第5話  風魔の里 

紀州を旅立ってから六日目に、ライカと神一郎は箱根の街に着いていた。ライカが、食事もそこそこに、神一郎の前を黙々と歩いた為、早めに着いたのだ。

「ライカ様、今日は此処で泊まって、明日風魔の里を目指しましょう」 

 ライカが、軽く頷いた。

 二人は、山の登り口にあった谷川を、野宿の場所に選んだ。そこは、洪水で流されてきたものだろう、大きな石が折り重なり合って、別世界のような雰囲気を醸し出していた。

 神一郎は、荷物を置くと、辺りを調べてくると言って上流へ登っていった。

 四半時ほど経って、小魚をいっぱい刺した笹竹を下げて、神一郎が帰って来たが、ライカの姿は無かった。

「ライカ様!」

 彼が、大声で彼女を呼んでみると、

「……ここだ。水浴びをしているから、こっちに来るな!」

 声は、下流の岩陰から聞こえて来た。神一郎が目で探すと、岩の上に小袖が置かれているのが見えた。

 ライカが腕を伸ばして着物を取ろうとした時、強い風が吹いてその小袖を攫って行った。

「神一郎、何のつもりだ!」

「? いえ、私ではありません!」

 神一郎が辺りを見回すと、切り立った崖の上に、一人の若者が薄笑いを浮かべながら此方を見ていた。

「何者だ!」

 神一郎が曲者を睨みつける。

「風魔千太郎が一子、億太郎だ。紀州のサルどもか。お手並み拝見といこう」

 億太郎は、言い終わらぬうちに、一尺ほどもある大型の八方手裏剣を投げた。手裏剣はシュルシュルと回転しながら、弧を描いて神一郎目掛けて飛んで来た。

 神一郎が、それを叩き落そうと刀を振り抜いた瞬間、刀を持つ手が痺れた。

「重い!」

 風で操られた手裏剣は、旋回して尚も神一郎を襲って来る。

「風御(ふうご)が使えるのか!?」

 神一郎は、手裏剣をかわしながら、河原の石の上をポンポンと飛んで、ライカが居る方に逃げた。大きな岩を飛び越えた先に、白い裸体を水に隠しているライカの姿が見えた。 神一郎がライカの裸に見とれていたその時、億太郎の手裏剣が彼に迫った。

「しまった!」

 神一郎が振り向いた瞬間、風が唸り、大きな流木が浮き上がって、間一髪で手裏剣の盾となった。ライカが、流木を風で操って助けてくれたのだ。

「馬鹿! どこを見ているんだ。油断するな!」

「ライカ様、申し訳ありません……」

 神一郎が目のやり場に困りながら、頭を掻いた。

「ふん、中々やるな。だが、裸のままでは戦う事も出来まい。土下座をするなら小袖を返してやってもいいぜ」

 億太郎が、悪戯っぽい笑みを見せた。

「ほざけ!!」

 次の瞬間、ライカは裸のまま空中高く飛び上がった。

「ライカ様!」

 神一郎も、自分の小袖を脱ぐが早いか、ライカの後を追って飛び上がった。

「何だと!」

 億太郎は、真っ裸のライカが、自分の方に飛び上がって来たのに驚いて目を見張った。

その時、空中で追いついた神一郎が、ライカに小袖を纏わりつかせた。

 ライカは、戸惑っている億太郎を蹴り倒すと、馬乗りになってポカポカと殴り始めた。ふんどし姿の神一郎が、はだける彼女の小袖を押さえて、懸命に帯を巻こうとしている。

「分かった分かった、降参だ。やめてくれ! お前本当に女か?」

 その瞬間、ライカの止めの一発が億太郎の顔面に炸裂した。

 

 気絶していた億太郎が気付くと、神一郎が彼の顔を覗き込んでいた。

「彼女は、三日前も盗賊の頭を半殺しにしたばかりです。下手をすれば殺されていましたよ。御父上に、明日ご挨拶に伺うとお伝えください」

「ああ……」 

 顔にあざを作った億太郎が、神一郎に送られて、すごすごと帰っていった。


 翌日、神一郎とライカは風魔の里である、風魔谷に着いていた。

「ライカ殿、神一郎殿、遠いところよくぞ来られた。昨日は愚息が迷惑をかけたそうだが、あいつはああ言う男だ。悪気はないのだ、許されよ」

 ライカ達を迎えたのは、白龍斎と同年配の風魔の党首、風魔千太郎その人だった。鍛えあげられた大きな身体をしていたが、目は優しかった。

 風魔と風の里は、同じ流れを汲む仲間である。白龍斎と千太郎は若き頃、修行に汗を流した仲だったのだ。

 奥義を極めた風の里に比べ、風魔は、敢えて奥義を封印して、風御を中心とした風の技で大名などに仕えて来た。召し抱える者が脅威を感じないようにとの配慮からである。

「今は、皆合戦などに駆り出されていて、居るのは、子供と老人だけだ。大した世話も出来ぬが、好きなだけ居るがよかろう。これ、風夜叉はおるか!」

 すると、透き通ったような美貌の娘がフッと姿を現した。

「父上、お呼びでしょうか」

「うむ。これは我が娘で風夜叉と申す。これからは、そなたたちの世話役として働く故、存分に使うがよかろう」

 風夜叉は、ライカたちに向かい頭を下げた。彼女は、ライカ達よりも少し大人びて見えた。見とれている神一郎を睨んで、ライカがお辞儀をして応えた。

「ライカと申す。これは、神一郎じゃ。世話になる」

「こちらこそよろしくお願い致します。早速ですが、里を案内致しましょう」

 ライカと神一郎は、千太郎に礼を言って風夜叉の後に続いた。


「風の里の人は凄い技を使うそうですね」

 里を案内しながら、風夜叉が何気なく聞いた。

「大したことはありません、少しだけ奥義を極めているだけのことです。そのお陰で、権力者に滅ぼされるかもしれないというんですから、風魔の方たちの選択は正しかったのだと思いますね。奥義に興味があるんですか?」

 澄み切った風夜叉の瞳に見つめられた神一郎が、目をそらしながら答えた。

「このような時代ですもの、我が身を護る力を持つに越した事は無いと思っただけです」

「あなたも、風の技を使うのですか?」

「無論です。党首の娘ですからね。ライカ様と同じです」

 二人の会話を、ライカは無表情で聞いていた。


 風魔谷は、その名の通り大きな二つの山の谷間に沿って、民家や田畑が細長く散在していた。千太郎が言ったように、野良仕事をしているのは、戦に出ない年寄りばかりだった。

 風夜叉は、ひと通り里を案内すると、更に山奥に入った所に建つ山小屋に二人を連れて行った。

「ここが、あなた方の住まいになります。少し手狭ではありますが、暮らしの為の道具はすべて揃えてあります」

「かたじけない。十分です」

 小屋に入ると、土間の先に板間があり、その中央には囲炉裏があった。入り口の右側には竃や、大きな水瓶が置いてある。板間にはムシロが敷いてあり、隅の方に布団が積まれていた。

「ここで、お前と暮らすのか……」

 ライカの顔が曇った。幼馴染とはいえ、男である神一郎と同じ部屋で寝泊まりする事に抵抗があったのだ。

「お嫌なら、私は外で寝ますが……」

「いや、衝立が有ればいい」

「分かりました。直ぐに作ります」

 神一郎は、荷物を簡単に片づけると、山から木を伐って来て、あっという間に衝立を作ってしまった。彼は、一番奥の板間に布団を敷き、その手前に衝立を置いた。

「これなら、寝床が隠れますから問題ないでしょう?」  

「うん、すまない」

「私は夕餉の支度をしますから、お二人は修行の場所を下見してはどうでしょう?」

「風夜叉殿、夕餉の支度までしてもらっては申し訳ない。私達で何とかしますから」

「いいえ、お二人には修行に専念して頂きとうございます。これは父千太郎の命ですから、気遣いは無用です」

「そういう事でしたら甘えさせていただきます」

「ライカ様、下見に参りますか?」

「うむ」

 二人は、小屋から風に乗って、山奥を目指した。ひと山越えた所に修行の場所はあった。

「明日迄と言っておられぬ。これから修行に入るぞ!」

 ライカが、いきなり瞑目し印を結んだ。すると、風が吹いて、空を雲が覆い始めた。ライカは、雲が厚くなり雷がゴロゴロと鳴り出すと、大地を蹴って天空に昇っていった。

「神一郎、下がれ!」

 空から、雨と共に、ライカの声が聞こえた。

 次の瞬間、耳を劈く雷鳴と閃光が走り、神一郎の目の前の大木が、落雷によって真っ二つに裂け飛んだ。


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