第4話 髪を振り乱し、ヒールを折って、口紅拭って、スカート破って

「どうしてっ? どうしてよっ!?」

溢れ出た涙を拭うことも忘れて、私は必死にパメラへとしがみ付いた。

流れ去る高速の風が水滴を千切り、宙へと舞う。


朝巻いてもらったばかりの髪は振り乱れ、大股で歩いたせいか、華奢なヒールは踵が欠けていた。


いけない、このままじゃパメラを傷付けてしまうわ。

私はそのまま空中から森の中へとヒールを脱ぎ捨てた。

クルクルと落下していくピンク色のヒールが悲しい。


一体あの国に何があったというの?

震える手で短剣を太腿のベルトへと戻す。

美しかった祖国の風景を思い出すたび、とめどなく涙が溢れ流れた……。


「追われないのですか?」

飛び去った姫を見送ると、溜息を吐きながら振り返ったライナスに向かって、咎めるような目付きでアルヴィアは言った。


「勝手に行ったのはあいつだ」

冷たく言い切る金の瞳がキラリと光り、怒りを露にしている。


「私は姫様に剣を捧げております故、後を追わせていただきます」

それだけを言うと、与えられていた彼女の戦竜シヴァルへと飛び乗る。

高く舞い上がった空中より眺めた王子の姿は断固としており、全く動く気配はなかった。

それを一旦見詰めると、アルヴィアは溜息と共に西を目指し、大きく手綱を引いた。


「忠誠心の強い、良い目をした剣士だ……が、あれでは命がいくつあっても足りまい」

飛び去ったアルヴィアの姿を見送ると、ライナスは独り言のようにガイルへと言った。


「は……」

ゆっくりと顔を上げた彼の表情にも焦燥感が窺える。

「……お前も人間の女に囚われた一員となったか?」


薄く自嘲気味に笑ったライナスの顔をじっと見詰めると、

「まさか……同じ騎士としての忠誠心の高さを認めただけでございます」

とだけ言う。

「そうか、まぁ良い。丸腰で戦場に赴くほど戦を知らない訳でもあるまい。帯剣したのち後を追うぞ」


そう言うと城の中へと引き返す。

その後姿には苛立ちが見えており、日頃あまり感情を出さない王子には珍しい光景となった。




「母様っ……!」

こんなスピードでなんて飛んだことはない。

向かって来る風は皮膚に痛く、全身を押し返すような苦しみを伴う。


でも止まる訳にはいかない。

早く……早く祖国に戻らないとっ!


焦った私はライナスが教えてくれていた安定した飛び方なんて出来なかった。

竜が騎手の感情に左右されるということも頭にはない。


力任せにグイグイと手綱を引っ張ってしまう。

それを加速の合図だと思ったのか、パメラはさらにスピードを増していった。

「く……苦しっ……」


鼻で息が出来なくなり、少しだけ口を開けたら一気に空気の塊が入り込んできた。

突然口の中が圧迫されて、その息苦しさにゲホゲホと咳き込んでしまう。


「はや……くっ……」

最早操縦しているというよりは、ただしがみ付いているだけだった。


「姫様っ! リーナ様っ!」

ビュウビュウと切り裂く音を立てて過ぎ去る風の中にアルヴィアの声がした。

驚いて振り返えった途端、バランスを崩して落ちそうになる。


「あぁっ! 駄目ですっもっとスピードを落としてっ! きちんと手綱を持たないと落下します! どうか落ち着いて下さい!」

風が強すぎて目も開けられなくなっていた私に、アルヴィアが叫んだ。


あぁ、そうか。このままじゃエルネスタまで持たないんだわ……。

彼女の姿を見て安心した私はゆっくりと手綱を引いた。

少しずつ減速されていく感覚に大きく息を吐く。


「姫様、戦竜は大竜よりもスピードが出ます。後一刻もすればエルネスタには着くはず。心を落ち着けて、振り落とされない事だけを考えてください」

隣に並走するように近付いて来たアルヴィアが声を掛けてくれた。


「そ、そうね」

私は前を見据え、ぐっと唇を噛んだ。

取り乱している場合じゃないんだわ。着いたらまず戦況を確かめないとっ。

まだ五つは高い山をを越えないと領土にも着かない。

私は噛んだ唇を手の甲でぎゅっと拭った。

風に煽られ消えかけた口紅は唇を潤してはくれない。


「まずは城に戻るわ。父様達の無事を確認してから交渉でも何でもしましょう」

「了解しました」

落ち着きを取り戻した私に、アルヴィアは頷いた。

それからは無言で操縦へと専念する。

焦る気持ちはあったけど、今は冷静になるしかなかった……。




「!!」

四つ目の山を越えた頃に異変に気が付いた。

もう一つだわ。

そう思った最後の山の向こう側から煙が立ち昇っていたのである。

しかも、一つや二つじゃない!


「アルヴィアっ!」

私は焦って叫んだ。

嫌な予感が後から後から胸に湧いてくる。


「……急ぎましょう!」

アルヴィアのダークブルーの瞳も曇った。

それ程美しい緑の山々にはそぐわない、異様な光景だ。


私達は一気に加速すると、大きく山を越えた……。

その瞬間、開けた視界に入ってきたのは目を疑いたくなるような無残な光景。

美しい森は焼けただれ、町並みは所々崩壊していた。


「なんてこと……っ!」

広がる戦の後の焼け爛れた風景。

風に乗って上空まで届いて来るきな臭い空気が私の心を大きく揺さ振った。


その瞬間、キィとパメラが大きく鳴いた。

それは私の悲鳴のようで、あぁ心が同調しているんだと頭の片隅で理解した。


「まずは城にっ!」

そう叫んで大きく旋回をする。

町よりも山手にあった城のあちこちからも煙が立ち、無事ではないことを知らせていた。

「間に合ってっ!」

パメラの手綱を右へと強く引き、左へと旋回する。

そのまま低空飛行へと移り、上空より城の様子を窺った。


「あぁっ! 父様っ!」

城の最上階には追い詰められた王の姿があった。

数人の敵兵に追われ、城を囲む城壁の上まで後退っている。


「父様っ!」

愛情なんか貰った覚えなんてない。

私を見て微笑んでくれた記憶すらもない。でも……!

追い詰められた王を守っていた最後の兵士が切り捨てられて倒れた。

残っている護衛はもう居ない。


「パメラぁっ!」

私は必死に叫んでいた。

でもまだ手が届く距離ではない。


あぁぁっ! 父様っ!

大きく振り上げられた長い剣が、老いた王の肩へと振り下ろされる。

それがスローモーションのように瞳に焼き付いた。


「いやあぁぁぁぁ!!」

絶叫した途端、ギャァァァとパメラが大きく鳴いた。

同時にゴリリと何か固い物を擦り合わせたような振動が、パメラの頭部から聞こえる。

その瞬間、目の前にあった彼女の顔から大きな火柱が前方へと向かって伸びた。


ゴウッという不気味な音と共に吹き付けられた炎が、敵兵と王の間を遮断する。

突然の出来事に呆気に取られて下がったその最前へと、アルヴィアが素早く舞い降りた。


「なにが……!?」

起こったのか分からなかった。

余りにも唐突で、余りにも圧倒されて……。


「パ……メラ……?」

怒りを露にした彼女は私の戸惑いをよそに暴れ回った。

慄き逃げ惑う敵兵に対し、次々と炎を吐き続けている。


「やめてっ! パメラっ! やめてったらっ!」

必死に呼んでも彼女は言うことを聞いてくれない。

私の感情に流され、怒りに我を忘れて狂ったように鳴き叫んでいる。


「あぁぁっ!」

興奮した彼女は私が乗っていることも忘れたかのように無茶苦茶に飛び続けている。このままじゃ塔壁に激突するわ!


「姫様っ!」

目前の敵兵を全て倒したアルヴィアが叫んだ。

もうだめっ!

目前に迫った壁に私は目を瞑った。


激痛と共に破けるドレスのスカートと、急速に落下していく感覚。

やがて訪れる地面に打ち付けられるだろう衝撃に、私はぎゅっと目を瞑った。


「莫迦め!」

突然落下が止まった……と同時に怒鳴られていた。

この声は……。


「ライナスっ!?」

目を見開いた先にあったのは、端正な顔立ちを怒りに歪めた魔国の王子の顔であった。


「あれほど感情は抑えろと言ったはずだ!」

頭上から降り注ぐ怒声。

それと共に抱き締められる息苦しい感覚。


「ごめ……なさ……」

震える両手で掴まりながら、私は謝罪を口にしようとした。

だけどあまりの事で咄嗟に声が出てくれない。


「えっ?」

次の瞬間、不思議な浮遊感に驚いてしまった。

足の裏に地面の感覚がない……?


私は恐る恐る足元を見てみた。

でもそこにはやっぱり地面はかった。

それは五メートル近くも下で……え?

もしかして浮かんでる??

「な……っ!?」


驚いてライナスの顔を凝視した。

あれっ?

背中で何か動いてるみたいよ……って、えぇぇっ!?


それは黒に近いほど濃い色をした、ダークグリーンの大きな竜の翼……だった。


「ライナ……ス?」

から生えてるの……?

まじまじと顔を見詰めてしまう。

その私の視線から苦しそうに顔を背けると、ライナスは深く溜息を吐いた。


「……この異形の姿が醜いか? お前には見せたくはなかったが、救うためには仕方がなかった……」

いつも輝いている金色の瞳が歪められた。

そんなんじゃないって、言いたかったけどすぐに言葉が出てはくれない。


「王子!」

頭上より掛けられた言葉に私達は空を見上げた。


「なっ……!?」

そこには何十匹もの戦竜の姿。

よく見たらアグレイヤもその中に居た。


「外は我々に任せ、王子は城内を!」

叫ぶガイルに頷くと、ライナスは大きく翼を羽ばたかせ上昇した。

そのまま父の居た城壁へと辿り着く。


「な……!」

体を離してからライナスの全身に視線が行った。

真っ黒な甲冑に身を包み、両端が刃になっている槍を携えた姿。

そして頭上を飛び交う武装した竜達……。


その姿は正に竜騎士。

魔国とは、竜を操る世界でたった一つの伝説の国。

世界最強である竜騎士の国だったのだ。

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