第3話 戦人への目覚め

 ライカは、両親に支えられ、何とか死を思いとどまってはいたが、何をするでもなく虚ろな日々を送っていた。

 その日も、小春日和に誘われて山に入り、谷川の大きな石の上に座って、川のせせらぎや小鳥のさえずりを、虚ろな目で聞いていた。

 次の瞬間、彼女の顔が苦悶に歪んだかと思うと、いきなり、三丈【約九メートル】下にある谷川の深みに身を躍らせた。春とはいえ谷川の水はまだ冷たい。その上、まともに水面に叩きつけられた身体への衝撃は半端では無く、強烈な痛みに気が遠のいた。

 彼女は、直ぐに風を使って舞い上がり、再び水面に身を投じた。それを繰り返している内、いつしか気を失って、下流へと流されていった。


「ライカ、ライカ!」

 彼女が目を覚ますと、白龍斎が心配そうに覗き込んでいた。気を失って流されているのを、後をつけて来た白龍斎が見つけ、助け上げたのだ。

「そんなに死にたいのか……」

「死にはしません。水に打たれて身体の穢れを浄めていたのです」

 ライカが、水の衝撃で赤くなった顔を背けながら、力なく言った。

「今は戦乱の世だ。戦がある度に、女子供が獣となった男達の犠牲になっておる。ライカも何故死なせてくれぬのかと思っていると思うが、お前は女であると同時に、稲妻家の跡取りでもある。どうせ死ぬなら、戦って死のうとは思わぬか?」

 跡取りとはいえ、若い彼女には厳しすぎる話かもしれぬと思いながらも、白龍斎は敢えて言ったのだ。

「……」

「それに、穢れを叩きだしたいというなら、もっと良い方法がある」

「えっ?」

 身体を横たえたまま、空を見ながら父の話を聞いていたライカの目が、白龍斎を捉えた。

「雷の奥義に、百龍雷破という大技があるのだ。これは、天才と言われた初代様以外に会得した者は居ない。儂も挑戦してみたが、極めることは叶わなかった。お前も稲妻の血を引く者、一度挑戦してみてはどうか?」

「奥義の修行が、何故、穢れを浄めることになるのです?」

 ライカが起き上がって問うた。

「百龍雷破の修行は、難行苦行だ。自分の身体を、いじめていじめていじめ抜いたその先の先に、やっと技の片鱗が見えてくるほどのものだ。その凄まじい修行の前には、身体の穢れなど、吹き飛んでしまうに違いない!」

「……」

「どうだ、やってみぬか? これを会得すれば、風の里を脅かす如何なる者も撃退できるのだぞ」

「この里を襲う者が居るのですか?」

「うむ、実はな。この里の中に織田信長と通じている者がいるようなのだ。信長が、凄まじい風一族の技を知ったら、脅威と感じて我々を滅ぼそうとするに違いないと儂は思っておる。何千という大軍に襲われれば、いかな風一族の技をもってしても防ぎきれまい。だが、この奥義を極めることが出来れば、信長の軍を撃退する事は可能だと思うのだ」

「……その奥義を極めれば、本当に里の人達を護れるのですね?」

「護れるとも。稲妻家の奥義は天下無双、負ける事は無い!」

「分かりました。私にできるかどうか分かりませんが、一度は死んだこの命、父上に預けます!」

 希望を失っていたライカの瞳が、輝き始めた。

「良し! 良く言ってくれた」

 白龍斎の大きな手が、ライカの手を握りしめた。                           

 その日から、ライカの修行が始まった。

 雷の技の基本は電気を起こす事であるが、彼女は幼い頃よりの修業で、それを習得していた。

 それは、心を集中して風を起こし、作った二つのつむじ風をぶつけ合うことで、粉塵などを衝突させて電気を起こすのだ。それを刀に取り込み、敵に放って感電させるのがライカの習った電撃である。

「よいか。今からやろうとする事は、今迄の様な子供だましの電撃ではない。本物の雷を操る大技だ。一つ間違えれば命がない故、心せよ!」

「本物の雷なぞ作れるのですか?」

「見て居れ!」

 白龍斎が瞑目して両手で印を組むと、風が起こり、風は雲を呼んだ。更に雲は厚くなり、やがて、ゴロゴロと雷が鳴りだした。白龍斎は、ライカを下がらせると、右手を天に翳した刹那、一つ目の雷で大木を裂き、二つ目の雷で岩を砕いて見せたのだ。いずれも彼が指さした所に雷は落ちた。

「凄い!」

 ライカが目を見張った。

「今見せたのは普通の雷の技だが、百龍雷破は、大軍をせん滅する為に編み出された、一度に無数の雷を落とす荒技だ。これから三月ほどは、まず雷雲を起こし、自在に雷を落とすことが出来るまで修行をしていこう」

 白龍斎の顔は、厳しい顔になっていた。

 

 本格的な基礎修行が始まると、白龍斎は人が変わったように厳しかった。

「それでも稲妻家の末裔か! 女など捨てろ! 鬼になるんだ!」

 白龍斎の本気のしごきにも、ライカは音を上げなかった。激しい修行をしている時だけは忌まわしい事件を忘れられたからだ。更に修行が進むと、戦人としての心に火がついて、そんな事はどうでもよくなっていた。

 やがて、彼女の美しい顔は、毘沙門天のような激しい形相へと変貌していった。


 一方、ライカの身に何が起こったのかを知った神一郎は、大きな衝撃を受けていた。彼女の苦しみを思うと、胸が痛んだ。神一郎は、ライカに密かな恋慕の情を抱いていたのだ。今すぐライカの傍へ行って抱きしめてやりたい衝動にも駆られたが、ためらいが先に立って、行くことは出来なかった。

 そんな我が子の様子をじっと見ていた神龍斎は、ある日、神一郎にライカの修行する姿を見せた。そこには、鬼となって修行に没頭する彼女の姿があった。その瞬間、神一郎の戦人としての心が揺さぶられた。

「父上! 私にも修行を!」

 神龍斎はニッコと頷いた。


 神一郎の修行が始まった。

「良いか神一郎。代々、風家と稲妻家は一体となって風の里を守って来た。ライカ様は、来るべき脅威に備えて、雷の奥義を極める為に修行に入ったのだ。その修行は想像を絶する過酷なもので、誰かが支えなければ極めることは出来ぬ。神一郎、それはお前の役目だ。ライカ様を護り支える力をつけるんだ!」

「はい!」

「風家の奥義は、風牙と龍の風だ。特に、龍の風は最強の技とされている。まずは奥義の基本となる修行から始めよう」

 神龍斎は、自分の持っている全てを伝授しようと、彼も又、鬼となって神一郎を鍛え始めた。神一郎も、それに必死に食らいついていった。神一郎は、辛い修行もライカの為だと思うと、不思議と力が漲るのだった。


 三月に渡る激しい修行が終わり、神一郎は、風牙【鉄をも切り裂く風の剣】と龍の風【大竜巻を自在に操る技】の基本をあらかた習得していた。

「よく頑張ったな。後は、その技を磨き抜くだけだ。励め!」

 久しぶりに笑顔を見せた神龍斎は、次の日から風の仲間と共に旅に出た。

 だが、その十日後のことである。神龍斎の遺骨を抱いて風の仲間が帰って来たのだ。

「……一体何があったというんですか?」

 神一郎が、信じられないと言った表情で小頭の大風(おおかぜ)に聞いた。

「旅の途中で、鉄砲に狙い撃ちされたのです。一瞬の出来事で、なす術がありませんでした……。風の里最強と言われた神龍斎様があのような死に方をされるとは、私共も未だに信じられませぬ……」

 そう言う大風の目から、涙が溢れ出た。

「そんな……」

 神一郎は、青天の霹靂のような父の死に、ただ呆然とするばかりだった。母の春風が、たまりかねたように、声を上げて泣き崩れた。


 父の葬儀が終わり、数日経っても神一郎は悲しみから抜け出せずにいた。父が元気で帰って来る夢を見ては「父上!」と叫んで目を覚まし、起きては、修行の最後に笑った父の顔が浮かんでは消えるのだった。

 そんな折、神一郎に、宗家から呼び出しがあった。

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