第20話

 あるいは、墓場から装備を盗んだ子ども達なんていないのではないかと思っていた。

 いや、願っていた、という方が正しいだろうか。

 昨日すれ違った子どもたちも、行商人さんが聞いた噂も、全て何かの勘違いなのではないかと。

 もしくは、彼らが寄せ集めの防具に仲間内だけのパーティでの探索なんか諦めて、さっさと家に帰っているのではないかと。

 自分とシズヨがロストダンジョン中を探しても、そんな子どもたちなんか見つからないのではないかと。

 自分たちの町の発展のために命を投げ出した人たちの怨霊に、子どもたちが、子どもたちのせいで襲われてしまうなんて、そんな最悪な現実なんてありはしないのだと。

 そう祈っていた。


 だが運命の女神とは非情なもので、いつもこちらが考える最悪の事態を、おとぎばなしのようだと嘲笑いながら、予想を遥かに超える現実を、無惨にも突きつけてくるのだ。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 いったいどんな状況に遭えばそんな悲痛な声が出せるのか、そう言いたくなるほどの少女の悲鳴が聞こえてきたのは、俺とシズヨが数多のモンスターを倒し、ロストダンジョンの最奥に足を踏み入れた時だった。

 俺たちは、疲れた体を気にする間もなく、悲鳴のする方へと駆け出し、おそらくは元宝物庫であろう大層なドアを開け放ち、その光景を目の当たりにした。


 だだっ広い広間に、五人の子どもたちが倒れていた。

 装備もバラバラ、倒れている場所もバラバラ、ただ一様にその目には生気がなく、体はピクリとも動いていなかった。

 そして彼らを遥か高みから見下ろすように、巨大な亡霊が宙を舞っていた。

 呼称不明、能力も不明、ただその虚空の瞳からは強い怨みと確かな憎しみが感じられた。

 気球ほども巨大な亡霊。

 奴は入ってきたばかりの俺たちには目もくれず、広間を走る物体を追いかけている。

 それは、杖を持った少女だった。

 おそらく先程の悲鳴の主だと思われる彼女は広間の端へと追いやられ、恐怖に怯え切った顔をしている。そこにもはや抵抗の意思はなく、ただ逃げることだけを考えているようだった。


 だが、巨大な青い化け物はその右腕を少女に伸ばすと、無慈悲にもその身体を背後から貫いた。


「ダメえええええええええええ!!」


 シズヨの叫びもむなしく幽霊の腕が彼女の身体をするりとすり抜けると、少女は冷たい迷宮の床に倒れ伏した。

 血が吹き出したわけではなかったが、それが少女の命を奪ったのだと、直感的にわかった。

 倒れた少女の身体から青白い物体が飛び出すと、巨大なゴースト目掛けて飛んでいく。

 見れば、奴の周りを、夥しい数の青い塊がヒュンヒュンと飛び回っているではないか。


「触れた人間の魂を奪って集めているのか……?」


 俺の疑問に応えるように、隣のシズヨが力なく答える。


「あ、あのモンスターの名前はヒュージゴースト・ダークネクロホール。かつて私の祖父が命懸けで倒した、このロストダンジョンの最強のモンスターです……」


 その手に握られた杖は、小刻みに震えている。


「ダンジョンで死を遂げた住民たちの怨念が膨らみ続け、雲が周りの塵を巻き込んで大きくなるように、探索者の魂までも吸い取って、なおも止まることはない亡霊の塊です……。

 おそらく、子どもたちの持ってきた装備についていた魂が、このロストダンジョンのゴーストたちを集めて復活したのでしょう……」


 復活したロストダンジョン最強のモンスター。亡霊の集合体。

 まるでこのダンジョンの裏ボスとでも言うべき存在だ。


「けど、亡霊ってことは、シズヨさんの魔法スキルでなんとかできるんじゃないの?

 それに、魂の集合体なら、子どもたちはまだ死んでいないかもしれない。あのデカいのを倒せば、体に魂が戻るかも!」


「は、はい。ネクロホールさえなんとかできれば、子どもたちを救うことは、おそらくできるかと思います。でも……」


「だったらやるしか無い! 俺が囮になる! シズヨさんは言の葉を唱えて!」


 叫び終わるや否や、俺は巨大ゴーストの側面へ回り込むように猛ダッシュした。


 残念ながら、俺にあいつを倒すことはできない。アストラル系モンスターに物理攻撃が効かないように、あの亡霊の塊を殴ってもすり抜けるだけだろう。いや、それだけならまだしも、触れただけで魂を吸われてお陀仏っていう可能性もある。俺にできるのは、少しでも奴の気を引いて、シズヨさんから意識を逸らすことだけだ。


「こっちを見ろデカブツ! 俺が相手だ!」


 ヒュージゴースト・ダークネクロホールは周りを飛ぶ羽虫を払うように、横薙ぎに腕を振り回してきた。

 触れれば即死の一撃だが、俺は慌てなかった。


 この三ヶ月間、ロストダンジョンでただ骨を砕いていたわけではない。剣を振り回す骸骨の攻撃を防ぎ、捌き、避けてきたのだ。

 相手の予備動作から攻撃がくる範囲を見抜き、早めに回避行動をとる訓練を、実地で学んできた。


 俺は落ち着いて助走をつけ、青白い腕が身体に当たる寸前で前方に転がり出た。

 俺が先ほどまでいた場所をゴーストが薙ぎ払う。

 そのまま後ろを振り返ると、ちょうどシズヨが言ノ葉の詠唱を終えるところだった。


「“リベレート”!」


 杖の先から青白い光がほとばしり、ヒュージゴースト・ダークネクロホールへと伸びていく。

 光を浴びたゴーストは、頭を抱えて苦しみ出し、そしてそのまま、亡霊の集合体が消滅する──かに見えたが。


「ッッッッ!」


 突如シズヨさんの杖から光が途切れた。

 ダークネクロホールは、「自分を苦しませたやつはどこだ」とでも言うかのようにあたりを見わたし、そしてシズヨの姿を捉えると、今度は彼女に向かって青白い腕を伸ばした。


「危ない!」


 俺は急いでシズヨの元へ駆け戻ると、そのまま彼女を突き飛ばした。

 間一髪、彼女にも俺にも腕は当たらずに済んだが、喜んでばかりもいられない。なぜシズヨは魔力スキルの放出をやめたのか。あのままいけばあいつを倒せたかもしれないのに。

 ひとまず時間を稼ぐために彼女を抱えて岩陰に隠れると、


「ご、ごめんなさい。魔力切れです……」


 シズヨは申し訳なさそうに、そう口にした。

 見ると、その瞳からは涙が溢れている。


「ヒュージゴースト・ダークネクロホールを女神様の元へ送るには、ものすごい量の魔力で“リベレート”を行う必要があるんです……。初代墓守であり、歴代最高の魔力を誇っていた私の祖父でさえも、命を消費して魔力を底上げする禁じられたスキルで、あのモンスターを払ったんです。魔力も人並み、禁じ手も使えない私には……」


 本当にごめんなさい、とシズヨはもう一度、泣きながら頭を下げた。


「ごめん、そうとは知らずに……とりあえず、これを飲んで」


「はい……」


 俺はシズヨに魔力回復ポーションを渡した。

 ひとまず、この岩影に隠れている間は奴も俺たちに危害を加えてくることはないが、ここにいるのがバレた瞬間から、またあの触れたら即死の攻撃にさらされることになる。なんとかそれまでに対策を講じなければならない。


 だが、頼みの綱のシズヨはすっかり心を折られてしまっているし、俺の物理攻撃は全て通じない。万事休(ばんじきゅう)す、といった状況だ。

 けれど、諦めてはいけない。子どもたちの命がかかっている。なんとかあいつを倒す手立てを考えないと。


(シズヨさんの“リベレート”は奴に効いていた。問題は魔力量だ)


 かつてシズヨの祖父は奴を払うために、自分の命を削って魔力を増やす禁じ手を使ったらしい。だが俺たちには、そんな方法は──


「いや、ある」


 オランゲルからアプリナに向かう途中、もう二度とこのスキルには頼らないと誓った、俺にだけ許された唯一無二のスキルが。

 だが使えば俺も、子どもたちの後を追うことになる。シズヨが奴を倒すのに失敗すれば俺もまた奴を取り巻く数多のゴーストの一人として永遠に暮らすことになるかもしれない。

 そこから蘇るには、シズヨを信じるしかない。

 奴を倒せば戻れるというシズヨの言葉を。そして、シズヨが絶対に奴を倒してくれると。


 もっと自分を大切にして欲しいと、行商人さんは言った。

 俺はお人好しだと。

 そうかもしれない。現に俺はヤマトたちを疑わずに信じた結果、死ぬことになったのだから。


 かつてのアプリナの人々だってそうだ。町の発展を信じたから、彼らは命を落とし、こうして巨大な亡霊になるに至った。

 もしかしたら、ひとを信じることは馬鹿なことなのかもしれない。

 子どもたちもシズヨも見捨てて、今すぐこのロストダンジョンから脱出するのが、唯一利口な選択肢なのかも。

 だけど、だけど俺は──


「シズヨさんはここに隠れてて。自分の魔力が上昇するのを感じたら、もう一度“リベレート”を唱えて。今度は、きっとうまくいく」


「えっ? ハジメさん、何を──」


「大丈夫。自分を信じて」


 俺は、必死に引き留めるシズヨを振り切って、ヒュージゴースト・ダークネクロホールの前へと躍り出た。

 結局、俺は噛ませ犬にしかなれないのかもしれない。

 自分一人の力では、ボスモンスターを倒すことはできない。

 俺にできるのは、ただ愚直にひとを信じることだけだ。

 裏切られてもいい。犬死になってもいい。

 ただそれでも、彼女の涙を止めることができるのなら──


「来いよデカブツ! お前は俺が倒す!」


 ガチャリ、と運命の歯車が変わる音がする。

 ダークネクロホールが両腕を前に伸ばす。確実に俺を仕留めにくるつもりだ。

 逃げ場はない。だが逃げる必要はない。

 俺は迫り来る二本の巨大な腕に向かって突進した。

 直後、巨大な靄(もや)に全身が激突し、意識が宙に浮くような感覚を覚える。


 そして、俺のユニークスキル、アンダードッグパラドクスが発動した。

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