第5話 女だと思って甘く見てくれるから楽でいい

「あ……」

「王は無事なのか?」

呆気に取られた私にライナスが早口で言った。

そうよ、父様がっ!

城壁を辿り父様の元へと向かう。

そこにはアルヴィアの膝の上で苦しそうに息を吐き、倒れている無残なエルネスタ王の姿があった。


「父様っ!」

こんなにも……老いていたの……?

最後に見た父様は威厳ある態度で私を見下ろしていた、

幼い頃の思い出だった。


それが今、脆くも崩れ去る。

目の前に居る白髪の老人は、息も絶え絶えに顔を苦痛に歪めていたのだ。


「……なぜ戻った……」

肩口から鮮血を流し、荒い息を吐いていた老人は、私の顔を見るなり厳しい一国の王となった。


「なぜ……ですって……?」

この期に及んでさえ拒絶されるというのか……。

私は怒りに震える拳を握り締めた。


「だってっ! ここは私の国ですものっ! 戻って来て当然じゃ……」


「愚か者!!」

怒鳴った瞬間苦痛に呻き声が漏れる。

しかし父様は歪む顔で私を睨んだ。

「最早お前はこの国の者ではない、立ち去れ!」


なんでっ?

どうしてなのっ!?

それほどまでに私が憎いのっ!?

胸に痞えた言葉の代わりに、ポタポタと涙が溢れ出した。

悔しくて、悲しくて言葉が出てこない。


「王よ、姫は大丈夫だ。健やかに我が国で過ごしている。今は御自身の事を考えられよ」

怒りに震える私の肩に手を置いてライナスが言った。


「……魔国の王子か……約束通り姫を頼む……」

約束……?

目前で交わされる会話の意味が分からず、私はライナスの顔を見た。しかし彼はじっと無言で王と対峙している。


「いけません、早く手当てをしないとっ……!」

膝の上に抱えていた顔色がどんどん青ざめていく。

アルヴィアが焦ったように叫んだ。


「我がどれだけの戦をして来たと思うておる。最期など、とっくに分かっておるわ」

苦痛に表情を歪めながら、年老いた父様は微かに笑った。

これが、私が見た父様の最初で最後の笑顔だったなんて……。


「王子よ……」

えっ?

なんて言ったの?

古語みたいだけど私には分からない。

なんで父様が古語を?


「…………」

ライナスも古語で何かを言った。

その瞬間安心したように父様は深い深呼吸をする。

それ以降、その胸が再び上がる事はなかった……。


「えっ? 父様ぁぁっ!?」

動かなくなった父様に向かって私は叫んだ。

なんで?

どうしてっ!?

目の前での人の死なんて初めてだった。

どうしていいのか分からない。


「王様っ!」

アルヴィアが父様の耳元で叫んだ。

でも返事はない。嘘でしょ?


「いやぁぁっ! なんでなのっ!?」

ガタガタと震えながら真っ青になった私を、ライナスが後ろから抱き締めた。


「愚かな王よ……しかし偉大なる王だった……」

なんで?

なんでライナスが父様を知ってるの?

そう言おうとした瞬間、どこかから「王子を見付けたぞ!」という怒声が聞こえてきた。


「!!」

兄様はまだ無事なのねっ!?

そう思った瞬間、反射的に走り出していた。

裸足で痛いけど、そんなことはどうでもいい。


「行くな!」というライナスの言葉も後方から聞こえる雑音の中の一つにしか過ぎなかった。


「ガイル! 王を辱められぬよう保護してから来い、俺は姫を追う!」

ライナスが叫んでいる。

ありがとうと私は心の中で感謝しながら城の中へと走り込んだ。

そこには沢山の敵の数。

でも急に現れた私に慄き、体勢が取れていない。


「甘いわっ!」

私は長剣で体を守りながら敵の中へと突入して行った。

すぐ後から来たアルヴィアも手伝ってくれて苦戦ではない。


「お……お前っ! この国の姫だなっ!」

敵兵の誰かが叫んだ。

破れてるけどドレスなんだもん、そう気付かれても仕方のないことだった。


「アルヴィアっ!」

切り掛かってきた兵士を素早くアルヴィアが薙ぎ払った。

そのおかげで進むことが出来る。


兄様、待ってて!

私は残された、たった一人の肉親の姿を探して城内を走り回った。


「こいつ、先に魔国へと嫁いだ姫だ!」

「だから外に竜が来てるのかっ!?」

「なんだとっ!? 竜がっ!?」

怒声と共に聞こえて来る混乱した敵兵の会話。

そうよね、竜なんて伝説の生き物ですものね。


でもだったらどうしたって言うの?

ここが私の国だってことに変わりはないじゃない、それをあなた達が奪おうとしているのには変わりはないじゃないっ!


怒りが心の中を支配する。

長い回廊を走りながら、私は兄の部屋があると聞いたことのある中央へと向かった。目の前は敵兵だらけだけど、そんなこと関係ない。進むしかないわ!


「生きたまま捕虜にしろっ!」

そうきたか!

私は素早い動きで階段を駆け下りた。

重厚な甲冑を着た敵兵の動きなんか遅くて話にならない。


しかも無傷で捕まえるためか、女だと思って甘く見てくれるから楽でいいのか、素手で掴み掛かってくる相手なんか、思い切り足の裏で蹴り飛ばしてやった。


「すばしこい姫だ! やむ負えん!」

誰かが切り掛かってきたけれど私はそれを掻い潜る。

でも逃れたと思った瞬間、倒れていた敵兵の体に躓いてバランスを崩してしまった。


「姫様っ!」

悲鳴のようなアルヴィアの声。

それと当時に庇うように伸ばされた彼女の腕。ガクンと大きな振動と共に、アルヴィアの体が大きくしなった。

「アルヴィアっ!」


振り返った私にアルヴィアが行って下さいと叫んだ。

どうして?

嫌よ!

あなたを置いて行くなんてっ!!


戸惑って立ち止まった私を、低空飛行をしながら敵兵を薙ぎ倒してきたライナスが攫った。


「莫迦が! 立ち止まる事は死ぬ事だぞ!」

だってアルヴィアがっ!

そう叫んだ私を抱えたまま、ライナスは先を急いだ。


「大丈夫だ。ガイルが来ている」

ボロボロと涙を流す私にライナスが言った。

泣く位なら初めから無茶をするなと。

分かってる、そんなこと分かってるわよ!

でも今まで何も出来なかったんだもの。

兄様達が戦って死んでいっても、私には何も出来なかった。

己の無力さを塔の中で何度も悔いていたのよっ!


泣いてる場合なんかじゃないって分かってるけど涙が止まらない。

守られ続けた姫君なんて、全然幸せじゃないわよ!


私も戦う。

私にだって守りたい物がある。

この国と美しい自然と大切な人達……。


唇を噛んだ瞬間、目の前に現れた敵兵の固まり。

「降ろしてライナス、私に構わず戦って!」

もう守られるだけの立場なんて真っ平だった。

人を切ったことなんてないけど、奪われたくない物がある。

私は震える手で長剣を握り締めると、襲い掛かってきた敵兵を正面から見据えた。

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