第38話 魔王、自問する
――なにをやっておるのじゃ、わらわは。
庭園に用意されたテーブルで頬杖をつきながら、エリスは自問を始める。
普段使うものより大きいテーブルには、エリスの他、コウガ、オリヴィス、シェリル、ウィスカーが座っていた。エリスの隣には、リィが給仕の姿でちょこんと控えている。
コウガは最初『警護の騎士たるもの……』などとと言って着席を断っていたが、エリスの一声で渋々――といっても少し嬉しそうであったが――座っていた。
リィが作った特製プリーン、そしてそれぞれが持ち寄ったお菓子や果物、お茶が所狭しとテーブル上に広げられ、それはさながら小さなパーティのようであった。
――わらわは魔王じゃ。いずれ人間を滅ぼさねばならぬ。
転生前から変わらぬ誓い。必ず人間を滅ぼし、この大陸を浄化する。
だが……
――どうにも、調子が出ぬ。
この間、聖誕祭に行ってからというもの、エリスは漠然とそう感じるようになっていた。
いかに滅ぼすか。どこから滅ぼすか。
前世の自分は、四六時中、それだけを考えていた。
それ以外のことに興味は無かったし、それでいいと思っていた。
だが今は。
リィのお手製菓子が楽しみだ。
じいやのお茶が楽しみだ。
リィが笑うと可愛い。笑わなくても可愛い。
他の連中は実にやかましい。
コウガはなんやかんやとうざったく世話を焼いてくる。
シェリルはいつもあの調子で扱いに困るし、ウィスカーは控えめだが隙あらば魔法談義を仕掛けてくる。
オリヴィスが比較的常識人なのには驚いたが、時折イノシシゴリラでコウガとよくモノを壊す。
とにかく、やかましい。
……だが、前世で周りにそんな奴らは居なかった。
暖かい日差しの下で賑やかにテーブルを囲むなんてことは、あり得なかった。
そしてそれを不快に思わない自分も、かつては考えられないことだった。
――わらわともあろうものが、こやつらの阿呆が移ったのか?
手に持ったスプーンを弄る。
――ふん。浄化計画に変更はない。じゃが……。
――大戦争が起こるまで、まだ六年はあるのじゃ。そんなに焦って事を進めることもなかろう。
――まだ魔力も戻らんしな。束の間の平和を満喫するがよいぞ、人間ども。ふはははは。
ふっ、と小さく笑みを浮かべながら、エリスはプリーンを再び口に運んだ。
「はふー」
何という奇跡の味。
人間を滅ぼしてもリィはそばに置いておいてもよいな、などと考えるエリスであった。
「しかし、この量はさすがに食べきれんな。リィよ。屋敷の皆を連れて参れ。皆も食べるが良いのじゃ」
「……!はい!!」
リィは喜んで屋敷の方へと駆けて行った。
その可愛らしい後ろ姿を見つめていると、不意に、屋敷の玄関に備え付けられたフォントフォーゼ家の紋章が目に入った。
空飛ぶ鷹をモチーフにしたその紋章は、侯爵家でありながら特に主張のない、実に無難なデザインと言える。
――そういえば。
エリスの頭に、ふと疑問が浮かんだ。
――六年後に起きる大戦争……。このファントフォーゼ家が発端と聞いたが、なにがきっかけなんじゃ?
魔王エリスは大戦争の末期に降臨した。
地獄に落ちた人間たちの、爆発的な負の感情でもって。
だから、大戦争前のことは実はよく知らないのだ。
ファントフォーゼ家は、前の時間軸では『悪夢の始まりの侯爵家』と呼ばれ、大陸中から忌み嫌われていた。
全ての人間を地獄に落とす大戦争の引き金となったのだから当然とも言えるが、一方でその詳細についてはあまり知られていない。
何の前触れもなく突然エルハイム王国が滅んだことから、内乱があり、その首謀者がファントフォーゼ侯爵だったという説が有力だ。これはエリスも部下から聞いたことがある。
「しかし……」
思わず思考が言葉に出てしまい、エリスは慌てて口をおさえる。
――父さ……侯爵は、エリス・ファントフォーゼの記憶によれば、ただの真面目なつまらぬ男じゃ。内乱を起こすような野心家には思えぬ。
エリスの父アグニス・ファントフォーゼは、現在、王国軍の総司令官を務める。
その爵位の高さと、天才的な武芸の腕を評価されて軍事の最高責任者を任されているが、本人は特に武人気質でも好戦的な性格でもない。
むしろ優柔不断で、軍人としては一抹の不安を覚えるほどである。
その点からも、戦争の仕掛け人と考えるには少し無理があるとエリスは思った。
――だが、可能性がゼロとは言い切れぬ。何か性格が豹変する出来事があったのかも知れぬからな。主人が殺されただけで闇堕ちする奴もいるくらいじゃし。
その時コウガが、思いっきりくしゃみをした。唾がかかったとかでオリヴィスが怒鳴っている。
その様子をぼんやりと見つめながら、エリスはふと首を傾げた。
――ふむ……?そうじゃ、コウガは主人が殺されて闇堕ちした。これまで、特に疑念はなかったが……改めて考えると、少し妙じゃな?
半年ほど、闇堕ち前のコウガをそばに置いて、大体その考え方がわかってきた。……理解はできないが。
根本的には、一にエリス、二にエリス、三四もエリスで五もエリス。
一般に変態と言われる領域に足を踏み込んでいる。いや、踏み込んでいるどころかその領域の王といって差し支えない。
だからもしエリスが死んだりしたら、その絶望は確かに途方もないものであろう。
だが。
果たして、その絶望の末に、人間を殲滅するという選択をするだろうか。
主人のいない世界ごと、全てを滅ぼそうとするだろうか。
多分、コウガはそんな奴ではない。
自分が奪われても、他人から奪おうとする奴ではない。
後を追って命を絶った、というほうが余程しっくりくるのだ。
――父さ……侯爵の話と合わせて考えると、さらに妙じゃ。
もし本当にあの優柔不断な侯爵が内乱を起こしていたとすれば……驚くほど性格が変貌した人物が二人、この地に居たことになる。
それも、後の大戦争、そして魔王復活と重要な関わりを持つ人物が二人、だ。
――少し、偶然が過ぎる気がするのう……。
不意に頭に浮かんだこの引っかかり。それが何の意味を持つのか、エリスには分からなかった。何の意味もないのかもしれない。
だがわずかに、表情が曇った。そして、それを見逃さない者がいた。
「どうなさいました!お嬢様!」
「うぉあ!びっくりした!なんじゃ突然!」
コウガの大声に、エリスは驚いて椅子から転げ落ちそうになる。
「いえ、お嬢様が浮かない顔をされていましたので、何かお口に合わないものがあったのかと。たとえばこのへんのものとか」
コウガがくるりと指で円を描いたのを見て、向かいに座るオリヴィスがベキリと手元のフォークをへし折った。
「それ、ぜんぶあたしが持ってきたやつじゃねぇか。喧嘩売ってんのかコウガこら」
「喧嘩など売っておらぬ。ただ、それ以外にお嬢様が気分を害される理由が見当たらなくてな」
「四六時中むっさい顔見てて食当たりしたんじゃねえか」
「なるほど、一理ある……が、流石に女性を形容する言葉としてむっさいはなかろう。自分を卑下しすぎだぞ」
「あんたのこと言ってんだよ!あたしじゃねーよ!」
「何をバカな。俺はむっさいなどと言われたことはないぞ。せいぜい、お嬢様にうっさいとかウザいとか、優しく諭される程度だ」
「いや、割とド直球じゃねえかそれ」
実に不毛な言い合いが続いたが、そこへシェリルが果物を頬張りながらさらに不毛な横槍を入れる。
「ほんと、仲良しねぇ。お二人さん」
「「あ゛あ゛!?」」
殺気に似た圧が二人から同時発生し、シェリルに向かって吹き荒れたが、隣のウィスカーが椅子から転げ落ちただけで当の本人は涼しい顔をしていた。
「あら?違うの?」
「いやいやいやいやシェリルさんよ。商会長の椅子がフカフカ過ぎて脳みそ溶けてきてるんじゃねぇのか?どー見たらあたしらが仲良いんだよ!前世では殺し合いしてたんじゃねえかってレベルだぜ!?」
うむ正解、とエリスは小さく頷いた。
前の時間軸では、勇者一行最強と四天王筆頭として、二人は幾度も激戦を繰り広げた。二人のせいで地形が変わってしまった土地は一つや二つではない。
しかし一方で、二人が激突するときは部下や仲間を遠ざけ、必ず一騎討ちで正々堂々やり合っていた。
そのあたり、気が合うといえばそうなのかもしれない。
とはいえこのまま放置したら庭園の地形が変わりそうなので、そろそろ鉄拳制裁するかとエリスが黒腕をにょろにょろと召喚したとき。
「あ、そういえば、忘れるところでした」
テーブルの下からよたよたと立ち上がったウィスカーが、話に割って入った。
「ここに来る間に、稼働中の魔道具を見かけました」
「魔道具?」
「ええ。ヴァッテリーは無かったようなので、それほど長い期間は動いていないでしょうが。ただ、なにやら人目から隠すように配置されていたのが気になって」
「起動していた魔法式はなんじゃ?」
「申し訳ありません、なにぶん疾走する車の中から見たもので、魔法式までは。ただ、かなりの出力でしたね」
「ふむ。人目から隠すように、というのが気になるな。コウガ、後で見に行ってくるのじゃ」
「はい、かしこまりました」
そう言って、コウガは、ふと何かに気づいたように周囲をぐるりと見回し始めた。
「……ところで、人目と言えば。今日は随分と静かですな。いつもなら、お嬢様へ祈りを捧げる聖女神教の信者たちが列をなしているところですが」
その言葉に、エリスの表情が険しくなる。
確かに、いつもなら正門の前でうるさいくらいに大量の祈りが捧げられている頃合いである。
エリスも最近はすっかり慣れて、視線を感じようとも無視してお茶を嗜めるくらいにはなっていたが。
だが今日は、不気味なくらいに静かである。
「……まさか?」
エリスが魔眼を発動する。
傍目からはそれと分からないが、両方の瞳に濃密な魔力が集中した。
「これは……人払いの結界!?」
侯爵宅の周囲をぐるりと取り巻くように、うっすらと、魔力の壁が形成されていた。
人間がこの壁に近づくと、特に意識にのぼることなく自然とそこから離れるよう誘導されてしまう、結界魔法である。
「迂闊じゃったな。かなり遠巻きに設置されておるせいで、全く気付かなんだわ」
ウィスカーも結界の存在を認識したようだった。立ち上がり、周囲を警戒する。
「お嬢様、するとさっき私が見た魔道具は……」
「間違いなく、結界の構成要素の一つじゃろうな。しかし、お主はさておき、なぜシェリルは結界の効果を受けなかったのじゃ?」
「あの魔動車には、強力な魔法防壁が備えられております。薄い結界程度ならば気にせず貫けたのでしょう」
「魔法防壁か。毎度激突しても無傷な理由が分かったのじゃ、まったく……む?」
正門の前に、一台の馬車が止まった。
「……結界を抜けてきた」
ウィスカーが呟く。
その場の雰囲気が、ざわりと変わった。
コウガ、オリヴィスが席を立ち、突然の来訪者を警戒する。
御者が、馬車の運転台から降りたようだ。
遠目でよく分からないが、エリスにはその御者の顔色が極端に悪いように見えた。
乗員室のドアが開かれる。
そこから降りてきたのは……
「ゴルドー……」
エリスが呟く。
それは、エリスの叔父であり、隣接する領地の主、ゴルドー・ブラフベルト伯爵であった。
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