第30話

 俺がダンジョンと呼ばれるものに入るのはこれで三回目になる。

 まずヤマトたちと最初に入ったオランゲルのダンジョン。これは今にして思えば普通と言うか、非常にオーソドックスなタイプだったと言える。

 細かいギミックこそあったものの、モンスターがいて、宝物庫がいて、ボスモンスターがいるというノーマルなタイプのダンジョンだ。


 次に、アプリナのロストダンジョン。これはもう攻略されているが故に女神デスティネルの加護が薄くなったのか、迷宮は全体的に劣化していた。その上骸骨やアストラル系のモンスターがいたので全体的にホラーな雰囲気を放っていた。


 そして、ここ、グレイブルのダンジョンはというと、入った瞬間に、その異色な雰囲気が伝わってきた。


「なんだこれ? 苔……?」


 迷宮の壁が緑色の小さな植物でびっしり覆われている。

 種類はわからないが形状からしてとにかく植物であることは確かなようだが──


「ってことは当然──」


 俺は迷宮の地面を踏み締めた。

 植物が生えているということは、外と違って砂ということもない。

 それどころか、水分を大量に含んでいる地面の柔らかい感触がした。


 かつて水の都と呼ばれたグレイブルは今や砂の都と化している。それはこのダンジョンができてからだという。

 間違いない。

 この迷宮の植物たちが街中の水分を吸い上げたのだ。


「ニャア、分析は後にして、ひとまずダンジョンの奥へと進むニャ。ここにいたら奴らがダンジョンに入ってきて瞬間に見つかるニャ」


 フタバの言う通りだ。

 この街の憲兵団を裏で牛耳るカガネという男。あの手の悪党は腹が立つことに馬鹿ではない。遅かれ早かれ、脱走者たちがダンジョンに逃げ込んだことに気づくだろう。

 俺たち二人とも、兵士たちとの度重なる戦闘で疲弊している。だがここに留まればその頑張りも無駄になる。


「よし、もうひと踏ん張りだな」


 俺はフタバと肩を寄せ合って、迷宮の通路を進んでいった。

 幸いモンスターには遭遇しなかった。これは本当に運が良かった。

 何せこのダンジョン探索は憲兵団に追われて逃げ込んだ結果だ。事前準備や情報収集などは一切していない。

 成り行き任せの命懸けの戦闘みたいなものだ。

 当然、どんなモンスターが出るのか、何が弱点なのか、どう対処するべきか、全てが手探りな状態だ。


 ならばせめて、体力や精神力などのこちらのコンディションくらいは万全にして臨みたいというものだ。


「よし、ここまで来れば大丈夫だろう」


 ダンジョンを歩き続けてからおよそ一時間、俺たちは大広間と呼ぶべきか、開けた場所へとたどり着いた。

 見れば、その部屋に生える植物たちは発光しており、その空間だけまるで外にいるかのようにすら錯覚する。


「光り輝く植物か……どういう仕組みなんだろう」


「細かい考察は後々。さっ、休憩するニャー」


 言い終わるや否や、フタバはその辺りにゴロンと寝転がって、自分の荷物を漁り出す。


(こういうところは本当に猫だよな……)


 と口には出さずに、俺も隣に腰掛ける。

 するとフタバは自分の鞄から革袋に入った水と山盛りのサンドイッチを取り出した。


「あー! なんだよそれ! うまそう! いつの間に手に入れたんだ?」


「ニャー、さっき証拠品の倉庫を漁った時にちょいと拝借したのニャ。どうせ悪徳憲兵団の胃袋に入るニャら、あてゃしが食べてもおんニャじニャ」


 くそう、いいなぁと思いながら、俺は横になって目を瞑り、身体を休める。

 武士は食わねど高楊枝。

 偉い人は言いました。よそはよそ。うちはうち。

 だがそんな俺の横顔をサンドイッチがつつく。

 

「……いいのかよ」


「ニャー、取引をした時点であてゃしとお前は運命共同体ニャー。お前の空腹はあてゃしの命に関わるのニャー」


 いらないニャら、このサンドイッチはこのダンジョンに捨てちゃうニャー、という言葉を聞き終わる前に、俺はサンドイッチに齧りついていた。

 食べ物を粗末にしてはいけない。それに、腹が減っては戦はできぬ。

 格言や名言の、なんと便利なことか。


 俺たちは二人仲良くサンドイッチを食べた。

 絵面だけなら完全にピクニックのそれだ。

 ああ、肉と野菜をパンに挟んだだけで、どうしてこんなに美味しいのだろうか?

 フタバも死線をくぐり抜けた後の勝利の晩餐を堪能しているようで、笑顔でサンドイッチを口一杯に頬張る姿は完全に猫だ。

 そんな彼女の猫耳がピコピコと揺れる。


「え、それ動くの?」


「ニャー、動かそうと思っていなくても、動いちまうんだニャー……」


 ならばやはり本物の耳なのだろうか?

 俺が観察をしていると、その視線に気付いたのか、サンドイッチを食べながら答えた。


「ニャー、こいつはあてゃしが闇市で手に入れた泥棒猫(シーフリンクス)っていう名前の遺物ニャ。自前のものじゃニャい。聴覚をはじめとした五感が鋭くニャるのが利点ニャんだが、もうわかってるとは思うけど、口調がおかしくなっちまうのニャー」


「口調が、おかしくなる……? デメリットがある装備……?」


 今まで俺はずっと、フタバの猫語は生まれもってのものか、あるいはキャラづけか何かだと思っていた。

 だが、まさか装備の副作用だったとは。


「そうニャ、しかもデメリットはそれだけじゃニャい。こいつは、一度つけると何があっても外せニャいのニャ」


 フタバが耳の片方を触る。

 そちら側はもう片方に比べて真ん中が少し欠けている。


「一度なんとしてでもこの耳を外したくて、ナイフで切り落とそうかと考えたこともあったのニャ。でも、神経が通っているのかわからニャいけど、どうしても痛くて諦めたのニャ。これはその時の傷ニャ。


 サンドイッチを食べていた時の幸せいっぱいの表情から一転、フタバの顔が悲壮感に染まる。


「……そこまでして、どうして……?」


「ニャー、あてゃしも元々は、お前とおニャじ探索者だったのニャ。だけどこの耳をつけた途端、パーティメンバーから馬鹿にされるようにニャったのニャ。それでいつも間にかひとりぼっちニャ……。またパーティに加わるためには、このままじゃダメなのニャ。あてゃしはニャんとしても、この耳を外したい。そのためには金がいるのニャ」


「どういうことだ? お金が有れば、その耳を外せるのか?」


「それがニャ、隣街のメローヌに、どんなバッドステータスでも元通りに戻してしまう“戻し屋”って奴がいるらしいのニャ。そいつにかかれば、解除不能の装備でも外せるかもしれニャい」


 戻し屋。

 そういったスキルのことは聞いたことがないが、なんでもあり得るのが異世界だ。

 なんて言ったって死んだ人間を生き返らせるスキルがあるくらいだ。

 しかし、外してしまうというのも少しもったいない気もする。


「俺はその耳、可愛いと思うけどな。なあ、もし良ければなんだけど──ちょっと触らせてもらってもいいかな?」


「ニャ? 別にいいけど……」


 俺はフタバの頭を軽く撫でる。

 装備と聞いたので硬いのかと思ったら本当に耳を触っているような感触だった。


「おー!」


 本当に猫を触っているような感覚に調子に乗って撫でていると、


「ンニャー、ゴロゴロゴロゴロ」


 フタバが喉を鳴らす音がした。

 気持ちいいのだろうか。満足そうな音を立てている。

 そんなところまで猫なのか。


「よーしよしよし」


 調子に乗って、ここがええんか、ここがええんか、と永遠と撫でまわしていると、

 

「──ハッ! いつまで触ってるにゃ! いい加減離れるニャ!」


 フシャー! と怒られてしまった。


「やっぱりいいなぁ、その耳。俺は好きだ」


「えっ」


 そう言うと、今度は顔を伏せて黙ってしまうフタバ。

 気まぐれなところも猫っぽいようだ。


 フタバが盗賊をしているのは、その“戻し屋”に払うための資金を集めているからなのだろう。

 この街のダンジョンは憲兵団が独占してしまっているし、他に大金を稼ぐ手段はこの街にはない。

 決して許されるというわけではないが、理解することはできた。


 それに、フタバも心の底から盗みをしたいと思っているわけではないと俺は思う。

 俺から財布を奪うとき、彼女はまるでこれから盗むことを宣言する様に「いっただきー!」と声を上げていた。

 追いかけた時も、絶えず自分の居場所を知らせるように声を出していた。

 本気で盗む気なら、わざわざ声をあげたりしないと思うのだ。


 成り行きで始まったダンジョン攻略だが、ここを攻略できれば、それこそ唸るほどの大金が手に入る。

 憲兵団から逃げるだけでなく、フタバのためにも、絶対に成功させたい。

 それに、と俺は思う。

 “戻し屋”が本当にどんなものでも外してくれるなら、俺の噛ませ犬スキルもなくせるのではないだろうか?

 それを確かめるためにも、ここで死ぬわけにはいかない。

 俺は絶対に生きて帰ることを胸に誓った。

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