第26話 魔王、爆弾を抱える

「こ、こんなことが……まさか本当に聖女が……!早く、同志たちに伝えなければ……!」


 未だ組み伏せられているオーリンが、驚愕と焦りの表情で呟いた。


 悪魔崇拝者たちにとって、教義上、聖女は天敵中の天敵である。

 だが、現実世界でたびたび観測される悪魔と違い、聖女とはあくまで伝説上の生き物扱いであって、聖女が実在すると思っている悪魔崇拝者はごく少数だ。


 それ故、聖女が本当に現れた時の対処など、まるで考えられていないのが実情だ。


 このエリスという存在は、いずれ自分達を破滅に追いやる。

 オーリンの精神に憑依している何者かは、そう直観していたのだった。



 ……しかしその様子に、まだ芝生をゴロゴロ転がっていたエリスがつまらなそうに反応する。


「……呑気なものじゃな」


「なんだと?」


「さっきの魔法を知らんのか。アレは破邪魔法の最大奥義じゃ。あの光は普通の者にはなんの影響もないが、邪なものは木っ端微塵に吹き飛ばす」


「そ、それがどうしたというのだ……!?」


「まだ分からんのか。お主も光を浴びたのであろう?」


「……え?……あ……」


 オーリンの顔が、一気に青ざめる。


「精神憑依の禁術。すでに魔法式は粉々になっとるぞ。禁術が破られれば、その代償は……まぁ、言うまでもないことじゃが」


「……あ、あ……た、助け……!」


「もうお主、死んでおるわ」


「ぎ、ぎゃああああああーーー!!……」


 断末魔の叫びと共に、オーリンの口から黒い煙のようなものが吐き出され、そして霧散した。

 どこかにある術者の身体も、精神の死と共に、死を迎えることになるだろう。


「……ああ、本当につまらん」


 エリスは再び、ゴロンと芝生に横になるのだった。







「今回のことは……その……本当に申し訳ありませんでした」


 オリヴィスがエリスに頭を下げる。

 先ほどまでの無礼な物言いはすっかり影を潜めていた。

 エリスは至極不貞腐れた態度で椅子にだらんと腰掛けているが、もちろん嗜めるものなど居ない。


「そして、リィのこと……ありがとうございました。良くしてもらった上、眼まで治してもらって……」


「……もうよい。さあ、さっさと帰って二度とここには……」


「リィ」


 エリスの言葉が聞こえていない様子で、オリヴィスはリィに話しかける。


「リィ、今まで一人にして悪かった。これからは、あたしと一緒に王都で暮らそう?」


 ――なにぬねの!?


 聞き捨てならない台詞に、エリスが敏感に反応する。

 リィはエリスの大事な愛玩人形……もとい使用人である。奇跡のようなお菓子の腕といい、そう簡単に手放す気は無かった。というか、絶対に嫌だった。


「そんなことは許さぬぞ!リィは……!」


「お姉ちゃん」


「なんだ?リィ」


 ――話を聞かぬか!!


 エリスが憤慨していることなど露知らず、リィが姉の目を真っ直ぐに見て返事をする。


「私、ここで、エリスさまのために働きたいの」


「リィ」


 ――おお、リィ!!


「私、エリス様に沢山の恩があるの。だから、ここでその恩返しをしたいんだ」


「リィ……そうか、そうだよな。あんたなら、そう言うよな。そういう子だった」


 ――よいぞ、リィ!!……よしよし、これでリィは手元に残る。そしてよく考えたら、リィは聖拳に対して良い人質になるのじゃ!


 聖拳の命こそ助けてしまったが、その動きを制限できれば少なくとも前世よりは有利になる。

 転んでもタダでは起きないエリスであった。



「うん、分かったよリィ。じゃあ……」


 ――よし、とっとと帰れ!!



「あたしがこっちに引っ越そう」



 ――……はあああ!?


「あ、姐御!?執行者の仕事はどうするんで?!」


「オヤジに伝えといてくれ。あたしは今日付で、執行者を辞めるってな」


「そんな!?」


「あたしが執行者になったのは、村をめちゃくちゃにした偽聖女や悪魔崇拝者どもを追ってれば、どっかでリィに会えるんじゃないかって思ってたからなのさ。それが、今日叶っちまった。……これからはリィと一緒に暮らしていきたいんだ」


「姐御……」


「……わかりやした、オヤジさんにはそう伝えます。……だけど!!」


 執行者たちは、互いに眼を合わせ、頷き合う。


「俺たちは、姐御がリーダーだから執行者やってたんだ!姐御が辞めるなら、俺たちも辞めるぜ!」


「……!?バカ、それじゃお前ら……」


「なぁに、食いっぱぐれやしませんよ!ここの領地の教会は、神殿騎士団が駐在してねぇ。俺らが、そこに配置換えしてもらえばいいんすよ!!」


「おお!!ナイスアイデアだぞオーリン!!」


「お前、脳みそ乗っ取られてたくせに冴えてるな!!」


「もちろん姐御が分隊長だ!それでどうです!?ここは譲れませんよ!」


「……お前ら……そうだな、分かったよ。あたしからオヤジに掛け合おう」


「おお!」

「やったぜ姐御!!」

「これからもよろしくお願いしやす!!」



「……盛り上がってるところ悪いのじゃが!?とっとと出て行けこのど阿呆どもーーー!!」


 エリスの怒声に、コウガも腕組みしながら頷く。


「そうだぞお前ら。これからお前らが無茶苦茶にしたこの庭園の後始末をしなければならんのだ。とっとと帰れ」


 お主がこいつらを表に出さなければ庭は無事だったのでは!?とエリスは突っ込みかけたが、今は執行者どもを追い返すことが先決と判断して無視をした。


「ああ分かった。今回のことは、いずれ教会より正式に謝罪を。……じゃあな、リィ。住むところが決まったら、また来るよ」


 ――来るな!!


「エリスお嬢様。これからもリィのことを、どうぞよろしくお願いいたします」


 オリヴィスが深々と頭を下げる。


「ん!?……お、おう、言われるまでもないのじゃ」


 これは本当に言われるまでもなかった。





「……はぁ、なんだかものすごく疲れたのじゃ」


 執行者たちが去ったあとの庭園は、片付け(主に正門あたり)で使用人たちが慌ただしく駆け回っていた。


 エリスは即席茶会の席に腰掛けたまま、紅茶に口をつけている。


「疲れた時は甘いものじゃな……リィ、何かないか」


「はい、これはどうですか」


 エリスの発言を予想していたのか、リィがお菓子を持ってきていた。

 それは、今朝のものとはまた違った形状をしたものだった。


「ほう?どれどれ……う、美味いのじゃーーー!!!!先程のものとはまた違った新鮮な味わい!リィ、お主凄いのう!!」


「えへへ。記憶が戻ったおかげで、お母さんのレシピを一杯思い出したんです」


「おお!一杯とな!これはずっと楽しめそうじゃのう!」


 エリスは疲れがすべて吹っ飛んだかのようにニコニコするのだった。


「……そういえば、リィというのは、家族からの呼び名だったな?確かにお主の姉もそう呼んでおったが……本名は何なのじゃ?思い出したのであろう?」


「あ、はい!思い出しました!」


「そうか、教えるのじゃ」




「はい!私の名前は……」




 リィが自分の名を口にしかけた、その時。


 エリスの背筋に、ぞわりとするものがあった。

 なにか、エリスにとって恐怖を想起させるものが迫っている感覚。


 その理由を、彼女は、すぐに知る。




「リーシャです」




 エリスの周りで、空気が凍る。


「……リーシャ……?」


「はい!」


「リーシャ……」


「?どうしました?」


 突如引き攣った顔で固まってしまった主人を、リィは不思議そうな顔で見つめる。




「リーシャ……金髪……盲目……とびきりの、光の魔力……」


 ――まさか……!




 リーシャ。



 名もない村の生まれ。

 一族で唯一、金色の髪を持って生まれ、周囲からは幸運の子などと呼ばれて大切にされていた。


 しかし、五歳の時に病で視力を失う。


 それでも、家族や周りの助けもあって幸せに暮らしていたが、七歳の時に村が何者かに襲撃された際、行方不明になる。


 しかし十九歳の時、魔王エリスが降臨して世界が大混乱に陥ると、突如民衆の前に姿を現す。


 彼女はモンスターの恐怖に震える民衆を鼓舞し、よく率いて魔王軍に抗った。


 彼女は人間たちの唯一の希望であり、旗印だった。


 大戦争によってバラバラになっていた国々は皆彼女の下で力を合わせ、


 そして彼女は、女神の導きによりアデル・クライフォードを勇者として覚醒させる。


 まさに勇者と同等、いや、それ以上の大英雄。


 人呼んで、



【盲目の聖女】リーシャ。



 ……天魔滅槍アンテバルトはリーシャの得意技であり、魔王エリスはその技を嫌がって直接対峙するのを避けたという。




 ――つまり……リィが……


 エリスは頭を抱えて椅子から転げ落ちた。


 ――ホンモノの聖女じゃーーーーー!!!!


 ゴロゴロと芝生を転がりまわるエリスを、リィが慌てて追いかける。


「ど、どうしたのですか!?」


「どうしたもこうしたも……ホンモノの聖女なのじゃーーー!」


「そうですね!教会も、エリスさまをホンモノと認めてくれますよ!!」


「そうではないわ!!」


 ――な、なんてことじゃ……!リィが、リィが聖女!?勇者を覚醒させる、聖女じゃと!?


 ひとしきり転がった後、四つん這いになってはぁはぁと息を整えるエリス。


 心配そうに覗き込んでくるリィと目が合う。


 ――くっ、こんな超可愛い顔して、実は聖女です、じゃと!?とんだ魔性の女じゃ!……ん?まてよ?



 エリスの頭に、ぴーんと閃くものがあった。



 ――今ここに、聖女がいるというのは……実は大チャンスではないか??


 まだ聖女としての力は未熟も未熟の雛鳥が、無防備で目の前にいる。


 ――今この場で、リィを亡き者にしてしまえば……勇者は覚醒できず、自ずとわらわの勝利が確定なのではないか!?


 突如すくっとエリスが立ち上がる。


 ――そうじゃ、これは絶好のチャンスなのじゃ!!こやつさえ消せば、あとはのんびりと魔力回復を図るだけで、世界浄化は成る!!ふははは!よし、では、早速こやつ……を……。


 エリスが凄惨な笑みを浮かべて振り返り、目にしたものは……


 エリスの趣味嗜好ど真ん中必中の、リィの顔。




 ……少し間を置いて、エリスは首を振る。


 ――躊躇うなエリス!これで勝ちなのじゃ!世界浄化出来るのじゃ!こんな顔が無くたって、美味しいお菓子が食べられなくたって、世界浄化できれば、それで……。


 それで……。



 エリスは、まだ半分残っているお菓子の皿と、リィの顔を、何度も交互に見た。



 その、長いようで短い逡巡の後、



 ……エリスは大きく息を吐いた。



 ――そうじゃ。よく考えたら、こやつが死んだら姉の聖拳が即座に殴り込んできてしまうではないか。今の力では太刀打ち出来んのじゃ。

 ……やっぱり魔力が戻るまで、もう少し様子を見ても良いかもじゃな!


 エリスはうんうんと一人頷く。


 ――別に、リィとか、お菓子とかが名残惜しいわけでは全然ないのじゃがな!ああ、残念じゃ残念じゃー!


 なにか吹っ切れたように席へと戻るエリスを見て、リィは少し首を傾げたが、すぐに笑顔で側に控える。



 ……嗜好と胃袋。この二つを同時に掴まれてしまったら、例え魔王といえども、それに抗うことは出来ない。


 そういうことのようだった。

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