第15話 魔王、ドヤる

 外に出た三人を迎えたのは、山中でエリスたちを襲った巨体の化け物だった。

 赤黒い眼を爛々とさせ、低い唸り声を上げるその様子は、すでに臨戦態勢だ。


「出たな、化け物め」


 コウガが剣を構え、エリスを護る位置に立つ。

 化け物とコウガの睨み合いが始まった。

 互いに間合いの外から相手の動きを牽制し合う。



 さてエリスは、というと。


 腕を組み、やや背を後ろに逸らし気味にしながら、特に誰に向けるでもなく……ドヤ顔をしていた。

 傍目に状況を鑑みると全くもって意味不明なドヤ顔であったが、エリスにはドヤ顔を禁じ得ない理由があった。


 ――くく。どうやらわらわの想定通りのようじゃのう。


 小屋から飛び出す直前に、エリスが耳にしたウィスカーの呟き。


『シェリル……どうして……』


 これまでの状況からエリスは一つの仮説を立てていたが、それがこの言葉で確信へと変わっていた。

 流石はわらわじゃ、という自画自賛が表出したドヤ顔であった。


 黙ったまま化け物を見つめるウィスカーの横顔を一瞥して、エリスが口を開く。


「あの化け物は、お主に縁のある者じゃな?シェリルとは、あれの名か」


 ウィスカーが、びくっと体を震わせる。エリスの指摘は図星のようだった。


「なんと!?ウィスカーどのに縁があると!?エルフにもなかなか体格の良い者がいますな……」


「オーガよりデカイやつをつかまえて『体格が良い』で済ますなド阿呆。お主は黙って前を向いておれ。ほれ、飛びかかられるぞ」


 コウガが顔を前方に戻すと、隙あり、とばかりに化け物が腕を振り上げ強襲してきた。

 なんとか不意の一撃を剣で凌ぐと、コウガも負けじと反撃して熾烈な二回戦が始まる。


 岩と金属がぶつかるような鈍い音が繰り返し山中に響く。

 両者一歩も譲らず、再び戦いは膠着状態へと陥った。


 その様子を眺めながら、エリスは再度、ウィスカーに話しかけた。


「……さて、先程の話の続きじゃ。呪いを研究する者は、二種類。呪いたい相手がいる者と……呪いを解きたい相手がいる者、じゃ。お主は、後者であろう?違うか?」


「……ご明察、恐れ入ります」


 ウィスカーは俯くと、ぽつりぽつりと説明を始めた。


「あれは……シェリルは、私の……妻です」


「妻か。二人して森から出てきたのか?」


「いえ。彼女は人間です」


「人間?エルフと人間が婚姻とな。珍しいこともあるものじゃ」


「森の氏族からは大反対を受けました。ですが私は、シェリルをどうしようもなく愛してしまった」


「駆け落ちか?」


「そう、ですね。もう森には戻れないでしょう。しかし、私は幸せだった。シェリルと二人で……一緒に、元々興味を抱いていた魔道具の研究を行ってきました。しかし……」


 ウィスカーは、コウガと激闘を続けている化け物……シェリルを見つめた。


「ある日、魔道具の材料に最適な石が採れると分かったこの山に登り、二人で採集をしていたところを、モンスターに襲われました。恐らく、精霊獣の一種だったと思います」


 ウィスカーは自分の手を見つめる。


「私はシェリルを守るため、モンスターと戦いました。私の魔法でモンスターを打ち倒した時……恐ろしいことが起こったのです」


「呪いか」


「ええ。シェリルが、そのモンスターに呪われたのです。見る見るうちに、シェリルの身体に変化が起こり……あのような、姿に」


 エリスは、シェリルに目を遣った。オーガを凌ぐほどの体格と、まるで鎧のように、異常に発達した骨格。そして、野の獣のような、知性無き行動。

 もとが人間の女性であると聞くと、まさに呪いであると誰もが思うに違いない。


「私は彼女を救うため、各地で呪いの情報を集め、研究を始めました。しかし未だ、結果は出ず……」


「そうか。残念ながら、時間切れじゃな」


「え?」


「あやつの姿をよーく見るのじゃ」


 シェリルは、エリスたちと最初に遭遇した時とは、様子が異なっていた。

 口からは絶え間なく液体が滴り落ち、全身を覆う骨格が、目に見えて肥大化を始めている。一方で、皮膚は黒ずみ、一部は動くたびに剥がれ落ちていた。


「これは……?」


「言うたじゃろう。時間切れじゃ。シェリルとやらの身体が、変化に耐えきれなくなったのじゃろう。相当に、苦しんでおるわ」


 人間の負の感情に対して敏感なセンサーを持つエリスには、シェリルの感じている肉体の苦しみがはっきりと伝わってきていた。


「そんな……」


「先程、お主が『そんなバカな』と言ったのは、今までシェリルがお主のいる前で人を襲ったことが無かったからではないか?わずかに残っていた理性のおかげじゃろう。だが、状況が変わった。あやつはもはや変化に呑まれておる」


 そしてエリスは、冷たく言い放った。


「明日を迎えることなく、シェリルの身体は滅びるじゃろう」


「ああ……シェリル、シェリル……」


 地面に膝を落とし、絶望の涙を流し始めるウィスカー。


「私が……私が、彼女をここに連れて来なければ……いや、私が彼女と一緒になろうと願わなければ、シェリルはこんなことにはならなかったのに」


 口から漏れるのは、ただただ後悔の言葉だった。

 最愛の人を救えない苦しみ。何も出来ない自分が、ウィスカーには許せなかった。


 絶望の淵に沈むウィスカーを横目で見ながら……エリスは声を出さずに笑っていた。


 ――エルフとは種族全てが、無愛想で他人には無関心なのだと思っていたが、なかなかどうして、情熱的な奴もおるではないか。面白いのぅ。


 エリスは一通り笑った後、ふぅ、と息を吐く。


 ――まぁ、シェリルが人間というのが気に食わんが、わらわの計画のために、さっさと話を進めねばな。


 そしてエリスは、ウィスカーの方に身体ごと向き直った。


「さて、ウィスカー。お主は魔道具の研究をしていたと言っていたな?」


 ウィスカーは、は?という表情でエリスを見上げる。『こんなときになにを』と憤慨してもおかしくなさそうだが、あまりに突拍子もなかったため思わずウィスカーは普通に応えてしまった。


「……はい、魔道具は昔から興味がありまして」


「うむ。このネックレスも良い出来じゃ。そこで、お主に作ってもらいたいものがある」


 ここに至って流石にウィスカーも、困惑の中に怒りを含んだ表情に変わりだした。

 しかし、エリスが有無を言わさず続けた言葉に、思わず目を見開く。


「報酬は……このネックレスでわらわを危険に晒したことについて、無罪放免。それと……シェリルを助けてやるわ」


「シェリルを……!?あの呪いが、解けるのですか!?」


「くくく、まったく、エルフともあろうものがこの程度のことも分からなかったとは。よいか」


 エリスは、渾身のしたり顏で、ウィスカーの顔に指を突きつける。



「この世に、呪いなど存在せぬ」



 信じられないものをみたような顔で固まるウィスカーに、ニヤリと不敵な笑みを投げかけたエリスは、勢いよくコウガたちの方へ身体を向けた。



「コウガ!そやつの動きを止めよ!!」



 敬愛する主からの命令に、コウガは満面の笑みで応える。


「お嬢様!了解致しまし……」


「あ、ド阿呆!前を向いていろと……!」


「ぶべら!?」


 ……シェリルの剛拳に、受けた剣ごと吹き飛ばされ、コウガはエリスの真横を抜けて山小屋の壁に激突した。


「……ド阿呆」


 エリスは振り返ることなく、片手で頭を押さえた。


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