第3-3話 そこどけそこどけ、騎士姫のお通りだ

「ライナス様、腕が赤うなっております、如何されましたか?」

痛む足を引きずって朝食の場へと辿り着く。

気不味いまま朝食を取っていると、グレイムさんが傷に気付いて声を掛けてきた。

ドキッ。


「大事無い、虫に刺されただけだ」

ライナスは私を一度睨んだあと、事もなげにそう返事をした。

その腕は、蚊に刺されたくらいに赤くなっている。


そんなに威嚇しなくてもいいじゃない、反省してるのにぃっ。


「今朝はあれだけ動けたんだ、今日もきっちり練習できるな」

二人にしか通じない会話だけど、ライナスは挑戦的な目をして私にそう言ってきた。


背後に立っているアルヴィアは今日の練習を期待してか微笑んでいる。

彼女も竜を気に入ったみたいね。


「う……はぃ……」

私は口の中にあった物を一気に飲み込んで返事をしてから俯いた。

この雰囲気じゃ頷くしかないじゃない?

早とちりしたのは私なんだし……でもライナスって結構意地悪なのねっ。


気不味い雰囲気のままの朝食を終え、早々に私達は昨日練習をした湖へとやって来た。


「紹介がまだでした。私の竜はブライカ。感受性の問題なのか、昔から騎手が男性だと雌の竜。女性だと雄の竜がペアリングされています」

屈伸運動をしている私にガイルが自分の竜を連れて来て紹介をした。

ライナスの竜よりも少しくすんだ赤い竜は、凄みがあって歴戦の戦士を思わせる。


「そうなの? じゃぁ私には雄の竜なんだ?」

どんな竜が来るのかしら?

なんて嬉しくなった私に、後ろに居たライナスが大きく溜息をついた。


「まだ馬にも乗れない奴が何言ってるんだ。竜は主人を選ぶ。未熟な騎手を賢い竜が選ぶ訳ないだろう」

……やっぱりライナスは意地悪だわっ。


私は不貞腐れて白馬の元へと駆け寄った。

大分体がほぐれたみたい、痛みが少なくなったもの。


「今日もよろしくね」

私が疲れているということは、この白馬も疲れてるんだろうか……。

そう思いながら鼻先を少し撫でてやった。

白馬はブルブルと息を吸い込んで、返事をしてくれたみたいに感じた。


「さ、さっきは御免なさい。私勘違いしちゃったみたいで……」

カポカポゆっくりと馬を歩かせながら、私は隣に付き添うように歩くライナスに頭を下げた。


アルヴィアとガイルは既に空の住人だ。

二人きりで話が出来るのを待ってたんだもの、謝るのが遅くなってしまったけど仕方がない。


「歩くのには大分慣れたみたいだからな、今日は少し早足の練習だ」

そう言うと、ライナスは急に私の後ろへと乗ってきた。

そのまま手綱を取られ、抱き込まれるように腕の中へと包まれてしまう。


「あのっ……」

「分かったから、何も言うな」

不安になって後ろを振り返った私にライナスが耳元で囁いた。

「余所見していると落ちるぞ」

そう言って足の合図で馬を走らせる。

ガクンと急に揺れた拍子にバランスを崩した私の腰を、支えるように回されたライナスの腕に力が入った気がした。


なんでっ……今日も……こんなんなのよぉっ!?

ちょっとは優しいのかな?

と思ったのは初めだけで、後は昨日の通りの地獄だった。

怒鳴られながら必死に馬へとしがみ付いたけど、早足になってしまったら振り落とされないのが精一杯だ。


そんなこんなで、今日もまた夕食の味が分からないほど疲れている。

眠すぎて体が睡眠のみを要求してるんだもの。仕方がない。


あ、そういえば本当に肉用のナイフって先端には刃が付いてないわ。

出されている分厚い肉の塊をギコギコと切り分けながら、私は感心したように口へと運んだ。


刺したライナスの傷はとっくに消えている。

魔族って回復が早いのかしら?

そう思いながらもあまり食が進まない。

その内噛むのも面倒になってきちゃったわ。

その後ふらふらと湯浴みを済ませ、ベッドに入るのが何よりも幸せだった。

う~んと大きく背伸びをしてから力を抜くと、疲れていた私はそのまま眠りへと落ちしまった。




「もう寝たか?」

ライナスはリーナが寝付いた頃に部屋へと入って来た。

今日も運動づくしの一日だった。

安らかな寝顔を見詰めながら、ふっと安心したように息を吐く。


「それにしても、よく頑張る……」

初心者であるリーナの奮闘ぶりには目を見張るものがあった。

元々負けん気が強いという性格もあるのだろうが、空を見上げてはアルヴィアという侍女を羨ましそうに眺めていた。


「竜が、気に入ったんだな」

この国は竜なしでは生きてはいけない。

気に入ったのならばこの国で生きる資格があるというものだ。


前髪が掛かる額を撫でながらライナスは微笑んだ。

おでこを全開にした表情は、起きている時よりもあどけなく、幼く見える。


明日は少し空の散歩にでも連れて行ってやるか……。

そう思いながら、軽く額へと口付けを落とす。

疲れきった姫は何も気付くことなく、すやすやと安らかな寝息を立てたままであった……。




それから一月。

毎日の恒例となっていた乗馬の稽古は、今は竜のものとなっていた。


「同じ乗り物でも、竜の方がずっといいわ」

ライナスを振り返って私はご機嫌にそう言った。


「だが、竜から落ちれば命はない。そのことを忘れずに気を抜くな」

そんなこと、言われなくても分かってるわ。

何たってこの高さ……なんだもの。


足下に見える地面は遥か遠く、高速の速さで過ぎ去っていく。

まだ一人では竜に乗れないけれど、ライナスが一緒だと高く飛べて気持ちが良かった。


「そろそろ風の感覚にも慣れてきたようだな」

気分よく鼻歌を歌っていた私に気付いたのか、ライナスが高度を下げた。

もう~絶好調だったのにぃっ。


そう思いながら着地した先には、見たこともない新しい竜が一匹立っていた。

「アグレイヤの前に俺が練習に使っていた竜、パメラだ。老いてきたから性格は大人しいが、これでも現役の時は一流の戦竜だった」

ふぅん?

「今日からお前はこの竜に一人で乗れ」


えぇっ!?

急な話の流れに、私は転げそうなくらいに驚いた。

もしかして、それって……。


「正式な竜が決まるまで、彼女がお前の竜だ」

やったぁぁ~っ!


「嬉しそうな顔をするな、これからが本番だ。空中から落下しても助けてやることはできないぞ」

ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶ私を叱るようにライナスが睨み付けた。

でも嬉しいものは嬉しいんだから仕方ないじゃないっ。


「パメラぁーよろしくねっ!」

飛び掛るように抱きついて、早速耳の後ろを撫でてやる。

竜はここを撫でられるのが好きなんだと、初めて触った時の感覚で知っていたわ。

ほら、もう半分目を瞑って気持ち良さそうよ?


「よし、まずはあの木の高さくらいまで飛んでみろ。無理はするな、それ以上だと骨折くらいでは済まなくなる」

……骨折くらいって……危険なのは分かるけど、脅さなくてもいいじゃないっ。


私は気を取り直してパメラへと跨った。

バサリバサリと何度か羽ばたきをした後、視界がすっと持ち上がる。


「!」

きゃぁっ!

やっぱり気持ちいいっ!

ゆっくりと浮上した感覚に夢中になった。

馬よりも大きくて、動きが安定してて乗りやすいわ。


「ゆっくりと前進させてみろ」

言われた通りに手綱を二度引く。

これが前進の合図だって、分かっててもその通りに動いてくれる感覚は何だかもう本当に感動よっ!


「ライナスー、私結構上手くないー?」

そう叫ぶと、彼は呆れたように肩を落とした。

その様子も頭上からだと気分が良い。

私はそのままクルクルと旋回して、パメラの感覚を叩き込むように何度も名前を呼んだ。




そんな気持ちの良い特訓を始めて三日目の朝、急な知らせは朝食の時に訪れた。

「ライナス様……」

グレイムさんが言いにくそうにライナスへと何かを耳打ちした。

その途端、彼の顔も今までに見たこともないほど暗く曇る。


「どうしたの?」

事情を知らない私はゆで卵を頬張りながら何気なく尋ねた。


「……黙っていてもいずれ分かることだから、今言っとくが」

その言葉にグレイムさんの動きも止まる。

「……エルネスタ王国が陥落の危機にあるとの知らせが入った」

えっ?

今、何て言ったの……?

耳に入ってきた言葉を拒絶するように私の脳みそは動いてくれなかった。


「隣国が同盟を組み、エルネスタへと侵略を始めている。四方を囲まれ、このままではもたないとの知らせだ」


「なんですってっ!?」

一体あの国が何をしたって言うのっ?

一気に流れ込んで来た情報に私は弾かれたように立ち上がった。

アルヴィアの顔も真っ青に固まっている。


「わっ、私をあの国へ帰らせてっ!」

まだあの国には母様の形見のような思い出の品が沢山あるのっ!

父も兄も知らないけど、母様だけは汚されたくないっ!


前に読んだ本に、国を滅ぼし手に入れた略奪品は戦利品として売り捌かれるのだと書いてあった。

そんなこと、絶対にさせたくないっ!


「駄目だ、お前一人が行ったとしても、どうにかなる問題ではない」

冷たく言い放つライナスを睨みつけて、私はドレスの裾を捲くった。

そこにはあの返してもらった短剣が……。


「絶対に帰るんだからっ!」

私は短剣を自分の首へとあてがった。

その途端、全員が一斉に身を引いたのが感覚で分かった。


「馬鹿なことはやめろ」

テーブルの向こうに居たライナスが立ち上がり、近寄ろうとする。


「来ないでっ! 私は真剣よっ!?」

必死に叫ぶ。

帰らせてくれないのなら、こうするしかないじゃない。


「姫様っ!」

背後からアルヴィアの悲鳴にも似た声が聞こえたわ。

御免ね、アルヴィア。でもこうするしか方法を知らないの。


「どいて頂戴、私を城の外に出して!」

扉の前に立っていたガイルを睨み付けて、私は必死に気迫に飲まれないように足を踏ん張った。

ガイルは私の首元にある短剣を見詰めたあと、一瞬苦しい表情を見せて、その場を立ち退いた。


「私の後に付いて来ないでっ!」

そう言うと開かれた扉を背に廊下へと出る。

そこに居た護衛が持っていた長剣を奪い取ると、朝の慌ただしい城の中を私はずんずんと歩いて行った。


「きゃっ!」

途中で出会った侍女から悲鳴が聞こえた。

同時に振り返られる沢山の視線。そこどけそこどけ、姫騎士のお通りだわっ!


私は半分ヤケになって大股で長い廊下を歩いた。

足が震えるけど止まる訳にはいかなかった。

途中で出会った人々の驚きの表情。その一つずつを睨み付けながら城の裏へと移動した。


高い崖、そこには朝の練習用の戦竜達が待機していた。

「パメラっ!」

呼ぶと振り返った赤い竜。

私は彼女に跨ると、大空へと舞い上がった。


「やめろっ! お前にはまだ無理だ!」

一瞬ぐらりとよろけた私に向かってライナスが叫んだ。


後から来た皆を振り返って、私はごめんと一言謝った。

でも私にだって、守りたい物があるの。その為には戦うわ!

「パメラ、行くわよっ!」

叫んで手綱を二度強く引く、彼女はキィと高く叫んで、遥か上空へと高く舞い上がった。

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