第13話  火王家の乱

 琵琶湖の畔に、辺りを圧して建っている壮麗な城があった。天下人、織田信長の居城、安土城である。

 その一室で、風の里の五家の一人、火王炎龍斎が信長に拝謁していた。

 炎龍斎は、宗家の稲妻白龍斎が示した掟を破って、密かに信長に取り入ろうとしていたのである。

「炎龍斎、白龍斎の娘たちの居所は分かったか?」

 信長は片膝を立て、扇子をもてあそびながら炎龍斎を睨んだ。

「はっ、ライカと神一郎は箱根の風魔谷に居るようです。ライカの方は深手を負って療養中とか、幸い、奥義の会得には至っておりませぬ」

「うむ、暫く奥義の完成は無いと見てよさそうじゃが、悠長に構えてもおれぬ。今なら、白龍斎の娘を殺す好機ではないか、刺客は送ったのだろうな」

「いえ、まずは風の里の実権を握ってからと思っております」

「温いわ! そちに出来ぬなら、織田の軍勢を風魔に差し向けるまでじゃ。駿河の家康がよかろう。誰か、墨を持て! 早馬の用意を致せ!」

「お待ちくだされ! 大軍で襲っては反って逃げられるやもしれませぬ。我が方の刺客を早急に放ちます故、暫しの御猶予を!」

 信長の短気に肝をつぶした炎龍斎が、汗を掻きながら懸命に取り繕い、ひれ伏した。 

「……良かろう。くれぐれも、雷の奥義書である“雷神抄”を奪う事を忘れるな。必ず儂に持ってくるのじゃ。良いな!」

「ははー!」

 信長は、炎龍斎の頭を一睨みすると、大股で襖の奥に消えていった。


 

 風の里に帰った炎龍斎は、深夜にも拘らず火王家の一族二十名ほどを緊急に集めた。

 「こんな夜更けに何事か」と、怪訝な顔をした一族が集まるのを待って、炎龍斎は、おもむろに口を開いた。

「遅くにすまぬ。信長様との話し合いで、早々に聞いてもらわねばならぬことが出来たのじゃ。

 まずは、風魔谷に居る、ライカと神一郎に刺客を送る事にした。真麟、この役目をお前に託す。今より立て!」

「承知!」

 甲高い声が部屋に響いた。真麟は火王家の長女で、十七歳。五家の子供達の中でも異才を放つ、炎の使い手である。

 彼女が数名を連れて部屋を出てゆくのを見送った炎龍斎が、皆に向き直った。

「いよいよ事を為す時が来た。明晩、稲妻家、土鬼家、水神家、風家を襲い、宗家の座を奪う!」

 炎龍斎が身体を震わして叫ぶと、一同からどよめきが起きた。

「よいか、白龍斎の元に居ては我らの出世は無い。今こそ立って、風の里の新しい時代を開こうではないか!」

「オーッ!!」

 意を得たりと、皆から雄叫びが上がった。彼らの多くは、力を持ちながらも、うだつの上がらぬ今の生活にうんざりしていたのだ。

 一同が静まるのを待って、炎龍斎は続けた。

「その為に、信長様から百人の兵を貸して頂いた。今は、里の入り口に待機させてあるから勢力的には遜色なかろう。

 問題は、稲妻白龍斎、土鬼黄龍斎、水神幻龍斎の三人をいかに封じるかじゃ。此処が肝心ぞ。彼らに奥義を使わせてはならん、その前に人質を取るのじゃ、良いな!。

 くどいようだが、我らが繁栄は明晩の一戦にかかっておる。失敗すれば死あるのみぞ! 勝つのじゃ、断じて勝つのじゃ!」

 火王家の一族は、刀を抜いて突き上げ、今まさに出陣せんとの意気に燃えていた。

 

 次の夜。皆が寝静まるのを待って、三十名づつに分かれた火王の軍勢は、稲妻家、土鬼家、水神家、風家の館を一斉に襲った。

 白龍斎達が、襲撃の鬨の声を聞いた時には、既に人質を取られていて、彼らは、抵抗する間もなく捕縛され、牢に入れられてしまったのだ。人質作戦が功を奏し、戦いらしい戦いも無く、火王家の謀反は成功した。

 勢い余った火王家の軍勢は、屋敷に火を放って、勝鬨を上げた。

 稲妻家、土鬼家、水神家の三つの屋敷から、紅蓮の炎が立ち上がり、風の里を赤く染めた。


「くそっ、何て事をしてくれたんだ……」

 山中に身を潜め、空を焦がす三つの炎を見て、歯噛みをしている二つの影があった。

 それは、敵の包囲網から辛くも逃げ延びた、水神氷馬と土鬼大刃だった。彼らは神一郎と同年代の、水神家と土鬼家の跡取りである。 

「氷馬、討死覚悟で突撃するか?」

「いや、二人では無駄死にするだけだ。とりあえず、ライカ様と神一郎の居る風魔谷へ行ってみないか」

「風魔谷か……」

「今、家族の心配をしても始まらん。ともかく、ライカ様と神一郎に、この事を知らせるべきだ!」

「そうだな、行こう!」

 二人は、風に乗って夜空に舞った。



 一方、風魔谷では、神一郎が、小次郎を相手に風牙の手ほどきをしていた。

「風で斬ると言っても、結局は心なんです。斬れないと思っている内は斬れません」

「頭では分かっているのだが……」

 風魔随一の使い手である小次郎は、悩みながらも凄まじい気迫で風牙に挑戦していった。

 そして、ひと月後には、自分の背丈ほどの大石を斬ることが出来るようになっていた。

「一月でここまで出来るとは驚きです。あとは、精度を上げるだけですから、励んでください!」

「本来なら、殺されても文句を言えぬ身を、神一郎殿には、生きる糧迄与えて頂いた。お礼の言葉も見つかりませぬ!」

 小次郎は、土下座して礼を言った。

「礼など無用です。その力を風魔一族の為に使って下さい」

「この命に代えて!」


 小次郎との修行が一段落して帰ると、ライカが夕餉の支度をして待っていた。

「ライカ様、その調子ですと、ぼちぼち修行に入れそうですね」

「ああ、そう願いたいものだ。家事は性に合わない」

 不満そうなライカだったが、「うまい、うまい」といって彼女が作った料理を平らげる神一郎を見ると、顔が緩んだ。

「父上、明日から、心の中での修行に入りたいのですが、立ち合ってもらえますか?」

「無論だ。魔王との決着を着けて、早く奥義を完成させねばな」

 神龍斎が、待ちかねたように言った。


 だが次の日、神一郎と神龍斎が所用から帰ると、ライカの姿が無かった。

「何処へ行ったんだろう。父上、雷神抄も無くなっています!」

「神一郎、これを見ろ!」

 神龍斎が、壁に貼られた一枚の紙を見つけた。それには「ライカは預かった。竜門山へ来い!」と書かれてあったのだ。

「父上、直ぐに竜門山へ参りましょう!」

「うむ!」

 その時である。小屋の中に、大刃と氷馬が駆けこんで来た。

「大刃、氷馬、お前達どうしたんだ!」

 彼らは、寝る間も惜しんで駆け通してきたようで、神一郎が差し出した柄杓の水をゴクゴクと飲み干すと、喘ぎながら話し出した。

「……火王家が謀反を起こして、皆捕まってしまった。……ここへも追手が来るかも知れぬ!」

「皆は無事なのか!」

 天眼が包帯姿のままで聞いた。

「御坊は?」

「父上だ」

「えっ、神龍斎様?」

 神龍斎が包帯を解いて素顔を見せると、大刃と氷馬の顔が輝いた。

「神龍斎様! 生きていらしたのですね。良かった。……稲妻、水神、土鬼、風の家族は人質として捉えられていますが、すぐに殺される事は無いと思います」

 氷馬達は、里での出来事を有り体に神龍斎に話した。

「すると、放たれた刺客と言うのは、真麟の可能性が高いな」

「父上、ライカ様を連れ去ったのは真麟かもしれませんね」

「恐らくそうであろう。お前とライカ様を相手に出来るのは、彼女しかおるまい」

「ライカ様が、連れ去られたのですか!」

 大刃が驚いて言った。

「うん、つい先ほどの事だ。彼女は傷を負っていて、まだ本気で戦える身体ではないんだ。だから無理をせず、真麟に従ったのかもしれぬ」

「これからどうすれば……」

 大刃と氷馬が神龍斎に視線を注いだ。 

「ここは、敵の誘いに乗るしかあるまい。ライカ様を助に行こう!」

「はっ!」

 四人は、竜門山へ向けて疾走した。


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