第34話

 地面から突如出現した巨大な黒い花の食人植物が、俺たちとイツキとの間に立ち塞がった。

 先ほど俺とフタバが倒したララフレシア・レッドプラントよりもさらにもう一回り大きく、触手の数も尋常じゃないほどに多い。


 これで逃走劇は一時中断、俺とフタバはこのモンスターの介入によって、ひとまずはイツキの追撃を逃れることができた。


 さらに僥倖だったのは、モンスターが最初の獲物にイツキを選んでくれたことだった。単純に位置的に近かったのか、本能的に強敵だと認識したのか、黒い花を大きく開き、威嚇のような声をあげると、イツキめがけて数多の触手を振り回した。

 

 ただ、そこはさすが団長様と言うべきだろうか、モンスターの攻撃をものともせず、襲ってくる側から全て剣で切り落としている。あの触手に再生能力がなかったら今頃はもう倒されているだろう。


 敵同士が殺しあってくれている今のうちに俺たちは戦線を離れ、広間の隅で作戦を考える。


「しかし、よくわかったニャ、このフロアにあの巨大モンスターが出現するって」


 フタバが不思議がるのも無理はない。正直、絶対に出現するという確証はなかった。


「さっきモンスターが出現したフロアと、部屋の条件が同じだったからな。あの巨体が入るだけの大広間に、光合成をするための発光する植物。モンスターが出現する条件は揃っていたというわけだ」


 ニャルほどニャ、と頷くフタバ。


「ニャー、じゃあ、わざと足音を立てて進むように言ったのは──」


「奴らが獲物を振動で認識していると考えたからな。見たところあいつらに眼のようなものはないし、地面の下から現れたことからも、そう推測できた」


 ここまでは予想通りの展開だ。

 だからこそ、問題はむしろこれからだと言える。

 このモンスターがどれだけイツキを妨害できるのか、その間に俺とフタバがいかにしてこの状況を打破できるのかに、俺たち二人の命がかかっている。


 戦況を見れば、団長殿はひとまずモンスターを倒してからゆっくりと俺たち二人を捕まえようと考えたのか、こちらには目もくれずに目の前の敵を倒すことに集中していた。

 触手をものすごいスピードでバラバラに切り刻みながらも、イツキが淡々と呟く。


「ふむ……サララセニア・ブラックプラント、このダンジョンのボスモンスターか。噂には聞いていたが、本当に大きいな」


 その一言に、むしろ俺とフタバが驚きを露わにする。

 

 ボスモンスター⁉︎

 巨大だとは思っていたが、まさかボスだとは思わなかった。


 ならばイツキの足止めも期待できそうだが、見たところ現在の戦況は完全にイツキが有利だ。とてもあのモンスターがイツキを打倒しているところは想像できない。

 だが憲兵団最強のイツキと言えども流石に一人では触手の再生スピードを超えられないようで、本体である茎には攻撃できていない。状況を変えるならば今がチャンスだ。


「フタバ、煙玉はまだあるか? 団長様がボスモンスターに手こずっている間に、あれを使って一度ここを離れよう」


 ボスモンスターを倒さない限りダンジョンは攻略できない。だが今はまだその時ではない。


 ボスモンスターイツキを相手にしている間はこっちを無視してくれているが、いつ気が変わらないとも限らない。このままではイツキを含めた三つ巴の争いになりかねない。一度このフロアから撤退して、改めてボスに挑むのが最善の策だと考える。

 だが──


「すまんニャ、さっき逃げた時に使ったのが最後の一個ニャ……」


「そうか……」


 落胆しなかったと言えば嘘になる。

 虎の子の逃走手段も品切れらしい。

 そうなると逃げの一手は打てそうにない。

 だが、戦闘は、というと、

 それはかなりこちらの分が悪いと言えるだろう。


 おそらく先ほど戦ったララフレシア・レッドプラント、あいつは中ボスに位置するモンスターだった。

 そしていまイツキが戦っているサララセニア・ブラックプラントがこのダンジョンのボスモンスター。

 

 俺とフタバの戦力は中ボス相手に全力を尽くしてなんとか倒せる程度だった。

 だがイツキは、ボスモンスター相手に一人で優勢を保っていられるほどの実力者だ。


 仮にだが、俺たちがイツキと真っ向から本気で戦ったとして、勝算はおそらく、一割とない。


「まずいな……」


 逃走も闘争も不可能。

 正直、かなり追い詰められた形だ。


 だが現実は無慈悲。世界は残酷。敵は情け容赦なく俺たちを追い詰める。


「いやいやいや、どれだけ進んでも見つからないと思っていたら、まさか一番奥まで来ているとは、手こずらせてくれましたね。ですがこれで文字通り、袋小路の行き止まりです。さあ、観念するお時間ですよ」


 副団長カガネが夥(おびただ)しい数の敵を引き連れて俺たちのいるフロアまでやってきた。

 それは俺たちの脱走劇の終幕を表していた。

 一つしかない出入り口は兵士たちに埋め尽くされる。

 タイムアップ。

 完全に退路を断たれてしまい、元々不可能だった逃走の選択肢がいよいよ絶望的になる。


「ニャー、そろそろあてゃしも、年貢の納め時かニャー……」


 フタバの声からも希望の感情が完全に消え失せてしまっている。

 無理もない。このまま捕まれば、彼女は明日、街の広場で公開処刑になる。

 いや、この場で即座に殺されてしまう可能性すらあるだろう。

 それだけは絶対に阻止しなければならない。

 まだ、諦めるわけにはいかない──

 なんとかして起死回生の一手を見つけなければならない


(何でもいい、何かないか? この状況を打開できる何か……)


 そう思った時だった。


「ふむ、やはりこれしかないか」


 イツキがそう呟くのが聞こえた。

 あまりに小さい声だったので、空耳かと思ったが、次の瞬間、イツキは豪速でぶん回していた剣を止めて、微動だにしなくなる。


 まさか、そんなことしたら──


 次の瞬間、サララセニア・ブラックプラントの触手がイツキの身体を絡みとり、黒い花の口の中へと放り込んだ。


 憲兵団の団長はゴクン、という音が聞こえそうなほど、一瞬にして丸呑みにされた。


 アハハハハハハハ! とカガネの笑い声が響き渡る。


「まさか最強の団長様も、疲労困憊のところをやられましたか! これで憲兵団も、名実ともに私のものです!」


 よほど嬉しいのか、大笑いしながらペラペラと楽しそうに語り出す。


「いやいやいや、姉の代から我慢してきた甲斐があったというもの! あとは囚人達もボスモンスターに食べられるのを見物するだけ! まさしく高みの見物というものです!」


 盛り上がるカガネとは対照的に、俺は冷静だった。

 あのイツキが、疲れていたところを殺された?

 本当にそうだろうか? 俺にはまるでイツキが自分から食べられたように見えた。

 

 その一瞬、俺の頭をある考えがよぎった。

 見る人が見れば馬鹿らしい、とても格好いいとは言えない作戦。

 だがそれこそがこの絶望的な状況を覆す、たった一つの冴えたやり方のように思われた。

 時間がない。この機を逃すな。やるなら今だ。

 俺は地面に膝をついた。


「クソ! イツキが死んで、ボスモンスターの次の標的は俺たち。もう打つ手がない。諦めるしか……」


 俺の腕が力なく地面を叩く。


「アハハハハハ! いい気味ですね! こんなことなら逃げることなんてせずに私たちに殺されていればよかったのに!」


 カガネの勝ち誇った声が響き渡る。


「悔しいが、そうかもしれない……。あそこで捕まっていれば、化け物に食われて死なずに済んだのに。だがもうそんなことを言っても仕方ない。ならばせめて、最後に聞きたい。姉の代から我慢してきたって、どういう意味だ? 教えてくれないか?」


 俺の必死の問いかけに、縁起の悪さが服を着たような男は、得意げな表情を惜しげもなく見せて、こう言った。


「そうですね、そうですね、冥土の土産に教えて差し上げましょう! 何を隠そう、憲兵団の元団長、イツキさんの姉を事故に見せかけて殺したのは、この私なのですよ!」


 隣に立つフタバの息を飲む音が聞こえた。


「いやいやいや、妹と一緒で馬鹿正直な姉でね! ダンジョンに呼び出したところを後ろから刺してやりましたよ! その時の彼女の表情、あなた達にもお見せしたかったです! 時期団長が私でなかったのは残念でしたが、水の独占販売で丸儲け! しかも、これからはそれが堂々とできる! こんなに嬉しいことはない!」


 アハハハハハ! とカガネが笑うと、憲兵団の兵士たちも一緒になって声をあげる。

 なんて下卑た笑いだろうか。

 心の底から人を馬鹿にする、嘲笑という名の笑み。


「さあ、絶望をその瞳に宿しながら、イツキさん同様、化け物に喰らわれなさい! その有り様をこの私が目に焼き付けて差し上げましょう!」


 そう叫ぶカガネの声を、一閃の斬撃音がかき消した。

 直後、サララセニア・ブラックプラントの身体が真っ二つに割れる。

 そして中から、粘液に塗れたイツキが姿を現した。


「んなっ!」


 カガネの顔が真っ青になり、兵士達がどよめく。

 対して予想を的中させた俺は、心の中でガッツポーズをした。


 食人植物モンスターの弱点が茎にあると本能的に見抜いたイツキは、わざと食べられることで、体内からモンスターを八つ裂きにし、最後は真っ二つにすることでボスを倒したのだ。


 イツキの鋭い視線がカガネを捉える。


「まさか、副団長ともあろう者が権力に取り憑かれ、私欲に塗れているどころか、団長の座を手に入れようと画策し、あまつさえ我が姉を手にかけたとはな……」


 イツキの声が震える。

 それは憂いでも、悲しみでもなく、激情的な怒りだった。

 イツキの周りを真紅のオーラが纏う。


「我がスキル“ジャッジメント”。この手で命を手にかけた瞬間から、我が必殺の刃は、さらに鋭さを増す。あの日、姉を失ってこのスキルを手に入れた時から、私は誰も殺したくなかった。誰も手にかけず、秩序を保つために、厳格な処置を民たちに課してきた。だが、汝が我が最愛の人の仇(かたき)というのなら、不殺の誓いを捨て、今ここに私は修羅となろう」


「まさか、そんな、これが、貴様の……」


 カガネが俺を睨みつける。

 そう、まさしくこれが俺の狙いだった。

 副団長のカガネが裏で憲兵団を操り、不正を働いているのは明らかだった。だが団長のイツキはその実直さ故に仲間を疑おうとはしない。しかしそれが仲間自身によって語られたのであれば、話は別だ。

 そこで一芝居打ち、カガネに気持ちよく喋らせることでも己の悪事を露見させたのだ。


 全てはモンスターの体内にいるイツキにカガネの悪事を知らせ、味方とするため。


 俺は、俺たちを追い詰めたイツキの、そのまごうことなき強さを信じたのだ。


「ま、待ってくださいイツキさん! これは何かの間違いで……」


「その減らず口は聞き飽きた。遺言は聞かん。我が剣の元に塵と消えよ」


 剣戟一閃。

 そうして、目にも止まらない斬撃がカガネの胸を切り裂いた。

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