットが終わっちゃってるじゃないか! しかも負けてる!」


 ムツミに言われて盤上のボールに目をやると、確かにボールは回転を止めていた。

 12のマスの窪みに落ちている。

 彼女が賭けていたのは10番だったはずだから、高く積まれた10ゴルのチップは文字通り塵同然の価値に成り下がった。


「ちっくしょー! 2つ隣のマスに入ってれば1000ゴルが手に入ってたのにー! お前たちが邪魔しなければー!」


「いや、邪魔も何も、ただ声をかけただけだし、ルーレットの結果には関係ないだろ」


「うるさい! あれでテンポが崩れたんだ! 金返せ! 10ゴル!!」


 子どもみたいにギャーギャー騒ぎながら、手を出してくるムツミの前に、ミクが立ちはだかる。


「カネカエセ! カネカエセ!」


「どんな大金でも、賭けるからには失う覚悟をするべきです。それがギャンブルというものです。諦めてその手を戻しなさい、クズ美さん……あ、間違えました。ムツミさん」


「クズ美って言った! この女いまボクのことクズ美って言った!」


 ブフォ! と俺は思わず吹き出してしまう。


「くそ! 揃いも揃って馬鹿にしやがって! もうお前らの依頼なんか受けてやらないからな!」


 もう一回やってくる! とボクっ娘ゴスロリクズ少女はルーレットへと駆け出して行く。


「……ごめんなさいハジメさん。私が変なことを言ったばっかりに」


「いや、いいよ。どうせあの調子だ。仮にギャンブルで300ゴル稼いだとしてもそれ以上の値段をふっかけられたさ」


「それじゃあ──」


「ああ、一世一代の賭けはやめだ。ヒナタちゃんの病気は、なんとか腕の立つ医者を探すしかないな」


「はい、それがいいです」


 そうと決まればこんなところに用はない。とっとと退散するとしよう。


「プレイス・ユア・ベット!」

 

 ディーラーの声が響く。

 俺たちがカジノの出口へと向かう時、ちょうど運命の輪ではボールが回転を始め、参加者たちがチップを賭け始めるところだった。

 見れば、ムツミはまだルーレットを睨み、どこに賭けようか迷っているらしい。


 その向けている意識の半分だけでも不治の病の少女へと向けてくれたらな、と思わないでもないが、言っても仕方のないことだ。


 早いところ帰ろうとが、ちょうどカジノは混んでくる時間帯のようで、いつのまにかルーレットの周りは大勢のギャラリーでひしめきあっていた。

こんな時モースのように人の波を割れたらいいのだが、生憎と俺にそんなスキルはない。仕方なく人混みをかき分けて進んでいくが、なかなか出口へとたどり着けない。


 そうして、チップを賭ける時間が終わりを告げようとしたその時、ムツミが動いた。

 ギャラリーがどよめく。

 思わず視線をやると、一目瞭然。36の一マスに山のようなチップが積んである。

 その数、実に30枚。物価的価値からしておよそ30万円。当たれば3000万だ。


 気のせいか、ディーラーの口元が少し上がったかのように見えた。


「ノーモア・ベット! さあ、あとは運命の女神の御心のままに!」


 ディーラーの発言からやや遅れて、外周を回っていたボールが72マスがひしめくエリアへと落ちる。


 銀の玉は一直線にマスへと落ちていき、そして──


「え?」


 隣でミクさんが呟くのが聞こえた。


 ギャラリーが再びザワザワと騒ぎ出す。


 ボールが落ちたのは35番。ムツミが賭けたマスのすぐ隣だった。


「あー! 惜しい! もう少しだったのに! もう一回! もう一回やるぞ!」


 ムツミの叫び声がここまで響いてくる。


 彼女は一躍、注目の的になる。


 だが俺の視線はただ一点、ボールにのみ注がれている。


 おかしい……だがまさか、こんなに大胆に──


「あ、ハジメさんも気づきましたか?」


 ミクさんがルーレットに顔を向けながら小声で囁く。

 いい判断だ。俺たちが気づいたことに、気づかれてはいけない。

 俺も習って、あえて隣を向かないようにする。


「うん、あのルーレットには何か細工がある。このカジノ、あろうことかこの群衆のど真ん中で、イカサマをしてやがる」

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