第12話 希望

「お婆殿! ライカを助けてくれ!」 

 神一郎は、お婆の家に入るなり叫んでいた。

「神一郎、どうしたのじゃ?」

 戸を開けたお婆が、ライカの傷を見て顔色が変わった。

「誰か、湯を沸かすんじゃ! 灯りを持て!」

 お婆の家の者が動き出し、家が慌ただしくなった。

 ライカは寝かされ、傷口を酒で洗い、縫合に入った。

「神一郎、しっかり身体を押さえるんじゃ、良いな。これ、もっと灯りを近づけんか!」

「はっ!」

 数人がかりでの緊迫した手術は、一時余りで終わった。

「風夜叉様の時よりも、傷は深い。為すべきことは為したが、覚悟はしておいた方が良かろう」

 お婆の顔は暗かった。

「そんなに悪いんですか……。私が死なせない。死なせるものか!」

 神一郎は、ライカの手を取って懸命に励まし続けたが、彼女は、青白い顔で眠るばかりだった。

「二人にしてやれ」

 お婆は、皆を連れて部屋を出て行った。

 神一郎は、必死に話しかけても反応してくれないライカに、尚も話し続けた。

「ライカ様が死んだら誰が風の里を守るんです。貴女しかいないじゃないですか。早く元気になって第六天の魔王を倒して、奥義を完成させましょう。風の里の皆も、首を長くして待っていますよ」

 神一郎の涙が頬を伝って、ライカの手の上にポトポトと落ちた。

「笛を吹くよ。ライカ様が好きな笛を」

 神一郎は腰の笛を抜いて、ライカに届けと吹き始めた。

 故郷、風の里の春夏秋冬を表現した曲が部屋に木霊すと、その部屋の中は風の里となっていた。

 群れ飛ぶ鳥達、小川のせせらぎに、小魚が跳ねる音。緑の木々は太陽をいっぱい浴びて輝き、風と戯れている。

 だが、ライカは目を覚まそうとはしなかった。


 次の瞬間、心を癒す穏やかな音色が一転して、力強い調べへと変わった。その音色は、更に高まって、ライカの身体の中へ染み込んでいく。それは、「負けるな! 生きろ!」との、ライカを鼓舞する神一郎の魂の叫びだった。 

 

 夢の中で、ライカは大きな川の前で一人佇んでいた。周りには誰もいない。川には霧がかかっていて向こうは見えなかった。

 やがて、キーコキーコと艪を漕ぐ音が聞こえ、一層の小舟が姿を現した。

「ライカや、ライカ……」

 小舟には、死んだはずの、ライカのお爺とお婆が乗っていて、笑みを浮かべて手招いていた。

 小舟は更に近づき、岸に着いた。

「ライカや、さあ、一緒に行こうぞ。向こうは楽しいぞ」

「お爺様! お婆様!」

 ライカが、二人の名を呼びながら小舟の方に歩き出すと、お爺とお婆が異様に微笑んで、その白い手を伸ばして来た。

 その刹那、天上に激しい笛の音が響き渡ったかと思うと、風が吹き、波が立ち、小舟は大きく揺れ出した。

「ライカ、行くな!!」

「神一郎!?」

 ライカが振り返ると、小舟は、忽然と姿を消していた。


 次の瞬間、ライカは現実世界へと帰って来ていた。朧気に神一郎の顔が見えた。涙をポロポロと流していた。

「ライカ様!!」

 神一郎の狂喜した叫びに、駆けこんで来たお婆は、目覚めたライカを見て我が目を疑った。

「信じられぬ……。心の臓もしっかり打って居る、全く奇跡じゃ。神一郎、お前の心が通じたのだな」

 お婆が、ライカを診て、神一郎に微笑んだ。それは、ライカが運び込まれて、二日目の朝だった。


 半月が過ぎて、寝床で起き上がれるまでになったライカが、神一郎を呼んだ。

「ライカ様、どうしたのです」

「今日は気分がいい。縁側に出てみたいのだが……」

 神一郎は、お婆に許可を得て障子をあけ放ち、ライカを抱き上げ縁側に下ろした。 秋の気配が感じられ、山々の木々の紅葉が始まろうとしていた。 

「心が洗われるような、景色だな」

「風の里の山々に似ていますね」

 二人は、縁側に並んで足を垂らし、景色に見入っていた。

「ライカ様、本当にようございましたな」

 やつれたライカの横顔を見ながら、神一郎が感慨深げに言った。

「また、神一郎に、命を助けられたな」

「助けられたのは私の方です。信長を撃退した後も、ライカ様は生きて下さい。貴女は、風の里の希望なんですから」

「うん、だが、第六天の魔王との闘いが先送りになってしまったな」

「今は養生が第一です。冬に入る頃には、修行が出来るようになりましょう」

「そうだな」

「それはそうと、ライカ様に、聞いてもらいたい事があります」

 神一郎が、改まってライカを見た。

「何だ」

「ライカ様、私の妻になって下さい」

「えっ、……何を言っているのだ、こんな時に」

「私達は、明日の命も分かりませぬ。だからこそ言っておきたいのです」

「私は穢れた身。お前の妻にはなれぬ」

「私にとって、そのような事は問題ではありません。今のライカ様が好きなのです、妻にしたいのです」

「……」

「私がお嫌ですか?」

「返事は、信長との闘いに勝ってからでいいか」

「そんな先では、お互い生きているかどうか……」

「いや、お前と二人なら、生き抜けるような気がする」

「それは私とて……。ライカ様、今のは返事ですか?!」

 神一郎の顔が輝いた。しかし、ライカはそれには触れず、

「少し疲れた、部屋に戻ろう」

 と言うと、涼しい目で神一郎を見て、左腕を彼の首に回した。神一郎が彼女を抱き上げる時、互いの頬が触れそうになった。二人は見つめ合い、部屋へと戻って行った。


 神一郎の献身的な介護もあって、一月後には、ライカは小屋へ帰れるまでに回復していた。

「お婆様、お世話になりました」

「うむ、暫くは、傷口が開くような激しい動きはせぬようにな。あと一月程は養生するがよかろう」

 ライカと神一郎は、お婆に礼を言って、歩いて小屋に帰ると、天眼が嬉しそうに出迎えてくれた。

「ライカ様、本当によく頑張られましたな。今日は快気祝いに、何か美味しいものでも作りましょう」

 

 ライカが、体力回復の為に神一郎と山歩きを始めた頃、千太郎と風夜叉、そし小次郎が小屋を訪れた。

 小次郎は、悲痛な顔で神一郎とライカの前に座った。

「神一郎殿、ライカ殿、此度の事、この命をもって詫びる所存。何卒、この首を斬り落としてもらいたい!」

 神一郎とライカは、憔悴しきった顔で必死に訴える小次郎が、不憫に思えた。

 神一郎が「死なせないでくれ」と、頭の千太郎に頼んだ為、小次郎は自害する事も許されなかった。彼は死ぬに死ねず、悶々と眠れぬ日々を送っていたのだ。ただ、風夜叉だけがそんな彼に寄り添っていた。

「小次郎殿、死んで何とする。其方には風魔の民を率いる使命がある。そして、寄り添ってくれる人が居るではないか。生きて、恥を注ぐが男の道と思うがどうじゃ!」

 天眼が、小次郎の心に希望の灯をともそうと懸命に訴えたが、小次郎の心には届かなかった。


「小次郎殿、あなたに、風の奥義の一つである、風牙をお見せしたいと思います」

 神一郎の言葉に、小次郎が怪訝な顔を向けた。

「私を斬った風牙なら、既に存じていますが?」

「あれは、本来の風牙から言えば、赤子のようなものです。本当の風牙をお見せしましょう」

 神一郎は、小屋から暫く歩いた所にある断崖の上に、皆を連れていった。谷を挟んだ山の中腹には、山が崩れ、赤茶けた地肌が見えている部分があって、そこに、今にも転げ落ちそうな、十丈【約30メートル】はあろうかという巨大な岩が顔を出していた。

「あの岩を斬って落とします!」

 神一郎が、対岸の山の大岩を指さした。

「ばかな、あんなものが斬れるものか」

 小次郎が、あきれ顔で神一郎に言った。

「ご覧あれ!」

 神一郎は風に乗ると、大岩の上空で静止し、暫し息を整えた。

 次の瞬間、刀を抜き、振りかぶった神一郎は、気合諸共、大岩目掛けて振り下ろした。空気が震え、凄まじい風が岩にぶつかり砂塵が舞った。だが、大岩は何の変化も無かった。

 舞い下りて来た神一郎に、千太郎が言った。

「流石にあれだけの岩は斬れまい」

 神一郎はニヤリと笑いながら、大岩目掛けて一発の風破を「パシッ!」と放った。大岩に土煙が上がった途端、


「ズズズズ―――ン!!」


 大岩は真っ二つに割れて、谷底へと崩れ落ちていった。

「何だと!」

 小次郎と千太郎が、目を見張った。そして、小次郎の目が光り、身体が震えだした。

「いかがです、風牙の威力見て頂けましたか」

「この技を教えていただく訳にはいきませんか!」

 突然、小次郎が土下座して、神一郎に懇願した。風牙の威力の凄まじさが、小次郎の戦人としての心を呼び覚ましたのだ。

「何を言う小次郎、風の奥義は、風魔では禁じられているのだぞ!」

 千太郎が、咎めるように言った。

「千太郎殿、このような時代じゃ、一人くらい奥義を極める者が居ても良いのではないかな」

 天眼の言葉に千太郎は口を閉じた。

「お教えしましょう!」

 神一郎は、小次郎の手を取った。

「かたじけない!」

 そこには、生きる希望を見い出した小次郎の姿があった。そして、それを見ていた風夜叉の目から涙が溢れ出た。

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