第27話 魔王、爆発する
「オズガルが死んだ、だと?本当かバゼル?」
長身だが病的なほどに痩せこけたその男は、同志の訃報に耳を疑った。
ファントフォーゼ領内で二番目に大きい酒場『酔竜』の三階には、窓が無い部屋がある。
そこは、悪魔崇拝者たちの組織『黒の双角』が、密談に使う隠れ部屋の一つだった。
バゼルと呼ばれた中肉中背の男は、部屋の唯一の灯りである蝋燭の火の下に、小さな紙を広げていた。
「魔法陣の中で、抜け殻のようになっていたそうだ。禁術が破られたとみて間違いない」
「オズガルの邪宝具は上位悪魔が作り上げた代物だ!そう簡単に破れるものではないぞ」
「落ち着けスオウ。実は気になる噂を聞いた」
「噂?」
「例の侯爵令嬢……領内の連中が、聖女だ何だと持て囃している小娘のことは知っているな?」
スオウがゆっくり頷く。
「ああ。まったく、馬鹿げた話だ」
「……実はその女が、最近聖拳と接触したらしい」
「我らの怨敵、聖拳と?だが、それがなんだと……まてよ、確かオズガルは聖拳の抹殺任務についていたな?」
「そうだ。……聖拳がその女に会った日と、オズガルが死んだ日が、どうやら同じようなのだ」
それを聞いて、スオウと呼ばれた痩せた男ははっとした顔をする。
「邪宝具の禁術を破れるのは、強力な破邪魔法のみ……まさかその女が、本当に本物の……!?」
「その可能性は、否定できない」
バゼルが冗談を嫌う男であることを知っているスオウは、その言葉で事の重大性を理解した。
「……どうするんだ?」
「簡単な事だ。我々の脅威になる前に、消す」
「しかし、あのオズガルがやられたのだとすると……そう簡単に行くのか?」
「破邪魔法は生身の人間には効かない。……直接、殺るさ」
男の醸し出すただならぬ雰囲気に、スオウはゴクリと喉を鳴らす。
バゼルは、かつて神殿騎士団を返り討ちにしたこともある凄腕の戦士である。
頭の回転も早く、組織では一目置かれる存在だった。
「……しかし、侯爵令嬢となると、警護が厳しいんじゃないのか?」
「無論、屋敷に乗り込むつもりはない。……誘き寄せて、狩るのさ。まぁ任せておけ。手は考えてある」
「ほう?……聞いてもいいか?」
「詳しくは話せぬが……そうだな、作戦の
そう言ってバゼルは、蝋燭の火に顔を近づける。スオウもそれに合わせて、体を寄せた。
「名付けて……『クーポン大作戦』だ」
「……クーポンとな!?」
「じゃあな。期待していてくれ」
颯爽と身を翻し、自信満々に部屋を出て行く同志の背中を目で追いながら……スオウは何とも言いようのない不安を覚えるのだった。
◆◆◆
「でさぁ、その連中の情けない顔ったら!お嬢様に見せてやりたかったぜ!」
陽光暖かな昼下がり。
屋敷の庭園に準備されたティータイム用のテーブルには、エリスと、向かい合わせに黒髪短髪の女性が座っていた。
「……オリヴィス。お主最近、えらい頻度で顔を出してくるのぅ」
エリスは紅茶を啜りつつ、目の前で上機嫌に世間話――最近ブチのめしたという盗賊団の話だが――を展開するオリヴィスを呆れたように眺めている。
「そうだ!毎日毎日現れおって、お嬢様が迷惑しているではないか!」
エリスの横に控えるコウガが吠える。
「……いや、シフトいじって毎日警護に来るお主も大概なのじゃが」
「……コホン。……それはそうと、何食わぬ顔でお嬢様と対等に席に座るな図々しい!!」
「なんだよ?あんたも座ればいいじゃねえか。テーブル広いんだし」
「俺はお嬢様の騎士だ。騎士というものは、主のお側で常に危険に備えるものなのだ。座っていては咄嗟に動けんだろう」
「固いやつだなぁ。……ほら、あたしもお嬢様護ることになったんだからさ。少しは肩の力抜いたらどうだよ」
「……俺はそれを認めていない」
露骨に不機嫌な様子で、コウガはそう吐き捨てた。
例の騒動の後、オリヴィスは教会にエリスのことを報告していた。
『エリス・ファントフォーゼは間違いなく、聖女である』と。
これに対し、教会からの返事は二つあった。
一つ目は、
『聖女公認は時期尚早である』
……まだエリスを聖女と認定するには早い、ということだが、具体的にどうすれば認定するのか、といった内容はなく、ほぼ黙殺の意味合いである。
教会の権威を維持したい者たちにとって、自分たちの息がかかっていないところで聖女が誕生するのは都合が悪い。
これはオリヴィスには想定内の回答であった。
二つ目は、
『時が来るまで対象の警護を命ずる。ファントフォーゼ侯爵には追って了解を取り付ける』
……本物の聖女が現れた場合、教会は全力でその者を護ることが教義にある。エリスの件は黙殺するが、もし万一本当であり、かつそれが世間に露見した場合の保険として、警護だけはつけておく、ということであった。
エリスの父である侯爵にどのように話をつけるつもりかはオリヴィスには分からなかったが、この国における教会の勢力を考えると、無下に断られることはまず無いと思われた。
この命を受け、オリヴィスは正式にファントフォーゼ領内初の神殿騎士団の分隊長となり、またオリヴィスを慕う執行者たちは皆その部下として配置換えになった。
そうして警護の名目を得たオリヴィスは、すっかりエリスの屋敷に入り浸るようになっていたのである。
「……お嬢様の警護は俺一人で十分だ!神殿騎士団の手など借りん!」
「あたしにワンパンで倒されてたくせによくゆーぜ。あんな体たらくでお嬢様護り切れるのかよ?素直に手伝って下さいって言っときなって」
ビキッと空気と血管が張り詰めるような音がする。
「……面白い。ならば今度こそ決着をつけようではないか。次は俺も反撃させてもらう」
「おや?きしどー精神とやらはどこ行ったんだ?レディには手をださねぇんじゃなかったか?」
「俺の淑女の定義に、ゴリラは入らん」
……ピシィィィ!と、空気と血管が張り裂けたような音が響いた。
「……へーえ。上等じゃねえか。テメェ今、完全に恐ろしいモンの尾を踏んだぜコラ」
「ほう?ゴリラに尾があるとは初耳だな」
「……くっくっくっ……」
まるで幽鬼のように、ゆらりとオリヴィスが席を立つ。
「……くたばれこの雑魚野郎!!」
「くたばるのは貴様だこのゴリラ娘!」
昼下がりののどかな陽光の下、S級モンスター同士のガチバトルが勃発した。
鳴り響く爆音、轟音、庭の手入れをしていた使用人の悲鳴。
互いに繰り出す必殺の一撃は、まさに庭園を焦土と化す勢いである。
その様子を目撃して卒倒するじいやを視界の端に捉えながら、エリスはゆっくりと紅茶を啜っていた。
「と、止めなくていいんでしょうか?」
ちょうど出来立ての焼き菓子を持って現れたリィが、慌てた顔で主人の顔色を窺う。
「放っておけ。バカとアホは死なねば治らん」
「そうですね」
割とキッパリ同意するリィ。
エリスの黒い影響をしっかりと受け始めている未来の聖女であった。
「……ぬ?」
不意にエリスが何かを感じ取り、屋敷の正門へと振り向いた。
「コウガ!」
「ははっ!お嬢様!」
今まさに死闘の真っ最中であるが、それでも敬愛する主人の言葉は一言一句聞き漏らさないコウガである。
「直ちに正門を開けるのじゃ!!」
「御意!」
「……!あっ、テメェ、いきなりどこへ……!」
死闘の相手をほっぽり出し、コウガは全速力で屋敷の正門へと向かった。
そしてコウガが正門の鍵に手をかけたところで……
ドッガーーーン
「ぐわーーーーー!!!!」
突如、外から突入してきた巨大な金属の塊に、コウガは正門もろとも天高く吹き飛ばされる。
「……うーむ、間に合わなかったのじゃ」
「エリスさま、コウガさんが裏庭の方まで……」
「放っておけ」
にべもなくそう言い放つと、エリスは、横転してカラカラと車輪を空回りさせている金属の塊……魔動車へと歩み寄った。
「生きているか?死んだか?後者だとありがたいのじゃが」
「やっほー、エリスお嬢様!久しぶり!」
元気よく魔動車から飛び出してきた女性を見て、エリスは、ちっ、と露骨に舌打ちをする。
「お主はなぜ毎度ウチの門を破壊するのじゃ。門に親でも殺されたか?」
「やだなぁお嬢様!私の両親は王都でピンピンしてます!ほぼ勘当状態だったのに、最近久しぶりに手紙が届いて……」
「……わかった、もうよい。修理代置いてとっとと死ね」
「あっはっはっ!今日もツンツンしちゃってぇー可愛いんだからもう!」
「オリヴィス。侵入者じゃ。排除せよ」
「ちょ、ちょっと待ってよぉ!……あれ?オリヴィスって……あの、オリヴィスちゃん?」
「あっ!シェリルさんじゃねぇか!」
「……知り合いか?」
「村が襲われて、あたしが瀕死で倒れてたところを、シェリルさんに助けてもらったんだよ。それから、王都の教会で働き口を見つけてくれたり。大恩人さ。なんだよ、シェリルさん、こんなとこにいたんだ?突然姿消すから心配したぜマジで」
「ああ、ごめんごめん!駆け落ちだったからみんなに知らせる暇なくって」
「うぉ、噂はマジだったのか。……しっかし、なんかすげぇな。この街、あたしが頭上がらない女が多すぎだわ」
「……ええい!もう良い!シェリル、用件はなんなのじゃ!」
「そうそう、忘れるところだった!あなたー!」
シェリルがくるりと向いた先、横転した魔動車の中から、ずるりずるりとなにかが這い出てきた。
シェリルの夫で、前の時間軸ではエリス四天王の一角であった、ウィスカー・ウィンベルである。
「シ、シェリル……今度からは普通に馬車で来ないか……?」
「何言ってるの。私たちが魔動車で走ること自体が、立派な商会の宣伝になるのよ」
「これじゃ逆効果だと思うんだけどな……」
フラフラと立ち上がったウィスカーは、懐に木箱を抱えていた。
「ご無沙汰しています、エリスお嬢様。今日は、新しい研究の成果をお持ちしました」
「……ほう?ヴァッテリーの新型か?」
「ええ。これをご覧ください」
ウィスカーの開けた木箱の中には、親指大のヴァッテリーがジャラジャラと入っていた。
「ヴァッテリーの小型化です。スタンダードタイプとほぼ同じだけの容量を持ちながら、サイズを十倍も小さくすることに成功しました。これならば、軽く持ち運びが容易であり、また場所も取りません。一方で、まだその耐久性には改良の余地がありまして、少しの衝撃でも……」
と、その時、小型ヴァッテリーのいくつかが怪しい光を放ち始める。それはすぐに熱を持ち、周りのヴァッテリーへと伝播していった。
「あ!し、しまった、さっきの衝突の衝撃で……!うわわわわわわ!!!!」
ドッガーーーン
「ぐわーーーーー!!!!」
「あなたーーーーー!?」
……連鎖的に反応したヴァッテリー群が、盛大に爆ぜる。ウィスカーは、粉々になった木箱と共に、天高く打ち上げられた。
「エリスさま、ウィスカーさんが裏庭の方まで……」
「……ふ、ふふ、ふふふふふ」
リィの言葉に、エリスは俯き、不思議な笑みを返した。
「……エリスさま?」
その様子にただならぬものを感じたリィは、心配そうに主人の顔を覗き込む。
――ふ、ふ、ふ、ふ。
「やってられるかーーーーー!!!!」
エリスが、爆発した。
――なんじゃこの状況は!!魔王軍再建どころか、何故かどんどんバカだけ集まってくる!!四天王どもがすっかり能無しじゃ!しかも勇者一味までもがバカ御一行様に合流じゃと!?こんなんで世界浄化なぞ出来るかぁ!
エリスは怒涛の勢いでリィ特製の焼き菓子を口に突っ込む。最高級の焼き菓子は、しかし今この時だけはエリスの怒りを鎮めることはできなかった。
――頼みの風呂場の大型ヴァッテリーは全然魔力が足りなくてすぐに儀式ができなくなるし!いつになったらわらわは魔王の力を取り戻せるのじゃ!!ああああ、胃が、胃が痛いぃぃぃぃ……
「大丈夫ですか?エリスさま。どこかお具合でも……?食べすぎですか?」
「ううう、リィ!お主だけがわらわの癒しじゃぁー」
ガバッとリィに抱きつくエリスであったが、すぐに飛び退くように離れて芝生に倒れ込む。
――でも聖女なんじゃなぁーーー!!
ひとしきりゴロゴロと芝生を転がった後、
ずーんと重たい空気を纏いながらエリスはとうとう動かなくなってしまった。
明らかに情緒不安定な主人の様子を見て、リィはオロオロするばかりである。
「ど、どうしよう……」
「うーん、これは……ストレスね」
そこには、腕組みをしたシェリルが立っていた。
「ストレス、ですか?」
「悩み事があったり、苦労が続いたりすると、ストレスってのが身体に溜まって、こんな感じになってしまうんですって」
「悩み事……そんな……なんだろう……」
「分からないけど、領主代行を務めるってのは、きっと大仕事だし。普段はそんな様子は見せないけど、色々大変なのよ」
シェリルは見事に原因を言い当ててはいたが、自分がその原因のひとつであるなど露ほども思っていないのであった。
「なにか、気分転換できるようなことがあればいいんだけど……」
「で、あれば、丁度良いものが届きましたぞ」
そこには、手に茶色い封筒を持ったじいやが立っていた。正門含め、庭園の有様に対してはすっかり諦観した様子である。
「先程、郵便の者が届けに参りました。どうやら、三日後の祭りに関する内容のようです」
「祭り?そうよ、祭りがあるじゃない!」
シェリルが、大きく手を叩いた。
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