第39話 魔王、襲撃される

「なぜブラフベルト伯がここに?」


 コウガの声音は固く、その表情には警戒の色がありありと浮かんでいる。

 かねてより危険視していた人物が、突如姿を現したのである。当然の反応であった。


「くく。なるほどなるほど」


 対照的に、エリスは不敵な笑みを浮かべていた。


「この結界を張ったのは奴か。どうやら、決着をつけにきたようじゃな。まさか自ら来るとは想定外じゃったが、面白くなってきたではないか」


「は……?お隣のご領主様が何の決着をつけに来るんだ?」


 オリヴィスが戸惑い顔でエリスに尋ねる。そしてエリスの次の言葉で、困惑の度合いはさらに深まった。


「奴は前々から、わらわの命が欲しいらしくてのう」


「はぁ!?」


「お嬢様のおっしゃる通りだ。これまでに何度も、伯爵によりお嬢様は命の危険に晒されている」


 厳しい面持ちのコウガに、オリヴィスが食ってかかる。


「聞いてねぇぞ!?お嬢様を狙いそうな奴の情報は共有しろと言ったじゃねぇかコウガ!」


「それは……」


「わらわが無視せいと言ったのじゃ。もう少し、露骨に尻尾を出すまで泳がせろ、とな」


「あら、そうすると尻尾どころか全身がまるごと出てきちゃったみたいね」


 シェリルがカラカラと笑った。

 その様子を見てコウガが呆れたように肩をすくめる。


「シェリル殿は本当に豪胆ですな。ブラフベルト伯が何を仕掛けてくるか分からないというのに」


「あ、巻き添えの心配ならしなくていいわよ?あなたはしっかりお嬢様を守ってあげて。私は、頼れる旦那様がいるからね」


 シェリルがウィスカーの肩に腕を乗せた、その瞬間。



 正門の方で、大きな爆発音が鳴った。



 全員の視線が集中する。


 見れば、エリスの魔法により強化されていたはずの門は、まるで風に吹かれた砂の城のようにザラザラと崩れ落ちていた。


「ほう。なかなかのものじゃ」


 粉々になった門を踏み越えて、ゴルドーがのっそりと敷地内に入ってきた。

 後ろで、腰を抜かした御者がへたりこんでいるのが見える。


 ゴルドーは普段通りの装いであった。

 無駄にきらびやかな指輪やブローチが、昼下がりの陽の光を反射してギラギラと品無く輝いている。

 一方で……その眼は底抜けに、暗く澱んでいた。


「ア……ウ……ウ……」


 言葉にならない声を上げながら、おぼつかない足取りで、ゴルドーは庭園へと入ってきた。


「様子が変じゃな」


「変どころじゃないぜお嬢様。ありゃあ、何かヤベェもんがキマってる眼だ」


「ブラフベルト伯。それ以上、こちらに近づかないで頂きたい」


 コウガがゴルドーを声で制する。

 下げてはいるものの、手元にはすでに抜き身の剣が収まっていた。

 並んで前に出たオリヴィスも、いつの間にやら鉄甲を装着して臨戦態勢だ。


 前の時間軸では四天王筆頭と勇者一行最強の、二人である。

 現世でも、領内ではすでに敵無しの実力だ。

 その二人が本気で放つ殺気は、少しでも野生の勘が残っているものなら即座に戦意を失うだろう。


 だが、ゴルドーは止まらなかった。


 むしろ、初めはおぼつかなかった足取りは不気味に力強くなり、明らかに速度を増して迫ってくる。


 そして……


「なんだこれは!?目の錯覚か!?」


「いや、ちげぇ!この野郎……どんどんデカくなってやがる!!」


 不可解なことにゴルドーは、走るごとに身体を膨張させ、まるで水を詰めた巨大な皮袋のように変化していく。


 豪華な服や装飾は無惨に引き裂かれ、奇妙に黒ずみ、膨れた皮膚が露出する。

 その姿は、もはや人間とは思えぬものであった。


「止まれ!止まらなければ斬る!!」


「もう遅ぇぞコウガ!こいつ言葉が届いてねぇ!足狙って止めるぞ!」


 二人は、同時に踏み込んだ。


 その一閃が真空波を生むまでになったコウガの剣が、ゴルドーの足を斜めに切り裂く。


 そしてオリヴィスの魔力がこもった拳が、もう片方の足を痛烈に打ち据えた。



 次の瞬間。



 バァン!と雷が落ちたような音と共に……ゴルドーの全身が弾け飛んだ。


「「え?」」


 それはもう、見事に弾け飛んだ。


 床に叩きつけられた、ガラス細工のように。


 皮膚の破片がバラバラと庭園に落ちて、景観を穢す。


「……えーと」


 オリヴィスが顔を引き攣らせながら、ポリポリとほおをかいた。


「……流石だなオリヴィス!見事な致命の一撃だったぞ!」


「あ!コウガてめぇ!なにをシレッとあたしが殺ったみたいな感じにしてんだ!」


「やかましいわド阿呆ども。安心せい。別にまだ殺してはおらぬ」


 先ほどまでゴルドーがいた場所に、二人が視線を戻すと……。


 そこには、人間の大人と同じくらいの大きさの、真っ黒な球体が浮かんでいた。



「殺り合うのは、これからじゃ」





 コウガたちの表情が一気に強張る。二人は球体を挟み込むように位置取って、構えた。


「ほうほう。これは、『ゲート』ですね」


「ゲート?」


 どこか感心したように頷いているウィスカーに、コウガが聞き返した。


「こちらと異世界をつなぐ、門のことですよ。よく知られた異世界としては、妖精の住む妖精界や、精霊の住む聖霊界などがありますが……どれも、通常は自然に生じた特殊な門を通してしか行き来は出来ません」


「それを無理くりつなげる魔法が、ゲートじゃ」


「お嬢様のおっしゃる通り。ですが、普通は何人もの高位の術者が三日三晩詠唱して、一瞬開くかどうか、です。ゲートとは非常に難しい魔法なのですよ」


 そこまで聞いたオリヴィスが、はっとした顔をする。


「この感じ……記憶に新しいぜ。こいつぁ、邪宝具、だな?」


「そうじゃろうな。ゴルドーの身体から無理やり魔力を引き出し、ゲートを開かせて……いや、ゲートそのものに変身させているのじゃ。奴の命がゴリゴリ削れる音が聞こえるわ」


 エリスの言葉に、オリヴィスがぞっとした顔をする。


「どうやらゴルドーは、利用されていただけだったようじゃのう。哀れな奴じゃ」


「黒幕は別にいると……。何者なのでしょう?」


「さぁな。しかし、ゲートを開くような真似をするあたり、相当イカれたヤツであることは間違いなかろうな」


 エリスとコウガが話している横に、シェリルが並んだ。興味深そうな眼で、まじまじとゲートを眺めている。


「……で、これはどこの異世界とつながってるのかしら?」


「とりあえず、シェリルは後ろに下がっていて。このゲートの先は、おそらく……」


 ウィスカーの言葉に被せるように、エリスが続けた。


「魔界じゃ」



 魔界。


 人語を解し、人に仇なすA級以上のモンスターたち……いわゆる『悪魔』と呼ばれる者たちが住むとされる、異世界。


 魔界は、人間の住む世界とは大きく理が異なるため、生身の人間では入っただけでチリになると言われている。


 それゆえ、悪魔そのものの生態とは違い、魔界の詳細はほとんど知られていない。

 気まぐれな悪魔が吹聴する嘘か誠か分からない情報が、僅かに文献に書かれている程度だ。


「こっちからは行けないのに、向こうからは来られるわけ?」


「というか、行き来できるのは悪魔だけ、ということかな。それだけ悪魔というのは強大なんだよ」


 不公平には厳しい商人の娘に、ウィスカーが説明する。


「とはいえ、ゲート開くのは悪魔といえど簡単なことではないし、こっちには太陽や、光の精霊っていう悪魔の嫌いなものも多い。そんなにワサワサこちらに来ることはないから安心していいよ」


「そう。じゃあ今はお昼だし、大丈夫ね」


「でもよ、ウィスカーさん。悠長に話してるとこ悪いんだけどさ。この黒いヤツの中から、ビンビン視線を感じるんだけど。それも、複数」


 オリヴィスがそう言うと、ウィスカーは少し考えてから、納得顔で頷いた。


「そうですねぇ。彼らは人間の肉が大好物ですからね。短時間なら、例え日が出ててもワサワサ出てくるかもしれませんね」


「ちょ……!?」



 その時。


 黒い球体から、『悪意』が溢れ出た。







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