第3-2話 そこどけそこどけ、騎士姫のお通りだ
つつつ疲れたわっ!
一日中ライナスにしごかれた私は、夕方にはヘトヘトになって青ざめていた。
朝せっかく綺麗に巻いてくれた髪もボロボロよ。
「乗馬の基本は姿勢だ、背筋を伸ばせ」
「はいっ!」
「馬の動きに合わせて体重移動しろ」
「はい」
「手綱をしっかりと持って指示を与えろ」
「はい?」
「手だけじゃなく足も使って早さを調節しろ」
「はぃ……」
「まだまだだな、これからも特訓だ」
「………」
「返事は?」
「はいぃっ!」
……大体さ、一度に何もかもやらせようとするのが無理なのよ。
一日で乗れるようになるわけなんてないじゃない!
不貞腐れながらアルヴィアを振り返って見上げると、彼女はもう空の住人となっていた。
赤く染まった空になびくワインレッドの長い髪が美しく、気持ち良さそうで羨ましい。
「……流石乗馬の名手だな、飲み込みが早い」
まぁね、アルヴィアは何だって出来ちゃうんだからっ。
自分が誉められたような気がして気分が良くなった。
でも私も早く自分で竜に乗ってみたいわ。
「この辺の夕暮れは早い、そろそろ城に戻るか」
そう言ってライナスがガイルに合図をすると、彼らは空中でお城のある方角へと方向転換をした。
アルヴィアったら、もうそんな事まで出来ちゃうんだからっ。
私は嬉しさ半分悔しさ半分でアグレイヤへと跨った。
そういえば、あの白馬は?
とライナスに聞くと、後でグレイムが大竜で運ぶから良いとの返事。
結構人使い荒いのね。
その後の食事の味なんて覚えてないわ。
「寝ながら食べるな」
ってライナスに何度も怒られたけど、勝手に瞼が下りて来るんだもの、仕方ないじゃない。
私は眠気と戦いながら少しだけ夕食をつつくと、そのまま浴場へと向かった。
今すぐにでも眠りたいけど汗と埃で気持ち悪くて、いくらなんでもこのままじゃいられない。
温かいお湯に浸かると疲れが一気に癒されて心地よくて、その場で寝そうになったわ。いけない、このままじゃ本当に沈んじゃう。
慌てて体を拭いて夜着に着替え、大きなベッドへと潜り込む。
多分その後は一秒だってもたなかったはず。私はそのまま深い睡眠へと落ちていった……。
「寝たのか?」
ライナスが寝室へと入ってくると、ベッドにはこんもりとした山が出来上がっていた。
そこからすやすやと規則正しい寝息が聞こえてくる。
「………」
ベッドサイドにあるシェルフの引き出しを開けて確認すると、朝の状態のまま短剣が収まっていた。
……疲れきって忘れているみたいだな。
ライナスは安心したように引き出しを閉め、安らかな寝息を立てるリーナの顔をそっと窺った。
あどけない頬の膨らみも、思ったより長い睫毛も、まだ少女の面影そのままで、治国のために嫁がされて来た姫君だとは到底思えない。
「……エルネスタ王も酷い事をする……」
必死に馬と格闘していたリーナの姿が目に浮かぶ。
何度も落馬しそうになり、危ない場面もあった。
しかし負けん気が強く、何事にも必死な姿は教えていて気持ちの良いものだった。
素直……ということか……。
真っ直ぐに見詰め返してくる瞳は心地よく、魔族の王子である自分にも怯えずに真正面から受け止める態度は、今まで会った人間達とは違っていた。
ライナスは緩くウェーブがついたリーナの髪を弄びながら口元に笑みを浮かべた。
何も考えられないほど疲れきって眠ることが、今の彼女にとっては幸せなのかも知れない……。
幼い寝顔を見詰めながら、実の親に幽閉されて育ったという、寂しい人生を歩んできた彼女の幸せを願わずにはいられなかった。
興味本位で受けた話だったが、自分がリーナに惹かれ始めていることを、温かくなった胸の熱でそっと理解した……。
「いたたたたぁっ!」
翌日の朝は絶叫と共に始まったわ。
だって全身が恐ろしいくらいに筋肉痛だったんですもの。
「……煩いぞ」
睨み上げてきたライナスにも返事が出来ないくらいよ……って!
何でまた同じベッドで寝てるのよ!?
「ちょっとっ……いたたたた……」
喋るだけでも腹筋が痛い……なんてことある?
痛がってもがく私の腰の辺りをライナスが指で押した。
「なっ!? 痛いじゃないっ!」
涙目になって手を払いのけた。
でもその瞬間にまで激痛が走る。
「……日頃の運動不足が原因だ」
面白がっていた目を細めて呆れたようにライナスが言った。
でもそんなことある訳ないないじゃないっ!
「こ……これでもアルヴィアと毎日剣術の特訓をしてたんだからっ!」
「ほぅ、やはりあの侍女は剣士だったか」
あ、そうか言ってなかったんだっけ。
「そうよっ、エルネスタでは最強の女剣士よ、とっても強いんだからっ」
「だろうな、飲み込みも身のこなしも良いと思った……」
アルヴィアに感心したように頷きながらライナスが手を貸してくれた。
このままじゃ起き上がれないから、仕方なくその腕に掴まる。
「い……っ!」
両足を床に着いた瞬間、足元からも激しい痛みが這い上がってきた。
本当に全身筋肉痛だわっ。
痛みに耐えながらもう一歩足を踏み出した……けど、バランスを崩してライナスに抱きとめられてしまった。
「ぎゃぁぁー! いたたたぁぁっ!」
驚いたのと痛いのと恥ずかしいのと悔しいのと……。
後なんだっけ?
よく分からないけど気が動転してしまった。
初めて男性に抱き締められたんですもの仕方ないじゃないっ?
でもっこれってもしかしてやばい体勢ってやつなんじゃないのっ!?
私は動転したまま夜着の裾を捲くった。そこには私特製の革のベルト。
そして……。
「えいっ!」
チクッ!
え?
思い切り刺したライナスの腕を恐る恐る見てみると、そこには先端だけ僅かに刺さったナイフが……。
何でよぉぉー?
肉はあんなにスパスパ切れるのに何で皮膚には刺さらないのーっ!?
「……何やってるんだ」
頭上からはライナスの低い声。
それに思わずビクッとしちゃったわ。
だって今までにないほど低くて怖い声だったんだもの。
って仕方ないか、刺されてるんだし……。
でも顔を上げるのが怖いぃーっ!
って思ってたら両手で頬を挟まれて無理矢理上向かされた。
「いや……あのっ……」
息が掛かりそうな距離で、猫のような細い瞳孔が真っ直ぐこっちを睨んでる。
爛々と輝いて獲物を狙うような色してるっ。
ここここ怖いっ!
尋常じゃないわ!
「肉用ナイフの先端に刃は付いてないだろう」
そう言ってナイフごと手首を取られた。
そして乱暴にベッドへと突き飛ばされる。
「いたぁっ!」
全身でぶつかったベッドは柔らかだったけど、ボロボロな体には痛みが走った。
「そんなに嫌ならこれで突けば良い」
言いながらライナスがベッドサイドから何かを出した。
そのまま圧し掛かられて息が詰まる。
息苦しい胸に押し付けられたのは、アルヴィアからもらったあの短剣だった。
「これ……」
「昨日見付けたから預かっておいた。返しておこう、お前の物だ」
バレてたんだわ!
青ざめた顔に息が掛かるほどの距離でそう言われた。
黄金色に鋭く輝く細い瞳孔が怒りを表している。
「………」
何も言えなくて息を詰めていると、ライナスが徐に立ち上がった。
今まで怒っていたのに急に冷めたような感じがする。
「……断ることも出来ず、ここに嫁がされて来たんだろう」
……それはそうだけど……。
「此処にはお前に無理を言う者は居ない。俺もお前に無理強いはしない。勝手にしろ」
吐き捨てるようにそれだけを言ってライナスは寝室を出て行った。
「………」
一人残された私は大きな溜息を吐いた。
何でだろう、後味が悪い。
確かに刺しちゃったし、怒るのも当たり前なんだろうけど……。
「……悪いこと……しちゃったのかな」
私はまだ痛む足を揉みほぐしながらまた長い溜息をついた。
抱き締められたって言っても、倒れるのをただ支えてくれただけだったのかも知れないわ……。
謝った方が……いいのかも知れないのかな。
痛みに耐えつつのろのろと着替えながら、私は重く苦い思いに深く反省をした。
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