第17話 魔王、再び失敗する

「さて、話はここまでじゃ。シェリルの魔法式を解くぞ」


 エリスは、未だ身動きの取れないシェリルの身体をゆっくりと指でなぞる。


 次の瞬間、全身に刻まれていた魔法式が、ぼんやりと光を放ちながら、シェリルの身体を離れて宙へと浮かんだ。


「話している間に魔法式の解析は済んでおる。大小合わせて十二の魔法式が混在していたが……分かってしまえばひとつずつバラしていくだけじゃ」


 エリスが、まるでリズムを刻むかのように、とん、とん、と宙に浮いた魔法式に触れる。

 その度に、魔法式の一部が砕け、直後に全体が霧散していく。


「仕上げじゃ」


 そう言ってエリスが魔法式に触れると、先ほどまでとは異なり、猛烈な閃光が魔法式の中心から迸る。


 それをエリスは片手で掴むように抑え込み、ぐぐっと握りしめ……潰した。


 ガラスが数十枚一気に割れるような音が鳴り響き、すぐに、何もなかったかのような静けさが戻った。




 変化は、それからすぐに起こった。




 シェリルの恐ろしく巨大だった体格が、見る見るうちに縮んでいく。

 異様にせり出した骨格が、一、二度蠢いたあと、砕けて砂のように落下し、地面に触れて消えた。


「シェリル……!」


 縮んだ身体は容易にツタの戒めから逃れ、そこには一人の人間の女性が横たわっているのみとなった。


「シェリル!大丈夫か!?」


 ウィスカーが、シェリルのもとに駆け寄って抱き起こす。

 夫の声に、シェリルはゆっくりと反応を返した。


「……ウィスカー?」


「ああ、シェリル!良かった……!」


 ウィスカーがシェリルを抱きしめる。

 その頬を、涙が伝っていた。





「……この度は、私の妻シェリルを助けていただき、本当にありがとうございました」


 改めて山小屋に招き入れられたエリスたちは、ウィスカーとシェリルから心よりの感謝を受け取っていた。


「なに、単なる取引じゃ。お主に作らせたいものがあったから、助けたまでのこと」


「魔道具……ですね。もちろん、喜んで作らせていただきます。ですが……」


 ウィスカーの顔が、僅かに曇る。


「お嬢様の魔法への造詣の深さは、とても私などが及ぶところではございません。果たしてご期待に添えるような物が作れるかどうか……」


「くく。そう卑屈になるな。お主に講義した呪いの知識、実はの……」


 少し思わせぶりに溜めてから、エリスはネタばらしをした。


「全て、わらわの古い知人からの受け売りじゃ。世界で最初に、呪いの謎を解き明かした……狂人じゃがな」


 悪戯が上手くいった子供のように、ニヤニヤと笑うエリスを見て、だがウィスカーは、一層恐れ入った様子だった。

 ……十五の少女が『古い知人』と言うことの違和感に気づくことなく。


「なんと、そのような人物が、すでに……。ああ、私は一体この一年、何をしていたのか。己の愚鈍を恥じるばかりです」


「ぬぬ、また卑屈になりおった。まぁとにかく、わらわとて別に万能なわけではない、ということじゃ。魔道具が専門のお主の手腕に期待しておる」


 そう言いながら、シェリルが持ってきた紅茶を一口飲むエリス。


「さて。作ってもらいたい魔道具は……魔力の貯蔵庫じゃ」


「魔力の……貯蔵庫?」


「そうじゃ。お主の作った魔道具を見たが、実に効率良く魔力を閉じ込めておる。この山で採れる石が、従来のものより優れていることに加えて、何か手を加えておるじゃろう?実に理想に近い」


 エリスは指をくるくると回しながら、感心したという表情を作って見せる。


「これをさらに発展させ、より完璧に、かつ大容量の魔力を貯蔵できるような技術を開発せよ。そのための資金は、ファントフォーゼ家が全て持つ」


「貯蔵、ですか。して、刻む魔法式は……?」


「要らぬ」


「魔法式が必要ない?それでは、どのように使用なさるおつもりで……」


 ウィスカーの問いに、エリスは少しだけ言葉に詰まった。


「ぬ?あー、えーと、そうじゃな?そう!くっつけるのじゃ!別の魔道具とくっつけて、貯めている分を取り出して使うのじゃ!」


「別の魔道具にくっつけて……?」


 ウィスカーはそう呟くと、何かに気づいたかのように、俯いて考え始める。


 ――ご、誤魔化せたかの?本当は、わらわの補助魔力として使いたいのじゃが。


 大量の補助魔力を携帯できれば、魔力枯渇に陥ることなくいつでも極大魔法をぶっ放すことが可能になる。また、魔力増強の儀式に必要な魔力も、少しずつ貯蔵していけばすぐに集めることができるだろう。そうやって、勇者暗殺やら大陸浄化やらを効率的に進めよう、というのがエリスの企みだった。


 目的が目的であるため、悟られてはならぬとばかりに、エリスは咄嗟に誤魔化そうとしたわけだが……。


 さて、実のところ、エリスは別に誤魔化す必要はなかった。

 素直に「補助魔力に使いたい」とだけ言っていれば、なるほどより多くの人々を魔法で助けたいのですね、などとコウガは勘違いしてくれるし、ウィスカーも特に怪しんだりはしなかっただろう。


 だがエリスはそのことに気付かず、うっかり奇妙な言い訳を口走ってしまったのである。



 その結果。



「別の魔道具に、くっつける……?魔力貯蔵に特化した魔道具を、魔法式が刻まれた別の魔道具に……?」


「なんじゃ?どうした、ぶつぶつと」


「……魔道具の弱みは、どんな立派な魔法式が刻まれていても魔力が切れたらただの石になってしまうことだ。だが、そうか……魔力貯蔵の魔道具と、魔法式の魔道具が別れていれば、貯蔵側だけ新品に取り替えることで繰り返しの使用が可能になる……!」


「もしもーし?」


「いや……こんなことは、誰かがすでに思いついていたはず。だが、これまでは魔力を完全に貯蔵する方法がなかったから、限度があったんだ……。お嬢様の言う通り、この山の石と私の技術で完全な貯蔵を実現できれば……!!」


 ウィスカーはまるで子供のように、身振り手振り、全身で興奮を表した。


「さすがお嬢様だ!!これは革命です!!魔道具の歴史に、革命が起きますよ!!」


「お、おう?そうか、なんだか分からぬがやる気になったのなら良いことじゃ」


 エリスは若干引き気味になりながらも、とりあえずこの山に来た目的が果たせたことに満足げに頷いた。



 ……これより後、ウィスカーが開発した魔力貯蔵専用の使い捨て魔道具は、様々な魔道具を半永久的に動作させる革新的なアイテムとして広く普及し、人々の生活レベルの向上に大きく貢献することとなる。

 原料の産地であるヴァッテリオ山の名前を取って、ヴァッテリーと名付けられたそれは、やがてこの地域に一大魔法文化を築く原動力となるのだが……それはまだ、ほんの少し先のお話。



「では、わらわは帰るぞ。定期的に進捗を報告せよ。資金は好きなだけ用意してやる」


「はい!……あの、お嬢様」


「なんじゃ?」


「最早森に戻れない私が、このようなことを行うのは滑稽に思われるかもしれませんが……どうかお受け取り下さい」


 そう言うと、ウィスカーは片手を自らの心臓の位置に当て、片膝をついて、こう宣言した。


「琥珀の森と精霊に祝福を受けし、ウィスカー・ウィンベル・『オルトワルド』。大恩あるエリスお嬢様のため、身命を賭して任務を遂行することを誓います」


 おお、とコウガから感嘆の声が漏れる。


 エルフが、自分の氏族名を以って誓いを立てることの意味を、コウガはよく知っていた。


 騎士の誓いと同等、いやそれ以上の、絶対的な誓い。


 言葉にあった通り、命を賭けて誓いを貫き通す、ということの表明である。

 これを人間が受けた例を、コウガは聞いたことがない。

 流石はお嬢様だ……と、コウガは自分の主人を心から誇らしく思うのだった。


 そして、チラリとエリスの横顔を覗き込む。

 エリスが実に美しい微笑みを浮かべているのを見て、コウガは満足そうに頷いた。



 ……しかしコウガは気付いていなかった。

 エリスが、笑みを顔に貼り付けたまま……まるで大瀑布のような滝汗を流していることに。


 汗だくだくな外面の一方で、からからに渇きだした喉から、エリスはなんとか声を絞り出した。


「……オルトワルド……じゃと?」


「?どうかなさいましたか、お嬢様?」


「……お主、まさかと思うが……背中に、大きな火傷痕があったりするか?」


「え?ああ、はい。幼少の頃にうっかり火蜥蜴の巣に迷い込んでしまって……はて?何故そのことをご存知なのですか?」


「……オルトワルド……呪いの、研究……」


「え?」


「……や、や、や……」


「お嬢様?」


 ――やっちまったのじゃああああああ!!!!


 エリスは凄い勢いで頭を抱え、膝からその場に崩れ落ちた。



 オルトワルド博士。


 前の世界で、魔王エリスの側近であった四天王の一角。


 呪いが魔法であることを解き明かした、呪い研究の第一人者。


 呪いの脅威的な力が生命エネルギーを元にすることを利用し、生贄を用いた凶悪な感染魔法や大規模殺傷魔法を開発して人間たちを恐怖に陥れた【呪術王】オルトワルド。


 狂ったように呪いの研究に没頭するようになった経緯は明らかでないが、一説には愛する者を呪いで失ったためと言われている。



 ――いや、一説には、って、絶対それシェリルのことじゃあ!!た、助けてしまったではないかーーー!!


 エリスは今にも泡を吹きそうなぐらい引き攣った顔でわなわなと震えている。


 ――いや、嘘じゃろ全然顔違うじゃろうが!オルトワルド博士は皮膚が紫で頬がこけてて髪の毛がボサボサで……え?もしかしてあれ全部、呪いの研究の代償?元はこんなハンサムだった?……逆詐欺じゃあーーーーー!!


「の、のう、ウィスカー?やっぱりもう少し、呪いの研究を進めてみるというのは……」


「ははは、ご冗談を。既に呪いの謎を解き明かした偉大な先駆者が居られるのでしょう?」


 ――いや、それ、お主のことじゃからーーー!!わらわに呪いの仕組みを教えてくれた古い知人って、前の世界のお主じゃからーーー!!



 ……ガイウスに続き、オルトワルドという四天王の一角が闇堕ち回避されてしまった事態に、エリスは絶望のあまり灰のように脱力していた。




「さぁ、忙しくなるぞ!シェリル、君はまずは身体を休めてくれ。元気になったら、また一緒に研究をしよう!」


「ふふ、もちろん。……良かったわね、ウィスカー」


「ああ!私たちの魔道具で、世界をもっと豊かにするんだ!」


 ……幸せそうに微笑み合う夫婦を呆然と眺めていた灰の塊……もといエリスに、ふと前の世界の記憶が蘇る。



 脇目も降らず、ただひたすら呪いの研究に没頭していたエルフの男。


 呪いの全てを暴き、そして世界を呪わんと呪詛を吐き続けていた、狂人。


 最期には自らの命すらも呪いの魔法に換え、居城ごと爆散して、男は消えた。


 ……果たして、本当に呪われていたのは、誰だったのか。




 ――なんじゃ。お主、嫌いなものを研究していたのか。……勇者に勝てんのも道理じゃ、ド阿呆め。


 ……つまらぬ、と独りごち、エリスはコウガを連れて山小屋を後にするのだった。

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