第37話 魔王、舌舐めずりする

 ブラフベルト伯爵領は、ファントフォーゼ侯爵領に隣接する内陸部に存在する。


 取り立てて目立った名産もなく、交通の要所という訳でもない。かといって、治安や気候が悪い訳でもない。

 良くも悪くも、普通の土地である。


 そこの現領主であるゴルドーは、元々ファントフォーゼ家の次男であった。

 子宝に恵まれなかった前ブラフベルト伯の養子となり、後を継いだ経緯がある。


 僅かに早く生まれたというだけで易々と侯爵の地位を手にした兄に対して、ゴルドーは憎しみにも似た嫉妬心を抱いていた。

 伯爵に収まった後もその感情はますます強いものとなり、それはやがて歪んだ野心となる。

 兄を越えてのし上がらんと、ゴルドーは中央貴族たちの派閥争いに関わり、地位向上に躍起になっていった。


 その分、自国領への関心は薄く、またその横柄な態度も相まって、領民からは常々白い目で見られていたのだったが、本人は特に気にしていなかった。

 気づいていなかったのかもしれない。


 一方で屋敷の使用人たちにとっては、これまで主人が王都の別邸に入り浸り滅多に領地に戻ってこなかったため、仕事は楽なものだった。


 だが何故かここ一年ほど、ゴルドーは王都に行かず領内の屋敷にこもるようになる。

 そして半年前から、毎日苛立った様子で外出したり、執務室で一人唸っていることが多くなった。

 使用人たちは何かにつけてゴルドーに怒りをぶつけられてしまうようになり、すっかり辟易していたのだった。


 その日は特に主人の苛立ちが激しく、ようやく一日が終わったことに、使用人たちは皆、胸を撫で下ろしていた。


 外はすっかり、夜の帳が下りていた。

 葉を弾く雨の音だけが、よく響いている。


「おい、執務室に明かりが付いてるぞ。消し忘れたんじゃないのか」


 見回り役だった使用人の男が、休憩部屋で別の使用人に声をかけた。


「ああ、今日は客が来るから付けたままにしておけって、ご主人様が」


「客が?こんな真夜中に?」


「大事な客らしいぜ」


「誰か迎えに行ってるのか?そんな大事な客に粗相があったらまた大変なことになるぞ」


「いや、そんな指示は無かった。ご自分で迎えられるんじゃないか」


「外、大雨だぞ?」


「知らんよ、そんなこと」


 やる気のない返事に、見回りの男は肩をすくめると、再び巡回ルートへと戻っていった。



 執務室は、ランプの火が煌々としていた。

 分不相応なほどに絢爛豪華な内装が、揺れる火に照らされぼんやりと浮かび上がっている。

 趣味の悪い金の壺や飾り鎧に囲まれて、普段ならゴルドーがふんぞりかえっているところだ。


 ただ、今夜はいつもと明らかに違うことが二つあった。


 一つは、中央の執務机に腰掛けている人物が、銀髪で容姿端麗、しかし身震いするほど不穏な気配を纏った青年であったこと。


 もう一つは、当の領主が、その前で床に頭を擦り付けて平伏していたこと、だった。


「……キミにはホントがっかりしたよ、ゴルドー」


「ひっ……」


 青年の冷たい声音に、ゴルドーは息を短く吸いこんだ。

 先ほどから絶えず冷や汗が額を流れ落ちている。


「こんな簡単な仕事に、どんだけ時間かかってるのさぁ」


「そ、その……警護に、非常に手強い者がおりまして……最近では、かの『聖拳』も加わり、手出しがますます難しく……」


 刹那、部屋の明かりが激しく揺らめいた。


 鋭い痛みを感じて、ゴルドーは慌てて顔を上げる。

 最初に目に入ったのは、噴き上がる鮮血。

 次に見たのは、複数箇所を骨が見えるほどまでに刻まれた、自分の両腕だった。


「ぎっ!ぎゃああああああ!!わ、私の腕がああああ!!」


「別に言い訳が聞きたいんじゃないんだよね。たかが小娘一人殺るのに半年もかかっちゃって、少し反省したほうがいいかなって思うわけさ」


「ひっ、ひいい……お、お許しを……」


「まぁでも、心配しないでよ。そんな無能なキミのために、僕も少し手伝ってあげることにしたからさ」


「ほ、本当ですか!カイエ様が御自ら動かれるのであれば、あんな小娘など容易く……!」


「うん。僕が動くよ。でもさ、キミも少しは汚名返上の機会が欲しいでしょ?」


「え?あ、え、ええ、そ、それはもちろん……」


「裏でコソコソしてるなんて、もうつまらないだろ?舞台で楽しく踊ろうよ」


 そう言って、青年は、ゴルドーの頭にふわりと手を乗せた。

 その掌を中心にして、何か重たい物を引きずるような音と共に、黒い渦が出現する。


 それは徐々に広がって……


「え?これは……!……コ、レ、ハ……」


 変化は、すぐに現れた。






 ◆◆◆






 昨夜の大雨が嘘のように、暖かな日差しが差し込む昼下がり。


 すっかり乾いた庭園に整えられたテーブルには、エリスが一人、うきうきした様子で座っていた。


 そこへ、金髪の少女が銀のクローシュの乗った皿を一つ運んできた。


「おまたせしました、エリスさま。リィ特製、卵プリーンです」


「おおおっ!待ちわびたぞ!」


 エリスは辛抱たまらず自らクローシュを外した。

 出てきた黄金色のぷるぷるしたお菓子に、思わず舌なめずりしてしまう。

 その様子を、リィがそばでニコニコしながら眺めている。


「どれ、さっそく一口……!」


 スプーンですくって口に入れるとすぐ、エリスの顔がぴかぴかに輝き、そしてだるんだるんに弛緩した。


「ふわぁー。なんという幸せな味じゃー」


 とろけそうな表情で、エリスは静かに息を吐いた。


「リィ、これはまだ沢山あるか?」


「もちろんです!いっぱい作りましたから」


「わっはっはっ!リィは良い子じゃ!」


「えへへ」


 頬を赤らめて、リィが心から嬉しそうに微笑む。

 それを見て、またエリスは表情筋がふるふるに緩むのであった。


 そこへ……。


「お嬢様!巡回先で、こんな美味しそうな果物を頂きました!」


「お嬢様!リィ!お土産持ってきたぜ!」


 ほぼ同じタイミングで、正門と裏門からコウガとオリヴィスが走り込んできた。


「うん?」

「あ?」


 二人はお互いに気がつくと、それぞれが手に持った物を見比べながら、


「……悪いことは言わん。帰るのだ。そんなものはお嬢様の口には合わん」


「ああ?そっちこそ、それは貰ったもんなんだろ?お嬢様への献上品だろうが。なにテメェの手柄みてぇに喋ってんだコラ」


 ……即座に睨み合いを始めた。


「面白ぇ、今日こそ決着つけるかこの野郎」

「上等だ、どちらがお嬢様の護衛に相応しいか、ハッキリさせてやろう」


「「いくぞ……!?」」


「やかましい」


 完全無詠唱で影から召喚された黒い腕が、二人の頭を思いっきりぶん殴った。


「「ぐわっ!」」


 仲良く庭園の地面に叩きつけられるコウガとオリヴィス。


「わらわの神聖なおやつタイムで騒ぎ立てるとは、貴様らよほど命が要らんとみえるな」


「いや、こいつが……」

「この野郎が……」


「じゃかましい」


 ダメ押しに再度黒い腕にどつかれ、二人は芝生に深々と埋まった。


「「きゅう」」


「これ以上騒ぐなら二人まとめて山奥に転移させるぞ。分かったら貴様らはとっととその手に持った物をシェフに切り分けてもらってくるのじゃ」


「「は、はい」」


 肘や足でお互いに小突き合いながら、二人は厨房へと駆けて行った。



「よし、では続きを……」


 エリスが再びスプーンを持ち上げたところで、


「むっ!?」


 正門の方角より、なにやら腹に響く重低音が聞こえてくる。

 次第に大きな砂煙を伴って、それは急速に近づいてきた。


 リィは歳の割に大変聡い子である。リィにとってはまだ二度目にも関わらず、すぐにこの騒音の正体を悟った。


「この音……エリスさま、正門がピンチです!」


「きたか!ふふ、リィよ。まぁ見ておれ」


 爆音の発生源……シェリルの運転する魔動車が、馬車用に整備された道を跳ねるように突き進んでくる。

 そのスピードは前回をさらに上回り、まさに夜空を駆ける流星のようであった。

 もちろんそんなロマンチックなものではなく、その証拠に今にも振り落とされそうなシェリルの夫が顔を引き攣らせて絶叫している。


「シェリル!シェリル!!速度落としてーーー!!」


「なぁにーーー!?聴こえないわよーーー!……あれ?どうやって止まるんだっけ?」


「ひぃーーー!」


 魔動車は、なんら減速する様子を見せずそのまま正門に突っ込んだ。


 哀れ正門は再び原型を留めず粉々に……なることはなかった。

 不思議なことに正門は、魔動車を受け止めながら、まるで溶けた金属のようにグニャーーーと内側に伸び……そして一瞬静止した後、反動で一気に元に戻った。


「きゃあーーーーー!!」


 突っ込んだ勢いをそのまま返された魔動車は、轟音を上げながら錐揉み状に吹き飛んでいった。

 そのまま三度ほど地面を跳ねたのち、ガリガリと車体を削って……そして沈黙した。


「ふわーっはっはっはっ!ど阿呆め!そう何度もわらわの家の正門を破壊できると思うな!」


 エリスは高笑いを上げながら、どかどかと大股で事故現場へと向かっていった。


「衝撃に反応して弾性変形出来るように、あらかじめ魔法式を描いておったのじゃ!」


 その声に応じるように、魔動車からズルズルと出てきた女性(無傷)が悔しそうに拳を握る。


「くっ、まさかこんな卑劣なトラップが仕掛けてあったなんて……」


「卑劣言うな!当然の防衛じゃ!!これに懲りたらいい加減普通の馬車で来い!!」


「甘いわ、お嬢様。こんなことでは、科学の進歩は止められないのよ。今日は出力が倍のツインターボだったけど、次はトリプルを開発して……」


「車を安全に止める装置を先に作れ!!」


 エリスは再び黒い腕を召喚してシェリルをどつき倒した。


「……で?今日は何の用じゃ」


「あ、そうそう。あなたー」


 ケロッとした表情で逆さまになった魔動車を振り返るシェリル。

 車の後部座席からずりずりと這い出てきたウィスカーが、なにやら木箱を抱えている。


「お、お嬢様、ご機嫌麗しゅう。先日、ウチの商会を訪れた者が、異国の美味しい茶を土産に置いていきましたので、お嬢様にも是非とお持ちしました」


「ほう?異国の茶とな?それは興味深いのじゃ。ちょうどおやつタイムじゃ。早速いただくとしようかの!」


 エリスはウィスカーから木箱を受け取ると、ウキウキと庭へと戻っていった。







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