第16話 魔王、解説する

「ぐふ……」


 山小屋の壁をズルズルと滑って崩れ落ちるコウガに、エリスが歩み寄る。


「実力拮抗の相手を前に余所見をするとは、本当にバカじゃなお主は」


 そこまで言って、ふとエリスは気がつく。


 ――むむ、どうしたものか。よく考えたら実力拮抗の相手の動きを止めるのは、ただ追い払うより困難かもしれぬな。


 エリスに、シェリルを元に戻す算段はついていた。しかし、そのためにはシェリルには少しの間大人しくしてもらう必要がある。


 ――わらわが魔法を使う手もあるが……その後のことを考えると無駄撃ちは避けたいのう。


 シェリルは、その巨体からは想像もつかないほどの身のこなしを見せている。

 範囲を問わない極大魔法ならまだしも、単なる大魔法程度では躱されてしまう可能性もゼロではなかった。


 エリスはシェリルの動きを警戒しつつ、どうすべきか頭をフル回転させていた。



 ……ところで、エリスには一つ癖がある。


 考え事をしている時、手が勝手に動いてしまうことだ。

 無為に本のページをぺらぺらめくっていたり、ティーカップをソーサーに置いたり持ち上げたりを繰り返したり。


 前世で魔王だった時は自慢のツノをつるつる触っていたのだが、今は無いので周囲の何か適当なものを弄っているのだ。


 今この時も、考え事をしているエリスの手は、本人の意思を受けずに勝手に動いていた。


 具体的には……壁に寄りかかってぐったりしているコウガの髪を、わしゃわしゃしていた。

 特にコウガの顔など見ずに、ただ手だけがわしゃわしゃと。犬と戯れているかのように。


 ……そして、不思議なことが起きた。


 大ダメージを負って息も絶え絶えだったはずのコウガの全身に、急速に力が漲る。

 頭からは今もダラダラ血が流れているのであるが、その闘気は、先ほどまで戦っていたときの状態から何倍も、何十倍も膨れ上がっていた。


「う、お、お、お」


「……ん?なんじゃコウガ、どうした?」


「うおおおおおおーーーーーー!!!!」


「ぬわぁ!」


 崩れ落ちていた身体が、弾かれた弓のように跳ね上がる。

 両の脚でしっかりと大地を踏み締め、コウガは力強く立ち上がった。


「ありがとうございます!お嬢様に、『なでなで』頂きましたぁぁぁぁぁぁ!!」


「……は?」


 口をぽかんと開けて呆然とするエリスを背にし、コウガは高らかに宣告する。


「さあ行くぞ化け物!!お嬢様への愛の力で、ビッタビタに貴様の動きを止めてくれる!!覚悟しろ!!」


 蹴る勢いで地面を爆散させ、コウガは超スピードでシェリルに飛びかかった。


 先ほどまでとは別人のような力と速度で繰り出される連続攻撃は、これまでキズ一つ付けられなかった硬質の骨格をバキバキと削り落とし始める。


 シェリルのほうも抵抗を試みるが、全くコウガの動きに追いつかない。

 虚しく拳が空を切る間に、全身に斬撃痕を負い、吹き飛ばされる。


 ウィスカーが、驚愕の呟きを漏らす。


「なんと……これが巷で噂の、エリスお嬢様の加護魔法……!」


 ――いや、全然違うから。


 エリスは一人遠い目をしている。


「この圧倒的な強化……。我々エルフの魔法の常識を遥かに超えている……」


 ――わらわの常識も超えているのじゃ。


 コウガはさらに攻勢をかけ、シェリルを追い詰める。

 その様子を見ながら、エリスは呆れた顔をしていた。

 エリスの見積もりでは、シェリルはA級上位クラス。それを圧倒する今のコウガは、間違いなくS級クラスの力があるだろう。

 闇堕ち覚醒した暗黒騎士ガイウスにはまだ遠く及ばないとはいえ、S級はドラゴンすら含まれるカテゴリーだ。


 ――あやつ、少し工夫すれば実は簡単に最終覚醒出来るのではないか?


 ふとそう思ったが、ヤバい方向――愛の騎士ガイウス、など――に最終覚醒されても厄介なので、エリスはこれ以上考えるのをやめた。



 決着の時はすぐに訪れた。


 コウガの横なぎの一撃がシェリルの両脚を砕き、その巨体は轟音を立てて地に崩れ落ちた。


 その時を逃さず、エリスが魔法を詠唱する。


「【アー・オン・ウルズ・リ・ガーナ アー・オン・ウルズ・リ・オーネ 縛し捕えよ深緑の檻……魔蔓縛鎖陣ドライアス】!」


 突如地面を割って、百本近い大量のツタが飛び出す。

 一本一本が人間の腕ほどもある太さのそれは、出現した勢いそのままに、地に伏したシェリルの両手両脚を絡めとる。

 そのまま一気に、そして完全に巨体を地面に拘束した。


「おお……」


 速度、強度、精度と、どれを取っても超一級なエリスの拘束魔法に、ウィスカーは思わず感嘆の溜息を漏らす。


「さて、準備は出来たのじゃ」


 身動きが取れず低く唸るだけのシェリルに、エリスが悠然と近づいて行く。


「今からこやつを元に戻すぞ」


「ああ……本当に、本当に可能なのですか……?この呪いを、解くことが……?」


 ウィスカーが、まるで神にすがるようにエリスを見る。


「くく。さっき、呪いなど存在せんと言ったばかりではないか。仕方がないのう、すっかり思考が止まってしまったエルフ殿に、ひとつ講義でもしてやろうか。少し解析に時間がかかりそうじゃしの」


 エリスは、縛めを解こうともがくシェリルの身体に触れながら、続ける。


「この世で呪いと呼ばれておるもの。それらは全て、魔法の一種にすぎぬ」


「な……!?」


「何のことはない。知っておろう?常駐型魔法を。即ち人体に魔法式を刻むとともに魔力を流し込み、魔力が続く限り効果を発揮させるもの、それが呪いと言われているものの正体じゃ」


「し、しかし、魔法式など、どこにも……!」


「何を言っておる。こやつの全身に刻まれておるじゃろうが。エルフが見えぬとは言わせぬぞ」


 ウィスカーは魔法を探知するため感覚を研ぎ澄ます。確かにシェリルの全身には、不可解な魔力の痕跡があった。

 しかし……。


「……これには、私も前から気づいておりました。しかし、これは魔法式でもなんでもありません!こんな法則性のないものが、魔法式であるはずが……!」


 ウィスカーの言葉を聞き、エリスはニヤリと笑みを浮かべた。大陸一、魔法に通じた種族のエルフ相手に魔法の講義をするのが、実に愉快であるようだった。


「これが一見して魔法式と分からない理由は、三つある」


 エリスが得意げに、指を三本立てた。


「一つは、呪いと言われるこの魔法形態は、ほとんどの場合『複数の魔法の重ね掛け』であることが多いということじゃ」


「重ね掛け……?」


「考えてもみよ。『肉体強化』『骨格変化』『狂戦士化』……シェリルに起きていた変化は、細かく見れば全て現存の魔法で再現できるものばかりであろうが」


 ウィスカーの眼が大きく見開かれる。だがその表情には、驚きとともに、まだ多分に疑念が含まれていた。


「し、しかし、私とてエルフの端くれだ。仮に魔法式が重ねて刻まれていたとしても、それを見分けることが出来ないはずは……!」


 エリスはそんなウィスカーの言葉を遮るように、指を二本立てて顔の横に上げる。


「理由二つ目。それは、この魔法式が『まったく最適化されていない』ことじゃ。見せてやる」


 エリスが、シェリルの腹の辺りをポンと叩く。

 すると、シェリルの身体に刻まれていた紋様が光り出し、はっきりと視認できるようになった。

 先ほどから置いてきぼりになっていたコウガが、おおっ、と感嘆の声を漏らす。


「さて、サービスで色分けしてやったぞ。どうじゃ?」


 エリスの言葉通り、浮かび上がった紋様には、よく見ると白かったり黄色かったりと、光の色に差があった。


 ウィスカーが、眉間に皺を寄せる。


「確かにいくつか紋様が重なって……ん!?いや、そんな……これは、まさか……!」


 ウィスカーが、ワナワナと震えながら、指で空中をなぞり始める。


「これは……肉体強化……!そしてこっちは……おおお、骨格変化……!!」


「気付いたか?」


 エリスがより詳細な説明をしようと口を開きかけたところで、コウガが割り込んできた。


「面目無いのですが、俺は何も分かりませぬ。最適化とは、どういうことですか?」


「お主に魔法の講義をしても後学のためになるとは思えぬが……まぁよい。そもそも魔法とはな、精霊への命令と、それに対する精霊の行動で成り立つのじゃ」


 ノってきたのか、エリスは段々と饒舌になっていた。


「精霊は我々の言葉が通じぬからの。命令するには精霊が分かる『言語』を用いねばならぬ。それが、いわゆる魔力を乗せた詠唱であり、魔法式なのじゃ」


 コウガは分かっているのかいないのか、ふんふんと首だけ振っている。


「ここでポイントとなるのは、命令は、精霊の行動が一義に決まるものであれば何でもよい、ということじゃ。例えばじゃな……」


 エリスはコウガの腰にある剣を指さした。


「人に剣を振らせたい場合、最も簡単に伝わるのは、『剣を振れ』と命令することじゃ。じゃが、『お主がいつも腰にさしていて、身を守ったり敵を攻撃したりするときに使うものを握って、そしてその腕を上から下に動かせ』と言ったとしても、これも一義に『剣を振る』という行動に決まるじゃろう?」


 コウガは腕を組み、うんうんと頷き始める。


 あ、これ分かってないやつじゃ、とエリスは気がついたが、横のウィスカーは理解した様子だったのでそのまま続けることにした。


「この場合、前者の『剣を振れ』が最適化された命令じゃ。普通、詠唱や魔法式とはこのように洗練されたものなのじゃが……一方で、後者のように、長く無駄だらけでも、実は同じ魔法を使うことができる」


「つまり……今シェリルに刻まれている魔法式は、まるで無駄ばかりのもので……故に複雑で、見ただけではこれが魔法式とすら分からなかった……」


 ウィスカーの言葉に、エリスは大きく頷く。


「そうじゃ。そして三つ目の理由」


 エリスは高らかに三本の指を空に掲げる。落ち着いた喋りをしているがテンションはノリノリの最高潮である。


「実に無駄な作りであり、魔力の使い方が馬鹿みたいに非効率であってもなお、『魔法の常識ではあり得ないほど強大な効力を持っていること』。以上三つの理由故に、誰もこれが魔法とは思わんのじゃ」


「『強大な効力』……そういえば、聞いたことがあります。どんな生き物も、死ぬ瞬間が最も魔力が高まると」


「生命エネルギーが魔力に変換されるのじゃ。普通はただ空に霧散するだけじゃが、ごくごく稀に、その超魔力が魔法としてこの世に残留することがある。意図する、しないに関わらずな」


 ウィスカーがシェリルを守るために打ち倒した、精霊獣。

 その絶命の際に放出された膨大な生命エネルギーが、複雑怪奇な魔法式となってシェリルに刻まれ、化け物へと変貌させた。


「それが、呪い……いや、呪いという名の、魔法……」


 エリスはウィスカーの様子をちらちら窺う。

 そして彼が驚愕に打ち震えていることを見て取ると、実に満足げに、小さい胸を反らせるのだった。

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