第2話 稲妻家の災難

 「ならぬ! 死ぬ事はならぬ。お前も辛かろうが、此処は堪えてくれ。良いな」

 白龍斎が、雪の手を取って抱き寄せた。

「死なせてくだされ!」

 叫びを押し殺したような声で懇願する雪の身体を、白龍斎は強く抱きしめた。

「護ってやれなくて済まぬ。だが、死ぬな。儂の為に、ライカの為に生きてくれ!」

「あなた!」

 真っ暗な絶望の淵に沈んでいた雪の心に、白龍斎の深い愛情が、希望の炎となって燃え上がった。雪は、白龍斎の胸に顔を埋めて、子供のように声を上げて泣いた。


 白龍斎が雪と共に、ライカの居る部屋へ入っていくと、敷かれた布団の中にライカの姿は無かった。

「誰か!」

「はっ、此処に」

「ライカを見なかったか?」

「見てはおりませぬが……」

「皆で手分けして探すんだ! 自害するやも知れぬ」

「はっ!」

 稲妻家の屋敷が騒然となり、風の使い手や郎党達が四方に散って行った。


 その頃、風家の頭、風神龍斎と今年十六になる息子の神一郎が、川沿いの道を風の里に向かって歩いていた。彼らは、宗家の命で大和の国に出向いた帰りだった。

 ふと、断崖の上を見上げた神一郎が声を上げた。


「父上、あれは!?」


 十数丈もある断崖の上には、黄色い小袖を着た一人の少女が、呆然と立ち尽くしていたのだ。

「あれはライカ様では……」

 神龍斎が呟いた次の瞬間、少女が、ふわりとその身を投げた。

「何!」

 驚いた神龍斎が、瞬時に風を起こし、落下するライカ目掛けて、風を押し上げるように右腕を振り上げた。すると、音を立てて吹き上がる風に煽られて、落下していたライカの身体が一瞬空中で止まった。


「神一郎、今だ!」

「承知!」


 神一郎は、風に乗って空中高く飛び上がると、ライカを抱き止め、ゆっくりと河原に下り立った。風を使った見事な技である。彼らは、風を自在に操る事が出来る忍者なのだ。


「死なせて!」


 ライカは、神一郎の腕の中で泣きじゃくった。いつもは快活なライカの変わり様に、神一郎は、彼女の顔を呆然と見ているしかなかった。


 宗家の一人娘ライカは、神一郎と同年代で、幼い頃からよく遊んだ仲である。可愛くて、天真爛漫な彼女に、神一郎は、仄かな思いを抱いていたのだ。


「ライカ様、一体何があったのです?」

 神龍斎が訪ねても、彼女は何も話そうとはしなかった。


 そこへ、血相を変えた白龍斎と雪が現れて、神一郎からライカを抱きとった。

「心配するな。仇は必ず取ってやる。お前の身の立つようにするからな」

「お母さんも負けないから」

 優しい両親に見守られ、ライカは落ち着きを取り戻して、帰っていった。


 次の日、白龍斎は、風の五家を集めた。彼らは、風、土、水、火の技を使う組頭達である。

「この度の事、宗家には災難で御座った。儂達に出来る事があれば何なりと命じて下され」

 組頭達が、口々に見舞いを述べた。

「かたじけない。今回の事は、稲妻家のみならず、我ら風一族への挑戦と考えておる。何としても賊を捕らえ、事の次第を突き止めずには置かぬ故、皆の力を貸して貰いたい!」

「承知!」

 火王炎龍斎、土鬼黄龍斎、風神龍斎が頭を下げて相槌を打った。

「幻龍斎は不服か?」

 何も言わぬ水神幻龍斎に、白龍斎が問うた。 

「宗家は風一族の問題というが、儂は稲妻家だけの問題であると思う。それに、下手人は流れ者かも知れんではないか。捜した所で見つかるかどうか」 

「何を言うか! 賊は、儂の留守に妻子を襲ったのだぞ。儂の動きを知った者の犯行に違いない。考えたくはないが、里の中に裏切者がいるかも知れんのだ」

 白龍斎は言葉を選んだつもりだったが、幻龍斎の顔が見る見る赤らんだ。

「何だと! 宗家とはいえ聞き捨てならん。この中の誰が下手人だというんだ!」

「賊を捕まえれば分かる事だ。お前達が嫌というなら、稲妻家だけで捜すまでじゃ!」

 幻龍斎は、興奮気味の白龍斎を睨みつけながら席を立って、部屋を出て行ってしまった。

「あいつとは、宗家を争った時からの因縁がある。事あるごとに異を唱えるのもその為であろう……」

 白龍斎は大きな溜息をついた。


 十年前、四代目宗家を決める際に戦ったのが、幻龍斎と白龍斎だったのである。術の勝負で決着がつかず、三代目の一言で白龍斎が四代目を継いだ経緯があったのだ。

「宗家、火王家は協力させて頂く!」

「土鬼家も承知した!」

 結局、水神家以外の者で、賊の捜索隊を結成する事に決まった。組ごとに二人ずつ出して、八名の捜索隊を作り、捜索を開始したのだ。


 彼らは、事件当夜に不審者を見かけたり、変わった事は無かったかなどを、里の者から聞いて回り、その後、里の周りの山中の捜索に入った。

 まもなく、彼らは、山中で殺されている五人の盗賊を見つけた。

「こやつらが下手人に間違いなかろう。どうやら口封じに毒を飲まされ殺されたようだ。これ以上の探索は無用ぞ。里に帰って宗家に知らせよう」

 屍となった下手人が見つかった事で、探索はあっけなく終わったが、彼らを操った真の下手人が居る事が明らかになったのである。


「ご苦労だったな。事件の、真の下手人探索の道は閉ざされたが、稲妻家に対する攻撃は、これからも続くかもしれぬ。念のため、各々の家にも用心するよう伝えてもらいたい」

 白龍斎は捜索隊を労い、帰した後、何故か大きな溜息をついて、物思いに耽っていた。

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